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こもれびになったこもちゃん

めちゃくちゃご無沙汰してしまいましたすみません。
気づいたら9月だしめちゃくちゃ寒くなてきたしおせちの予約は始まったし、もう今年の終わりを感じ始めてしまったまろにーです。

前回の私のnote、いくつか心あたたかいコメントを直接いただきました。
読んでくださった方、本当にありがとう。嬉しいです。

私と夫の愛するハムスターのこもちゃんは、あれから少し経った7月11日、ハム生を終わりとし、旅立ちました。
応援してくれたり、一緒に愛でてくれた方たち、本当にありがとう。
こもちゃんはたくさんの人に愛されて、幸せだっただろうな。そうだといいな。

前回のnoteを書いてから、こもちゃんは元気にしてくれている日もあったけれど、やはりどんどんと弱っていってしまって、ついにその日はきてしまいました。

その日の夜、なかなか起きてこなかったこもちゃんの様子を見に、起こしに行ったんです。
そうしたらこもちゃんは右の目から血を出していました。
びっくりしすぎて息が止まるかと思いました。

「どうしよう!!!!!!!」

突然の事態に動揺しすぎてしまったけれど、不思議と「とにかくこもちゃんを守らねば」とどんどん行動でき、急いで血を拭って、タオルで包んであたたかくしてあげたことを覚えています。
幸いなことに家からすぐの場所に24時間の動物救急病院があるので、夫に急いで電話をしてもらい、救急搬送(と言うのか?)になりました。
by動揺と冷静の狭間の私の運転 (夫、なぜこの日に限ってビールを飲んだのぉ)

病院に着いてすぐ、こもちゃんは酸素ボックスに入れられ、獣医さんが診察をしている間私たちはロビーでずっと待機していました。
この時点で22時半とかもっと経ってたか、まあどんどん急患の動物たちは運ばれてくるし、レセプションの電話もひっきりなしで鳴っていました。
そんな光景を目の当たりにして辛いと思うのはもちろん、こんな時間に助けを求めている飼い主さんがたくさんいて、なんとか命を救いたくて必死な人がたくさんいるんだなということを、あまり生きた心地がしない中ぼーっと考えていました。

その後、獣医さんからこもちゃんの現状とできることの説明がありました。
呼吸状態も良くないし、いつまで生きられるかは分からない。出血の原因も分からない。
検査をして原因を探ることはできるけど、麻酔薬が必要なのでもちろんリスクが高い。検査途中でそのまま亡くなってしまう可能性もある。
選べる選択肢としては三つありました。

① 一晩入院させ、可能な限りの検査をし、原因究明と治療法を提示してもらう
② 一晩入院させ、検査はせずとも、これ以上目が飛び出ないよう右目の縫合だけでもする
③ このままうちへ連れて帰る

この中から決めなくてはいけないというのは、あまりにも難しく辛かったです。
ただ、大きなリスクを冒してまでの検査をするという考えは私も夫にもなくて、でもかわいそうだから目だけはなんとかしてあげたいという気持ちもありました。
それでも、縫合するのにも麻酔が必須で、そのまま目を醒さない可能性ももちろんあるとお話しされました。
私は諦めが悪く、グズグズと悩んでしまっていたのですが、夫の「連れて帰ってあげよう。置いて帰るなんてできないよ。」の一言で、治療は何もせず、連れて帰る決心がつきました。どんな時も導いてくれる夫が偉大すぎる。ありがとう。

酸素カプセルから戻ってきたこもちゃんを、いつもいるおうちのおが屑でいっぱいにしたキャリーボックスの中に戻した時、自分の匂いがしたから安心したのかな、スッと奥に潜っていつものように気持ちよさそうにまあるくなったんですよ。
それを見たらもう「連れて帰ってあげなければ」という気持ちしかなくなりました。
知らない場所で知らない人しかいなくて、いろんな音がして、車は揺れるし怖かったよね。頑張ったね、ごめんね、こもは偉いね。

やっと家に帰ってこれたのはもう午前0時を回っていた気がします。
それからしばらく、こもちゃんから離れることができず、ずっと抱いていました。
元気な頃はおてんばすぎて全然抱っこさせてくれなかったのに、私の腕の中で気持ちよさそうにスヤスヤ眠るなんて。
この日、一生分の抱っこをさせてもらったかもな。

