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≪短編小説≫幸せのありか

 きょうはこの人にだけには会いたくないな、と思っていた人物が目の前に立っている。
ああ!なんということ。

 晴れた日のランチは職場付近の公園で摂ることにしている。長年勤める会社では昼食も会議室で一緒にという暗黙のルールがあった。それが息苦しくて外食をするフリをして公園へ来ていた。
きょうは午前中に重い会議があり、気持ちを変えるためにも外の空気が必要だったのだ。
暑い夏もやっと終わりに近づき、木陰のベンチには心地よい風が流れていた。

「あーら、こんなところで食べてるの?日焼けしちゃうわよ。」
そこには日傘をさした朱美が立っていた。これで大切なランチタイムが台無し。
「一人ぼっちで寂しくないの?」
無視するわけにもゆかず
「久しぶりね、元気そうで何よりね。」と微笑んだ。
ベンチの隣を進めようかとも思ったが、高級そうな白いワンピースの朱美が座るとは思えずやめておいた。髪は緩くカールされていて化粧も完璧だ。
朱美はわたしの正面に立ったまま
「いつまで働くのよー いい人はいないの?」と訊いた。
良い人が出来たら寿退社。いつの時代のこと? とはいえそのいい人がいないのは事実だが。
「そうね、まだ働くわ。」とだけ言っておいた。
「きょうはどこへ?」
「今からママ友とKでランチよ。それから彼の誕生日プレゼントを探さなくちゃ。」
「それは素敵ね。楽しんできて。」
時計を見ながら無理やり会話を終わらせた。

Kはフレンチの名店だ。優雅にランチとはいい御身分ね。

   ********

 朱美は高校の同級生だった。親友と言われる間柄ほどではないが、同じクラスで席が近く会話をする程度の仲だった。
それが大学を卒業し働き始めたころに朱美から突然電話が入った。
「Aで働いてるんだって?すごいわねー。」
卒業以来私が働いているA社はいわゆる大手と呼ばれる企業だ。
朱美はどこからかそのことを聞いたらしく、時々電話をして来ては近況を話すようになった。
朱美は真剣に仕事をするつもりは無いようで、会社の人々の悪口を言っては彼氏が出来たらあんな会社いつでも辞めてやるというのがいつもの電話のパターンだった。
「ねえ、おたくの会社の男の人と合コンのセッティングしてくれない?」
ある日朱美がそう言った。ああそれが私に近づいた狙いだったのね。

 あまり気乗りはしなかったので曖昧な返事をして誤魔化していたら
「何時になったらセッティングしてくれるわけ?」とけんか腰に言われ仕方なく段取りをした。
同期の晃に「同級生にこんな子がいるんだけど。」と相談した。
晃たち男性社員は自分たちの交際に関する『市場価値』については十分理解しているし、激務の中での貴重な出会いの場は歓迎らしく快く応じてくれた。
晃の部署の先輩二人を誘い、晃と合わせて三名。
女性は朱美と朱美の大学時代の友人、そして行き掛かり上仕方なく私が参加した。
場所は当時流行っていたエスニック料理店。

 朱美が連れてきた同級生は大人しい特徴のない子だった。私は男性側の身内でもあり引き合わせ役でもあるので、食事会の場は朱美一人が目立ち女王様のごとく振る舞い、3人の男たちを手玉に取っていた。
その食事会の後、同じメンバーでもう一度食事をしたが、朱美からの連絡は途絶えた。お気に召さなかったのかなと合コンのことも忘れたし、 何より朱美からのいつも同じ内容の電話が来ないことにほっとすらしていた。
 
 半年くらい経ったころ、晃が大スクープだと言って私の席にやってきた。
「N先輩が結婚するんだって!相手は朱美ちゃん」
N先輩はあの合コンのメンバーの一人、これには驚いた。しかもすでに妊娠3か月なのだそうだ。寝耳に水とはこういう状況なんだなと、晃の言葉を聞きながら変なことを考えていた。
「まあやるわね」としか言葉は無かった。
 
 朱美からはその後も何の報告も感謝の言葉もなかったが、結婚式、披露宴には招待された。
しかも「合コンをセッティングしたのはあなたということにして、私は偶然参加したと言うことにしてね」と頼まれた。
晴れの日に波風を立てるほど愚かではないので愛のキューピット役を演じて見せたものだ。

   ********
 
 そして今、夫は大企業の社員でしかも将来を嘱望される若手のエース、上の子どもはお受験を経て私立の小学校へ入学し、下の子どもは有名幼稚園に通っている。朱美は金に飽かせてエステに行き、流行の服で着飾ってセレブなお稽古通い。家族の食事会や家族旅行の様子は朱美がSNSで丹念に発信している。それは典型的なエリートサラリーマンの幸せの肖像だ。

 私の勤務している会社の給与水準が高いことは身をもって分かっているが、それにしても朱美家族は贅沢ねと気になることはあったが、その思いは私の嫉妬の産物であろうと気持ちに蓋をして無理に忘れていた。
 
  ********
 
 昨年度の人事異動で私は長年務めた企画開発から、内部監査の仕事になっていた。
そこでNがチーフを務めるチームの不正を発見してしまった。Nは特定の協力会社から多額のリベートを受け取り、それを架空の会社へ送金し私的流用していた証拠を掴んだ。
きょうの午前中の役員会でその顛末を報告したばかりだった。午後一番でNは担当役員に呼ばれるはず。
 
「偶然見つけたのよ。わざとじゃないからね。」
ゆったりと歩いてゆく朱美の後ろ姿につぶやいた。


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