DAY211 そこに愛はあるのか?

わたしの暮らす盛岡で、こんなことが起きている。

かつて老舗の酒蔵があった場所に高層マンションが建設される。そしてそのマンションから見える景色は岩手山、、、いやこのチラシの写真はどうみても岩手山ではなく、お隣青森県の岩木山だ!という衝撃的な痛恨ミス。
しかも、岩木山の画像さえもミラー(反転)状態で使用しているらしい。

わたしはチラシを〈つくる側〉の人間だ。そんなわたしが思うことを、市民目線を交えてつらつらと書いてみる。

まず最初に、こんなトンデモなチラシを堂々と出していただいたが故に、『盛岡の古い街並みを残す場所にそぐわないマンションが建てられること』の是非について考えるキッカケが生まれたのは、形はどうあれ良い出来事だったと思う。
そうでなければきっと『へぇ、マンションねー』って他人事で終わらせていたかもしれないのだ。

このマンションの会社については、わたしは詳しく知らないので言及しない。ただ言えるのは、盛岡に造詣の深い会社ではないのだろうということ。もっと言えば、愛のない会社とも。

ニューヨークタイムズで2023年訪れるべき都市の2番目に選ばれた盛岡。
わたしが思う盛岡の良さは、そんな選出劇があったにもかかわらず、急にインバウンド向きに態度を変えない、地元愛みたいなところだ。

そう、盛岡の人たちは、地元愛が強い。そして面白いくらいに、旦那さんの転勤などで盛岡に移住してきた人たちまでもが、盛岡を愛している。だからインバウンドの人に向けて態度を変えるよりも、一緒に盛岡を好きになってもらえたら嬉しいな!という感じなのかもしれない。(個人的見解)

これだけ市民に愛される盛岡、その象徴として岩手山がある。都市と田舎の絶妙なバランスと共に、いつも街を見おろし見守るようにそびえる岩手山は、わたしたちの心のシンボルみたいな存在だ。

それが、マンションのチラシで青森県の山にすり替えられてしまったら、いくら温厚で優しいと言われる盛岡市民だって、黙ってはいられないだろう。
馬鹿にするのも大概にしなよ?と思うのも致し方ない。

さらに住民説明会では『仙台の皆様』って言ってたらしい。岩木山は青森県だし、仙台は宮城県だ。ちなみに盛岡は岩手県の県庁所在地。さすがに呆れて何も言えねえ!

盛岡に限らず、きっと何処でも地元を軽んじた言動が続いたら怒りが湧いてくるだろう。そして、そんな〈軽んじた〉人たちが街並みの景観も考えずにマンションを建設する。
これ、このままにしちゃっていいわけ?

マンションのチラシは6月上旬に折り込まれたらしいけれど、声を上げて表面化したのはつい昨日。つまり、盛岡市民はこのマンションのチラシを〈見ようともしていなかった〉ということが言える。
それくらい、興味関心が低かったということだろう。

または見て気づいても何も言えねえ!だったのかもしれないけれど。奥ゆかしさ!

かく言うわたしも、あまり新聞を見ないから気づかないままだったのだけど、こうして声を上げてくれる人がいて、市役所が連絡をすることになり、そのことが新聞記事になったことで、ようやく自分の無関心さや、盛岡の街並みや景観を守ることについて、意識を向けることができている。

チラシの制作なんて、ミスは誰にでもある。仮にブラック企業なら、寝不足の中意識朦朧で作業していたかもしれない。そして画像の加工や合成も、今では当たり前の世界になっているだけに、取り違えたり差し替えミスなんてこともあるだろう。

例えば仮画像として岩木山を反転状態で当て込んでいて、それがそのまま差し替えにならず、誰にも気づかれないまま印刷まで行ってしまったパターンも考えられるだろう。

だから、ミスそのものは責めない。でも、世に出回る前に、誰かひとりでも気づくことはできたのでは?とも思うのだ。

状況は把握していないけど、仮に盛岡市内の印刷会社が印刷を請け負っていたとしたなら、その時点で気づけたのでは?とも思うし、新聞折込やポスティングの会社に届けられた時点で、誰かひとりくらい気づくだろうよ?とも思う。
でも盛岡市民は良くも悪くも控えめ故に、自ら声を上げようとしないフシは否めない。

自分が仮に他県(特に西日本とか)のマンションチラシの制作をするならば、いつも以上に気をつかうことだろう。知らない土地だからこそ、より敬意をもって丁寧に扱う。
実際、今は広島県のクライアントさまと仕事をさせていただいているけれど、知らない土地だからこそ、いつも以上にヒアリングと確認は大事だと痛感している。(そしていつか広島に行きたいとさえ思う)

盛岡という街に地元愛があればあるほど、今回の件については〈愛の無さ〉が浮き彫りになる感じがする。
そして、愛ある人の手で、愛ある開発がおこなわれることを心から望む。

地元を愛するが故に、今回ばかりは黙って見過ごせないのはわたしも同様だ。そしてさらにデザインを愛するが故に、その憤りは倍になる。

愛がないところに、花は咲かない。
今思うのは、そんなこと。

今からでは遅いと思うのか、今からでも間に合うと思うのか。どう捉えるかで、見える未来もだいぶ変わるだろう。

どうか愛あるカタチに導かれますように、と今は願うばかりだ。

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