なんとか寝なくてはとベッドに入ったのが2時半ごろ。
こもちゃんをハウスのいつものベッドに戻してあげて、いつも通り、「また明日ね、おやすみ」と声をかけて寝ました。

6時半ごろ、まだベッドに入ってから4時間くらいしか経っていないのにもかかわらず、急にパッと目が覚めました。
急いでこもちゃんの様子を見に行くと、そこにはもう息を引き取ったこもちゃんがいました。
寝ている夫を起こし、まだ温もりのあるこもちゃんを抱き、二人でこれでもかというほど泣きました。
もうずっと覚悟はしていたけれど、やっぱりきてしまったという喪失感は凄まじく、まだあたたかくて、眠っているようにしか見えないこもちゃんに、ありがとうねと愛でることで精一杯でした。

朝にめっきり弱い私が、あんな夜中に寝たのにも関わらず、こんなに朝早くに起きれたのは、今思うとこもちゃんが「じゃあいってくるね、バイバイ」と起こしてくれたのではないかなぁなんてね、思ってしまうね。

夫とこもちゃんの話をたくさんしました。
初めて出会った日のこと、おてんばすぎて超心配だったこと、背中のJの模様が最高なこと、パジャマに穴を開けられたこと、ひまわりの種よりかぼちゃの種が大好きなこと、、、
とにかく可愛くて、とにかく愛おしくて、とにかく大好きだったこと。ペットなんて言葉では到底収まりきらないほどに、私たち二人にとってこもちゃんはかけがえのない存在でした。
数え切れないほどたくさん撮っていた写真やビデオを見返しては泣き笑いもしました。

それから、こもちゃんにとびきりのベッドを用意し、可愛いお花と大好きなおやつでいっぱいに囲んであげました。
こもちゃんが使っていた水槽も全部片付けました。
おうちが無くなるとより喪失感が一気に増してとても辛かったです。
いつもの景色が急にガランとしてしまって。
「もうそこにいないんだ」ということを突き付けられた感じがしました。

こもちゃんが亡くなってしまったらどうするかは、少し前から二人で話していたのですが、しっかり火葬してお見送りをするということにしました。
次の日、大好きだったおやつたくさんと、りんごの木、目を晴らしながら書いたお手紙と一緒にペット専用の火葬場へ連れていきました。
こもちゃんをペットショップからお迎えした日以来の3人でのドライブ、不安定な天気が続いていましたが、車を走らせている時間だけものすごくよく晴れていて、さいごにいいお天気でお外が感じられて良かったね〜!と夫と笑っていました。
初めてペットの火葬場に行ったのですが、きちんとお別れの時間も設けてくれて、人間と同じようなのね、すごい。
幸せなことに、大人になってから身近な人の葬儀というものがなく、子供の時の記憶だと火葬場という場所で毎回気分を悪くしていた私なので、今回こもちゃんを連れて行くにあたり、自分がどうなってしまうかとても不安だったのですが、意外にも普通にしていられました。
余談ですが、火葬場の待ち時間に出てくる軽食的なもの、お寿司という経験しかないのですが、なんであれお寿司なんですかね?全然お寿司食べられる気分じゃないんだけどな。
(個人の意見です)

話を戻しますね。
火葬が終わって、そこではお骨も拾わせてくれたのですが、なんとまあ立派な下顎なこと。こりゃ噛まれたら流血するよなー!とまた夫と二人で笑いました。
※二人とも何度も噛まれてる(笑)
小さくて、細くて、わずかな骨を大事に大事に拾い上げ、そして帰路につきました。

窯の扉が閉まる瞬間はもうこれで現世のこもちゃんの姿とはお別れなので、辛くて、寂しくて、涙が止まらなかったけれど、火葬が終わり、家へと帰る車では、なんだか不思議と心がスッと晴れやかな気分でした。
「やりきった」
私たちのエゴかもしれないけど、なんだかそう思えました。
火葬という儀式を経たことによって、心の整理も少しつき、落ち着けたのかなと思います。本当に不思議で、やって良かったなと思える時間でした。
これはもしかしたらこの歳になったからこそ感じられることなのかもしれないなぁ。

約丸二日、こもちゃんにつきっきりだったので家に帰ってきたらどっと疲れが出て、久しぶりにお腹が空きました。
作る元気はなかったので、鍋焼きうどんを出前して二人で食べたのですが、なんだか耳をすませばのあのシーンのようで良かったです(笑)

こもちゃんのすごいところは、めちゃくちゃ空気が読めているところで。
亡くなったその日がたまたま私と夫の連休初日だったので、おかげで私たちはしっかりこもちゃんと向き合うことができたし、たくさん大好きとありがとうを伝えられたんですよね。
本当にすごいタイミングだったと思います。分かってたのかな?


