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「オトナ」になってから挑戦する、ということ。

昔、声楽の先生がこんなことを言っていた。

「若いとき、本番の日に子持ちの先輩が『子どものお弁当を作ってから現場入りした』なんて言ってるのを聞いて『本番の日にそんなことしてるなんて、信じられない!』と思ったわ。でもねぇ、自分が親になると、本番だろうがなんだろうが、洗濯や掃除をして、子どもを送り届けてから舞台に立つようになったのよねぇ」

この話を聞いたとき、私は19歳だった。若い頃の先生とまったく同じように「ステージの本番の日に、子どもの送迎!?そんなこと、私だったら絶対にできない」と驚愕したものだ。

だって、本番といえばとても大切な日だ。舞台芸術は、絶対にやりなおしがきかない。数ヶ月の苦労が、たった一度のミスでぱあになってしまうこともある。だから、公演期間中は絶対、舞台のことだけに集中したいのだ。

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それから十数年後、私は教習所で仮免試験を受けていた。ここで落ちたら、決して安くはない追加料金がかかる。なにより、教習期限が迫っている私には、もうあとがない。

追い詰められ度合でいえば、舞台の本番よりもひどいかもしれない。それでも私は、あの時の先生を思い出し、大いに納得していた。

こんなにプレッシャーを感じたのはいつぶりか、というくらいに緊張していたのに、息子のスイミングスクールの準備をし、夫と息子の昼食を用意し、掃除機をかけて洗い物をし、家を出たからだ。

19歳のときの私が見たら、びっくりするだろう。
でも、今の私の日常に、それらの仕事は避けては通れない。
仮免試験には無事に合格し、今週から路上教習が始まる。

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自分ではまったく成長していない気がするのだけど、今の私は「オトナ」だ。一歩外に出たら、家庭を持っているいち社会人として扱われる。教習所には若い子も多いが、彼ら彼女らをみていると、私とはまったく違うイキモノだと感じる。

教官の挨拶に、口のなかでもごもごと答える子、友人にぴったりくっついて片時も離れない子、黄色い声で話す子。かつての私だったあの子たちは、30を超えた自分からみると、なんていうか「庇護の対象」って感じ。みんなかわいい。

それに、若い子のなかに混じって勉強していると、心が若返る感じがして、嫌いじゃない。

「オトナ」になってからの挑戦には、なにかしらの荷物がのしかかる。それは「子ども」だったり「仕事」だったり、はたまた「年老いた親」だったりするかもしれない。その荷物は一旦下ろせないので、抱えたまま飛ぶしかない。

だからきっと、かるがると飛べた若い頃とは、また違った飛び方を覚えていくんだろう。もしくは、負荷がかかっても飛んでいけるような筋肉がつくのかもしれない。

「オトナ」になってから挑戦する、というのは、つまりそういうことなのだ。

(Day.36)

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