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「自分らしく」に対する違和感

広告代理店にいた時から、「あなたを自分らしくする」と言うコピーが苦手だった。

最近、その理由がわかった気がする。

1) 「どんだけみんな自分らしく生きてないんだよ」と失望してしまうから

2) 企業に言われなきゃ「自分らしく」生きれない社会なのかよと思ってしまう自分がいるから

3) そして、企業に言われると、今度は「自分らしく」していないことが悪いみたいに押しつけられた気分になるから。

4) 「自分らしく」と言っている以上、社会が定めたある一定の「キラキラした状態=自分らしさ」に囚われてしまう気がするから。(キラキラしてなきゃダメですか問題)

5) 「自分らしく」という言葉の抽象度が高くて、「自分らしくとは?」という別の問題に入ってしまうから。「わたしを生きやすくする」と言ってくれた方が、わかりやすい。むしろ欲しいのは「自分らしく生きる社会」というより「自分にとって生きやすい社会」な気がしてきた。自分らしくは、その結果の話。

「自分らしく生きようよ!」なんて、人に言われるものではないし、ましてや企業に言われるものではないと思っている。

「らしく」って言う言葉の縛りから脱却して、はじめて「らしさ」を手に入れる気がしている。自分らしく生きてる人って、そもそもそんなの気にせず生きてるはずだから。

コテンラジオの最澄・空海編も聴き終わったことだし、紹介されてた「唯識の思想」でも読んでみようかな。脱却したい。そして餃子と小籠包を食べたい。

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