創作の炎、ふたたび。
昨日、シナリオライターの楓花さんとお話しした。
ここ数年、育児と仕事に手いっぱいで、久しく「創作の泉」が枯れ果てていた。
でも、彼女とお話しして、「また物語を書きたいかも……」と思えるようになったのだ。
短編集を出版した過去
実は私、数年前に別名で短編集を発売していたのです。
日々のきらめきやざらっとした気持ち、子どもの頃にみた忘れられない景色、人智を越える精神など、あっというまにすぎていくいろんな人の日常を切り取って、宝石箱みたいに閉じ込めたかったから。
当時の作品を今読むと「うわあ〜!この頃からずいぶん遠くへ来たもんだ!」などと思う。
※ちなみに、この短編集を出版後、すぐに妊娠した。ほんとうに遠くへ来ました。
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「糸崎 舞」を名乗り始めてから、「ライター」としての自身のアイデンティティと、「創作者」としての活動の両立はできるのだろうか?という恐れがあった。
ライターは創作者ではないのだから、同一の世界線上には存在できないのでは、と考えていたからだ。
でも昨日、楓花さんが「糸崎舞として実績を積んできたからこそ、糸崎舞として物語を書いたほうがいい」と言ってくれて、なにかがふっ、とほどけたような気がした。
そうか。ライターでも、創作していいんだ。
もしかしたら、ライターでもあり創作者でもあることを選んだら、新しい未来が待っているのではないか、と。
今、書いてみたい物語
親になってから特に、人生に「物語」がもたらす重要さというものをひしひしと感じている。
子ども時代にどんな「物語」に出会ってきたのか、それがその人の「指針」や「物の見方」を決めるような気がするのだ。
そしてそれらの物語は、大人になってから、見えない「盾」や「シェルター」みたいなものになって、その人を守ってくれる。そんな気がする。
だからこそ、敢えて今書いてみたいのが「大人のためのファンタジー」だ。
実は、下敷きみたいなものはできている。
今から7〜8年前、心身を壊して大阪に帰ったときに、ノート1冊分に及ぶプロットだ。
書く行為自体にものすごく体力がいるから、ほんとうに完成させられるかわからない。
でも、一心に創作に励む楓花さんとお話しするうちに、なんていうか、自分のなかにぽっと炎が宿るような感じがあったのだ。
だから、まずはここで宣言してみようと思う。
私は物語を書くのが好きです。
また、小説を書きたいです!
今度は糸崎舞として。
最後に、私が過去に出版したKindle小説を置いていきます。興味を持ってくださった方、ぜひ読んでみてください!
(Day.49)
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