DAY149 感動する、ということ。

今年も桜が綺麗だ。
わたしは毎年同じ桜を眺めては
その姿に感動している。

感動したことがない。

以前、相方さんがそう言っていた。
簡単に嘘をつくような人じゃないから
これが彼の本心なのは分かった。

感動するってことは
心が感じて動くってことだから
感じるセンサーが閉じているのだな
と思った。

だから
どうすれば開くのか?
そんなことばかりを考えていた。

『北風と太陽』よろしく
わたしは北風の役をやっていた。

どうにかしてこじ開けようと
彼のコートを引き剥がそうと
躍起になったのだ。


心が感じることをやめた
そこには何かしらの理由がある。
本人的には無意識だとしても。

気づかぬうちに
感情を出すことが『羞恥心』になったり
自分の本心が誰かの『不正解』になったり

そうしているうちに
自分の感情は間違っているのだ
という思い込みが生まれて
感じても感じていない振りを続けるうち
感じないことに慣れ過ぎた
のかもしれない。

仮説だけど。

でも、さ。
わたしと手を繋いだあの日のこと。

あの日のあなたが
間違いなく、心が震えていたのを
わたしは知っている。

あの日のあなたは
間違いなく、思考ではなくて
魂に突き動かされていたんだもの。

多分あれが、
感動、なんじゃないかなあ?

何かに突き動かされたみたいに
まるで魔法か呪いが解けたみたいに

いつもとは全然違ってたこと
今でもはっきり覚えている。


感動って別に『うわぁっ!』とか
『すごーい!』とか言わなくていいし
でもとにかく、
自分の内側がフルフルってするんだよ。

胸の奥があたたかくなるし
鼻の奥がツンってなるし
お腹の奥がきゅんとなる

それは
自分と、その対象が
調和したサイン。

人でも、自然でも。

そのとき
自分がここにいていい
っていう赦しが起こる。

あの日わたしも多分
感動したんだと思うんだ。

あなたがわたしのことを
ここにいていいって、赦してくれた。

もう、北風みたいにはならない。
あたたかく照らす太陽であることを
わたしは選んだから。

離れていても
太陽はあまねく照らすから
きっと大丈夫と信じる。

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