それからもう二ヶ月以上も経ちました。早いな。
こもちゃんがいなくなってしまってから、我が家にはまだ、れびとわたという賑やかモルモットたちがいますが、それでもとてもとても寂しくて、私は音のない生活がしばらくできなくなりました。
それからというもの、普段あまり見ていなかったテレビを家にいるときは付けっぱなしにするようになりました。
とくに意味もなく垂れ流しているテレビにどれだけ気が紛れて救われたことか。(Special thanks to『世界の果てまでイッテQ』めちゃくちゃ笑わせてくれてありがとう…!)
無音のいつもの我が家だと、どこかこもちゃんがガサゴソ起きてくる音だったり、お水を飲む音だったりがしている気がしてしまって。
あと、少し長めに実家にも帰った(笑)

それでもやっぱり思い出して泣いてしまうことは多々あって、でもそんな時に私がお姉ちゃんと慕っているある大事な友人がこんな素敵な言葉をかけてくれたんです。

「悲しくなったり、寂しくなる瞬間は今でもあるよね。けどそれは、それだけ大切だったって証だから、たくさんこもちゃんのこと思い出してあげようね。私もたくさん思い出すよ!直接会ったことはなくても、幸せそうにこもちゃんの写真を見せてくれたあなたの笑顔を思い出すから、私もこもちゃんのことも忘れない!」

すごくすごく心が救われました。
こんなにあたたかい言葉かけてくれる人いるの!?私もこんな素敵な女性になりたい。。。

こもちゃんがいなくなってしまって、今までにないくらい悲しみと喪失感に襲われてしまい、「世の中のみんなはどうやってペットロスと向き合っているの…?」と、このどうしたって埋まらないガランとしてしまった心の取り扱いに大苦戦しました。今でも未だに少ししています。
キャロちゃんの時が悲しくなかった、と言いたいわけではもちろんなくて、“死”というものに対して、子供の時と大人になってからと、考えることや感じることが違いすぎるなと気付かされた感じです。

だけど、この友人の言葉で、
このままでいいんだ、思い続けて、寂しくなったら泣いていいし、そんなすぐに元気になる必要もないか、iPhoneのロック画面だって、いつまででもこもちゃんでも良いよねと、気持ちが楽になりました。

それから、いぇいの二人をはじめたくさんの人がこもちゃんのことを一緒に思い出してくれたり、話を聞いてくれたり、「こもちゃんにあげてね」と可愛いお花をくれてたり、周りにいてくれる人たちに救われ、そして何より夫とれびわたモルたちに救われながら、今日まできました。
もう気づけばすっかりテレビを付けなくても大丈夫になったし、一人でお家にもいられます。

輪廻転生の考えからすると、現世のハムとしての役目を終えたこもちゃんは、きっと次は何か別の姿になっているのかもしれません。
もしかしたら、こもれびになって見守ってくれてたりするのかな〜なんて。
どこかで楽しくハッピーでいてくれたらそれでいいな!

こもちゃんを亡くしてとても寂しいけど、夫と私はなんだか家族として1ステップ前進できる気がしています。
こもちゃんが、私たちの背中を押してくれたような。

まだ実は納骨が済んでなくて。
なかなか出掛けられなかったのですが、そろそろ行けそうなので、どこか自然の多い空気の澄んだ場所にでも、連れて行ってあげようと思います。
他の動物さんたちと一緒の方が寂しくないだろうしね。
またその時には寂しくてたまらなくなりそうだけど。

本当に可愛くて、大好きでたまらないこもちゃん。
家族になってくれてありがとう。
2年とちょっと、毎日とっても楽しかったし、すごく幸せだったよ。
こもも同じだと嬉しいな。
また絶対会おうね。
らぶゆー!


ほんとハムスターネタしかないみたいですみません。
次回からは違う話するから許して(笑)



今もしペットロスの真っ只中にいる方がいたら、
一緒にその時間も愛してあげましょ。
少しずつ、心に大事にしまえるようにきっとなるから。
私もまだまだ道半ばです。
世界中の飼い主さんに幸あれ。

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まろにー

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