DAY072 マイノリティという杭は、一度出過ぎた杭になる必要がある。
昨日ヘラルボニーで
ワンピースを購入した直後のこと。
デザイナーの大先輩に
ばったり遭遇した。
声を掛けて
買い物した話をすると
わたしあんまり
好きじゃないのよねー
と、仰った。
ほほう。
そうなのかー、と思いつつ
理由を聞くことはしなかった。
人それぞれ好みもあるし
デザイナーという仕事柄も含め
価値を置く信念は強いから。
その方がどうか
ということではなしに
ヘラルボニーという
ブランドについて少し考えてみた。
障害者の描いたものを
アートとして価値を見い出し
ブランディングして高く売り出す。
見ようによっては
障害者を食い物にしている
と感じる人も
もしかしたらいるのかもしれない。
そしてわたしとしては
障害者であろうがなかろうが
価値を見い出してブランド化するのは
良いことであろうと思っている。
大切なのは
受け取る側が同じように
もしくはそれ以上に
価値を見い出すことだから。
そして思ったことがある。
マイノリティの世界は
基本的に『打たれる杭』である。
だからこそ
敢えてエッジを効かせないとならない
そんな時期が必要になるのだろう。
かつてのフェミニズムも
女性が意見できる場面が皆無だったこと
そこからエッジを効かせた活動を経て
『出過ぎた杭』になることで
女性たちの生き方が変わったと思うし
性的マイノリティだって
レインボープライドなどの活動で
だいぶエッジが効いたおかげで
認知されるようにもなり
パートナー制度も採用されるようにも
なってきているのだろう。
中庸って
両極を知って初めて真ん中を知ること
だと思っていて。
中庸な世界こそが
恐らく多様性というものだと思うけど
片方の側面だけでは成り立たないのだ。
打たれる杭は一度
出過ぎた杭になる必要がある。
障害者、というカテゴリの中で
ヘラルボニーはそれを
今、実践中なのかもしれない。
障害者だから、嫌だ
障害者だから、応援したい
そんな枕詞なんて必要ないくらいに
誰かが生み出したアートに
わたしがときめくか否か?
それだけでいい世界が、いいと思う。
エッジをガンガン効かせて
障害者という立場をアップグレードさせて
横並びになったときが
きっと本当のスタートラインだ。
障害者の件に限らず
いつか『みんなの当たり前』が
変わることをただ願うしかない。
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