見出し画像

「生きづらい」人たちのコミュニティに必要なこと:互いを知ることからはじめよう

1. はじめに
こんにちは、ラッコと申します。「It's me~生きづらさんの村~」の会に何度か参加しました。
今回は自分なりに考えた、「生きづらい人たちが同じ時間と場所を共有しながら、
仲良くやっていくにはどうしたらよいか?」のアイデアを語らせて頂きたいと思います。
なお診断上は、私はADHDという事になります。


2. 様々な人と、コミュニケーションを取ることのリスク
会に参加した当初、私が不安に感じたことがあります。
「発達障害」とLGBT(Q)という「性的アイデンティティ」を「生きづらさ」というコンセプトで
一くくりにして、大丈夫だろうか?という不安です。


この不安の裏には、私の個人的経験があります。
とある会で、"こだわりの強い"方に出会ったことがありました。
初対面でした。その人はあまりおしゃべりな人ではないものの、一緒にご飯を食べ、また冗談で笑い、
政治についての議論さえしました。
ここまでは、何の問題もありません。
しかし話が同性愛の権利に及んだとき、彼は同性愛(者)について、とても感情的で、深い嫌悪感を露わにしたのです。
私は同性愛者ではありません。しかし、もしこの場にLGBTの人がいたら……と考え込んでしまいました。


彼の嫌悪表明から受けた"こだわりの強さ"は、私にとって初めて感じるものではありませんでした。
発達障害の人には、このような"こだわりの強さ"が見られる事があります。
急いで付け加えると、彼が発達障害であるという話は聞いておりません。
しかし同じ問題が、発達障害を抱える人とのコミュニケーションでも十分に起こりえます。
あるいはLGBTの方でも、ADHDの人を「怠け者だ」と感じる可能性ことだって、十分にあるでしょう。
もちろん「発達障害」と「LGBT」を、同一の人が抱えている場合もありますが、
今回はそうではない場合を考えてみます。


ある論文でLGBTとASDを抱えたゲイやレズビアンの方々は、LGBTではあるがASDではない"普通"の集団に入って、
そこに馴染むことはとても難しいと語っています*1。
このような状況では、「発達障害」の人と「LGBT」の人の間に緊張や争いが生じることがありうるのです。
悪いことが起こる前に防げるとありがたいですね。
それでは、どうすれば上手くやっていく事ができるでしょう?


3. 互いを知ることからはじめよう
私は、まずは互いの共通点と、相違点を知ることが大切だと考えます。
ひとは、それぞれが「尊厳」すなわち「自分の人格が大切に扱われる権利」と、「特性」を持っています。
例えばADHDの人は、自分がただの「怠け者」だと思われたくはない。
それは自分の人格が大切に扱われなくなる事と、密接に繋がっているからです。
ADHDという"特性"によって、普通の人ができることが難しい、この事情を分かって欲しいのです。
人の尊厳を故意にか、そうでなくても「うっかり」「知らなくて」か、踏みつけてしまう時に、
怒りや争いが生まれます。
「うっかり」「知らなくて」の場合は、一般に相互理解を進めることで、問題が減少していきます。
例えばADHDの「特性」を知るにつれて、「怠け者」であるとの見方は薄れるでしょう。


そう上手くはいかなくても、同じ時間と場所を共有する以上、相手を傷つける発言や振る舞いを互いに慎まなければなりません。
相手を大切にすることで、自分も大切にして貰えます。そうすれば、居心地のいいコミュニティになっていくことでしょう。
でも、いきなり会ったばかりの相手に自然な「思いやり」を持つことは難しい。それはそうです。
だからまず、形から入っていきたい。それは少し自分の振る舞いに注意するだけで実現できます。


例えば話す時、「これを言うと失礼にならない」かと注意する。
自分の振る舞いに注意するためにも知識が必要ですから、LGBTについて本を読んだり、LGBT当事者の話を聞いて考える。
でも、どうしてよく知らない相手を、大切しなくてはいけないのでしょう。
こういう風に考えてみるとどうでしょう。相手を大切にすることは、お互いに得があります。


相手を大切にすると、相手もあなたのことを大切に扱うようになります。
これはきれい事に聞こえるかもしれません。
より正確に言い直せば、相手の事を大切にしないのに、自分が大切にされる確率は低いということです。
そのためにまず、自分から歩み寄ることが必要になります。
歩み寄りの結果、友達や居場所が増えることは、色々な楽しいことが増える事に繋がりますね。


また尊厳を踏みつけられた側も、相手がわざと踏んだのではない可能性を考える必要があります。
単に「うっかり」「知らずに」踏んでしまっていたとしたら? よく知らなかっただけだとしたら?
もしも話せばかなりわかってくれた相手を、いきなり「差別主義者だ」「嫌なやつだ」と決めつけてしまうと、
コミュニケーションが終わります。
それが相互理解(お互いがお互いの尊厳を認め合うこと)のチャンスを、永久に失わせてしまう場合だってあるのです。


そうした経験が積み重なっていくと、社会は自分のことをいじめようとする、怖くて、不安な場所だと思うしかなくなっていきます。
これは悪循環になります。つまり、不安だから人とコミュニケーションを取らないことは、さらに不安と人を避けることを
促してしまいます。


だから不安でも、前に出ていって、なるべく自分の話をして、相手の話をよく聞くしかないのです。
加えて相手を尊重するための努力は、深い意味での「思いやり」を鍛えるよいトレーニングにもなります。
それは異質な人たちと上手くやっていく力を増してくれるでしょう。
お互いの特性に配慮して、互いに相手を傷つけてしまわないように、振る舞えるといいですね。


参考文献および引用
*1 林桂生「生きづらさのオートエスノグラフィー : 性別違和を伴う勤労中高年ASD(自閉症スペクトラム障害)者」
(『大阪大学言語文化学』Vol. 28 2019年)、19-20頁。

よろしければ、サポートお願いいたします…!頂いたサポートは活動資金(会場費・クラフトの材料費・人件費などなど)として大切に使わせていただきます!よろしくお願いします🙇🙏