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死を受け入れることの重さと難しさ

友人・Aのお通夜から戻り、今日からまたいつも通りの生活が始まりました。

お通夜に参列した後、自分なりに前を向いて進んでいこうという気持ちになっていましたが、それとはまったく別の気持ちで、Aの死を受け入れられないでいます。

わたし自身、親族が多いために、他の同年代と比べよりは人を見送ることが多い気がします。

ですが、大抵はゆっくりと死の準備が始まり、家族が故人との別れに対して心の準備をする時間がありました。

Aの場合、死が突然彼女を連れ去ってしまって、心の準備どころではありません。

まるでシャッターが降りるみたいに、強制的に終了されたような気がします。

普段どおりの生活をしているつもりでも、胸や脇腹のあたりが、じゅくじゅくと痛い。

たぶんわたしは、いきなりAを奪われてしまったことに納得がいかないんだと思います。

そしてそれは、故人のご家族はもちろんのこと、あの日通夜に参列した全ての人が感じていることでしょう。

息子を抱くと、Aの幼い息子の姿が思い浮かびます。
もうAは、あのやわらかな身体を抱き締めることはできない。

気丈に振る舞っていても、小さくしぼんでしまったようなAの夫の姿を思い出すと、Aが彼と築き上げてきた時間は、二度と戻らないのだと痛感します。

あの二人がこれからどうやって生きていくのか、他人がどうこう思ったって仕方のないことなのに、自分の息子と夫の姿を重ねずにはいられない。

A、悔しかっただろう。
その悔しさがよくわかる。

だからわたしには納得がいかない。
どうしてAが逝かねばならなかったのか、なぜ彼女だったのか。

悲しみと、憤りのようなものがめらめらと燃え、それが身体の中を満たしています。

怒ったって、悔しがったって、Aは喜ばない。

それはわかっているけれど、親しい者に唐突にやってきた死を受け入れることの、重さと難しさを噛み締めています。





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