DAY234 ツインレイではない。

気持ちが行ったり来たりしていた。
わたしの愛するあの人はツインレイだと確信してみたり、いややっぱり違うかもと疑ってみたり。目に留まったブログに違和感を覚えたり、この人の発信は真実な気がする!とYouTubeを聴き漁ったりした。

昨日紹介したYouTubeの中で、わたしと彼の関係性は〈ツインレイではない〉と話しているのを聴いた。それを否定する気にはなれなかった。そうか、ツインレイじゃないか。と、その言葉を受け取った。そして泣いた。

彼がツインレイじゃなかったら、彼のことを嫌いになるのか?というと、決してそんなことはなく。ただ、ツインレイという概念を、ふたりの関係性に持ち込むのをやめよう、と思ったのだ。

そもそもツインレイじゃないかな?と思い始めたのは、彼のことが全然忘れられなくて、ちっとも吹っ切れないからだった。この気持ちをツインレイという概念に当て嵌めておけば、忘れられないことすらも〈サイレント期間〉という現象ということにしておける。
ツインレイという言葉を借りて、わたしは彼を愛し続けていい、という許可を自分に下したのだ。

彼とのあれこれを振り返るたびに、自分の中にある本質のピースを取り戻してきた。自分を生きよう、と決意して、歌ったり旅をしたり、好きなことをして楽しんできた。いい人ぶって生きることを手放せた。少しずつ、本来のピュアなわたしに還る旅を積み重ねて今日まで生きてきた。

それは紛れもなく、彼をツインレイだと思い込んできたからこその道のりで、別離を含む彼との日々がなかったら進もうとすら思わなかっただろう。
だから、何ひとつ無駄なことなどないのだ。

わたしが手放すべきは、ツインレイの彼、ではなく、彼との関係性に勝手にくっ付けていた『ツインレイという概念』のほうだ。
ツインレイじゃなかったとして、あー違うなら次行くわーって話でもない。他の人と恋愛したい気持ちも、今はまったくない。いつか湧き上がることはあるかもしれないけど。

この地上世界で、彼と出会って、好きになって、両想いで、喧嘩(という一方的な言い掛かり)もして、愛されてない!と勝手に怒って戦争して、でも本当は無茶苦茶に愛されてたこと。そして、いまでも愛されてるって深いところで感じていること。

今のわたしは、片想いでも困らない。むしろ好きでいさせてもらえて幸せだ。彼を愛することで、わたしはわたしを愛することを学ばせてもらっている。そのことが幸せなのだ。

なんかそう思えたら、別にカルマ背負って輪廻転生してもいいかもなーなんて、呑気なことも思う。人間として生まれなくてもいいよ。その分、今生は人間の生きる醍醐味を味わい尽くしたい。

ツインレイじゃないのか。そう思えたとき、少し肩が軽くなったのが分かった。ツインレイなら自己統合して霊性開花してライトワークして統合して!みたいなのを、多分メンドクサ、って思っていたのだ。
もう、そんなのも目指さなくていいよ。気楽に気楽に、ただ自分自身に還ることだけで大丈夫。わたしはわたしをただ生きよう。

追記。
ツインレイという概念を持ち込んで、再び彼との関係性に条件づけをしていたことに気がついた!ツインレイだから霊性開花する、ツインレイだから彼から連絡が来る、みたいなこと。
これを手放せたら、ハートが喜んでる感覚がやってきた。そうだよ、わたし、無条件にただ彼が好きで、それはツインレイだからとかいう条件じゃなく、彼が彼だから。

心なしか、そうだよ、そういうことなんだよ!って彼がメッセージを送ってくれてる気がした。
わたしたちの関係性は、わたしたちだけのオリジナルで、それをカテゴライズして枠に閉じ込める必要はないんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?