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豊かの背景②

こんばんは、ちっぴーです🌟

今回は、前回に引き続き、富山の豊かさについて、探っていこうかと思います。

前回の記事はこちらから↓


富山県の特徴

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上図は、富山地域学研究所より、地理的・歴史的背景から見た、富山の構造です。

図を見ただけで、色々な要素が絡んでいることが分かりますね。

まずは、左上の部分の自然的な面から見ると、高い山岳によって、冬に日本海側からの季節風が大量の雪をもたらし、豊富な水を提供しています。

その水により、稲作農業の展開が進んでいきました。
他方で、薬業などで蓄積された資本を使って、明治期には、各種の社会基盤の整備が進めれてきました。

そこから、工業の誘致が始まり、戦後の軍需産業の民需化や、積極的な工業振興事業により、工業分野が発展してきました。他方で、 農業も各種の改良が重なり、工場等の働く場の存在により、兼業農家が増加してきました。

こうして、職場にも恵まれ、農家が多かったことともあり、富山の人々は、生まれ育った地域に住み続ける傾向が強く、社会移動が極めて少なかったそうです。

その結果、富山全体において、人々が分散して居住し続け、大都市が形成されず、鉄道の駅毎に中小都市が形成されていきました。

その為、自動車社会が進み、住宅は持ち家で広いものとなっています。

また、この環境は、核家族化の進行を抑え、規模の大きい家族、多世代同居を維持し続けることにもなりました。

これにより、家族が助け合って、生活を形成してきており、家計も家族が補い合うことによって、世帯当たりの所得水準はかなり高くなっています。一方で、地域社会での繋がりも強く、各種の地縁組織もよく残っているそうです。

富山は工業が強い、所得が高い、自動車社会だと言われている理由が、これでよく分かりますね…すごい(゜.゜)

そして、これが富山の”豊かさ”、その歴史的背景及び地理的背景です。


変革への課題

この上で、これからの富山は、経済社会が大きく変化していく中で、新しい地域社会をどう創っていくかが課題となります。

モノづくりを中心とした産業を国際経済の中で、持続可能な構造にどう変革していけるか。
人口減少や地球温暖化の制約等の中で、居住をどうコンパクトにまとめていけるか。
世帯規模の縮小など人々の繋がり弱くなる中で、自立する強い生活をどう維持していけるか。

次回は、そこを探っていきます。

これからの富山に向けた、提案の”ヒント”を書いてきてあるので、是非、その点も参考にしていけたらなと思います。

それでは、次回の記事までゆっくりしていってね🌟




富山地域学研究所とは?

これは、大学の元教授が立ち上げた、これからの富山について、様々なデータや情報を載せながら、考察しているサイトです。

非常に読み応えがあるので、気になる人は是非、ご覧になって下さい🌟

それについて、書いた記事もありますので、こちらもご覧下さい🌟


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