見出し画像

人種差別問題: 南ロンドンの地から考える

アメリカの人種差別抗議運動が世界各地に広がっています。日本にいると、今回のような事件を目にすることは滅多になく、正直少し人ごとのような感覚を持ってしまっている人もいるのではないでしょうか?

自分の住んでいる国ではアメリカのような酷い事件が起きてないから問題ない。私はヘイトスピーチをしたり、SNSで差別的な発言していないから問題ない。そう思っている人は、知らぬ間に自分も「人種差別」について黙認している一人になっているかもしれません。そこで今回は、ご近所である南ロンドンのPeckhamをケースを元に「人種差別」について考えたいと思います。

経済格差が産む、無言の差別

南ロンドンにあるPeckhamという地は、色んな人種が住む多様な街です。特に、アフリカン・カリビアンの人は多く住んでおり、今回の運動にもいち早く反応しています(その様子はこちら:https://www.youtube.com/watch?v=zsZgi93KG10

そしてこの地は、10年ほど前まで暴動の中心地でもありました。それを10年ほどかけて、Gentrificationという地域高級化の施策によって治安を改善化させてきた歴史があります。少し高級でお洒落なお店を増やすことで、土地の物価を上げ、貧しい人たちを物理的に住めなくする。そうすることにより、目の前の略奪などの暴力的な行為も物理的に減ってくるのです。

暴力的な行為は目立たなくなってきたものの、経済格差の問題は「無言の壁」として存在し続けています。そして、残念ながら貧困の問題に直面しやすいのはアフリカン・カリビアンの人も含むNon-Whiteの人たちでもあります。地域高級化後にできた比較的新しくできたお店には白人の人が多く集まり、地元民が使う比較的安価なお店には白人以外の人が沢山いるという光景は日常的に見られます。直接的な差別行為が起きなくとも、人種の隔たりが存在してしまっているのです。

ギャングシステムに犠牲になる若者たち

私はこの不条理な現実をもっと知るために、沢山のアフリカン・カリビアンのお友達に話を聞きました。そこで、「Blue Story」という映画を勧められます。(ネットでも見られます)この映画はディレクターが自身の体験をベースに作ったラップの作品を映画化した、南ロンドンのギャングカルチャーの話です。南ロンドンはグライムなどのラップが盛んな地域でもあり、ギャングによる麻薬犯罪やグループ闘争などの問題もまだまだ残っています。正直私は、この映画を見た後に、地元の問題なはずなのに実感が沸かない感じがしてました。だけど、この映画を勧めてくれた、ナイジェリア人のおじさんに話を聞いて背筋が凍りました。

「この映画は実際にまだ起こっている問題です。自分たちよりも良い人生を子供たちにと思い、働き詰めの両親。その両親の元で育った子供たちが、十分な家庭の教育が受けられず、ギャングなどに居場所を見つけ、人生を破壊させていく。そして、その犯罪行為は【Black】というラベルを貼られ、ギャングではない人たちまでも一括りに黒人とされ、怖いというイメージが加速していく。でも、犯罪の原因は子供たちにあるのでしょうか?モラルのロールモデルがいなかった子供たちは自分たちの置かれた状況が十分に判断できない状況です。問題の本質にあるのは、経済格差、居場所と銘打って子供を利用して、ギャングシステムで儲けている大人たち、それを黙認している社会、問題を直視せずに黒人にネガティブなイメージを抱く人たちではないでしょうか。」

同じ地域に住んでいながら、このの問題を直視できていなかった自分も「無言の壁」を作ることにいつの間にか加担していたのです。

沈黙という罪

さて今までの南ロンドンの話はこの地域限定の話なのでしょうか?人種による経済格差の問題はどこの国でも起きています。 白人vs黒人という話だけではないはずです。日本でも移民の人を低賃金で働かせる問題は現在進行形で残っています。「自分の国の人ではないから、低賃金でも仕方ない」その感覚は、人種差別の意識そのものです。今回の人種差別反対運動は、差別が極端な形で出た一例です。ですが、差別そのものは、言葉や行為で現れていなくとも、ごく身近に存在しているものではないでしょうか。

追記:実は以前にも、似たような記事を書いています。興味がある方はこちらも。


よろしければサポートを!皆様からの応援は、将来への希望とロンドンの道端で悩める人たちへのドネーションに使おうと思っています。