怒りを封じ込めるな
「私たち、怒ってるんです」
昼食後、ソファに寝そべってうとうとしていると、テレビから凜とした声が聴こえてきた。
それは、一週遅れで視聴していたNHKの朝ドラ『虎に翼』で、主人公の寅子が言い放ったセリフだった。
寅子は男女の持つ権利の違いと、そこから起こる”見えない”不平等について、滔々(とうとう)と語り始める。
普通のドラマなら、ここで一気に盛り上がるBGMを流すだろう。しかし、一切の無音だった。聞こえてくるのは、寅子の真摯な言葉のみ。そして、ほんとうに少しずつ、少しずつ、カメラが寄る。そのたびに、寅子の瞳に炎がゆらめいていく。
私は、寅子から目が離せなくなった。そしてその名場面が終わったとき、はてと考えた。私、「私は怒ってます」なんて、ずいぶん言ってない。
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少女の頃の自分を言い表すと「火の玉」のようだったと思う。
女の子だった頃の私は、とにかく怒っていた。不正に対して怒り、理不尽に対して怒り。「おかしい」と思うことには猛然と「No!」を突きつけていた。
その生き方は確かにしんどく、私は行く先々で色々な人とぶつかっては、いつも傷だらけだった。しかし、挫けるということを知らなかったように思う。何か熱いエネルギーのものが、いつも胸のなかに渦巻いていた。真っ赤だった。
しかし今はどうだろう。怒りという気持ちから逃げている気がする。少女の頃のように、火の玉のような勢いをもてない。なぜだろう?
守ることが増えたから?母親だから?エネルギーがなくなったから?
アンガーマネジメントをはじめとするように、「怒ること」はマイナスなイメージを持たれがちである。
はたして「怒り」とは、排除すべきものなのだろうか?
歴史のなかでも、たびたび大きな「怒り」が世界を変えてきた。フランス革命では民衆の怒りによって王政が倒された。お隣の国・韓国でも、たった数年前に、国民が怒り当時の大統領を失速させたではないか。
『虎の翼』に出てくる女性たちは、いつも怒っている。理不尽さに、自分たちを個人としてみてくれない「社会」に、女性の権利を重視していない「家制度」に。そして、彼女らの怒りに触れるたび、私の胸にもごおおっと炎が燃える。
同じ理不尽さに怒ることができたら、きっとそこにはシフターフッド、ブラザーフッドが生まれている。そして結果的に、エンパワーメントにつながっていくんだと思う。
私たちには怒るという権利があるのに、ふだんはすっかりそれを忘れている気がする。「怒り」をそこにないもの、忌むべきものとせずに、きちんと自覚していきたい。
(Day.16)
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