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第二の師匠

藍甕を据えることになったけど、藍の師匠であるTさんはもう藍染は教えてくださらない・・・では、どうやって藍を建てたらいいのだろう・・・。

これまでの経緯はこちらから読んでみてください。
「藍染の始まり」
「藍染を始めるために、藍畑を始める」
「引き継いだ藍甕」

ある時、お隣の福井県大野市から石徹白洋品店の店舗にお客さんとして来てくださった方に、私が藍染を始めたいと思っていることを伝えると「大野で藍染を何十年もされている人がいますよ!皆藤さんという方です。紹介します。今度連れてきますね!」とおっしゃったのです。

石徹白は大野まで車で1時間ほど。こんなに近いところに何十年も藍染をされている人がいるなんて!と胸が高まりました。紹介してくださったのは、大野市で映像作家をされている長谷川さんという方で、まちづくりの視点からメディアを立ち上げられ、ちょうど藍染作家の皆藤俊雄さんを取材したところだったそうです。

長谷川さんは早速、皆藤さんを連れて来てくださることになりました。そして、その日はたまたま藍甕をくださったTさんが石徹白に来られる日と、本当に偶然、重なってしまったのです。

私はなんだか悪いことをしているような気がしてしまいました。これだけお世話になったTさんがいらっしゃるのに、違う藍染職人さんに会おうとしているということが、なんだか心苦しい感じがしたのです。

でも、私は意図して、Tさんと皆藤さんがいらっしゃる日を同じに設定したわけではなく、ごくごく自然の流れでこうなってしまったのは双方の都合もあったことで避けられなかったこと。私は観念してこの流れを受け入れようと覚悟しました。Tさんになんて思われるかを恐れつつ・・・

Tさんはいつもの仲間とともに、この時は確か柿渋染めの材料となる柿渋を自分の手で作るのを教えてくださるということで、来てくださっていました。渋柿を臼と杵で潰して、それを瓶に入れて発酵させるというプロセスです。

Tさんを中心として藍畑から始まり、いろいろなことを実践していく人の輪ができていたのです。私自身は小さな子供たちの子育てをしている時期だったので、子連れで学ぶことのできる場があることは、本当にありがたいことで、その時間をいつもとても楽しみにしていました。Sさんも一緒に多くの機会に参加されていました。

こうして作業をしているところに、長谷川さんが皆藤さんを連れてやって来られたのです。私は皆藤さんと少しお話をした後に、すぐにTさんと引き合わせました。

「こちらは、郡上で50年以上藍染をやっているTさんです。私に藍畑を教えてくださって、藍染めを始める応援をしてくださっています。」

「こちらは皆藤さん。私も今日初めてお会いしたのですが、大野で藍染を30年もやっていらっしゃるそうです。」

私は緊張して半ば凍りつきながら、それを見せまいと明るく2人を紹介しました。

・・・

すると、2人ともニコニコと微笑んで、藍染の話を始めたのです。藍を畑から育てて藍染をやっている人は、正直なところ全国的にみてもそう多くはありません。それを実践されてきたお二人。ものすごい大変なエネルギーと時間を費やして、苦労を重ねてやって来られた。それを出会った瞬間に理解しあったのか、話は弾みました。聞いていてもわからないような内容もあって、私はとにかく隣でふむふむと聞いているくらいでした。

話が始まってどのくらい経ったでしょうか。私が少し席を外してお店の方にいた後に戻っていくと、Tさんが笑顔でおっしゃったのです。

「馨生里さん、この方、とてもいい方だし藍染をずっとやっていて、しかも今も甕を持ってやっておられる。この方に藍染を教えてもらうといい」

「・・・!!!??」

「僕はもう藍染をやっていない。甕も無くなってしまった。甕の味、甘い、辛いを教えてあげることもできない。でも皆藤さんだったらそれができる」

なんとっ!初対面なのに、Tさんと皆藤さんはすっかり打ち解けて、かつ、Tさんは皆藤さんを全面的に信頼されている・・・しかも皆藤さんはそんなTさんの話に、

「ああ、いいですよ。藍を建てるところ、教えてあげましょうか」

と快諾してくださったのです。なんていうこと!私はこの奇跡的な瞬間、何がなんだか信じられなくて、呆気に取られてしまいました。

でもとにかく藍染を教えてくださる方が見つかって、しかも、Tさんの判断のもと、皆藤さんに委ねられるということが起きて、2人の出会いに冷や汗をかきながら立ち会った私としては、驚くようなありがたい状況で信じられない心持ちでした。

こうして私は第二の藍染の師匠である皆藤さんと出会うことができたのです。

藍甕を据える前の秋のことでした。なので、藍甕工事を翌春に終え、すぐに藍建てを始めることができたのです。2017年5月が初めての藍建てとなりました。

その時、私のお腹には3人目の子が宿っていて、10月出産の予定。なんとか1回目の藍染めをやってみて、出産を迎えることができたら・・・考えたのです。

今思うと無謀ですね・・・妊婦が、かつ上にまだ小さな子供が2人いながら、しかも初めての藍建てに挑戦するなんて。とはいえ、それは私だけではないようで、周りにも元気な妊婦がいますが、やろうとする、やりたいことがあったら妊婦であろうが何であろうが突き進んでしまうのですね。周りの人はハラハラしながらも見守るしかない、そんな状況だったのだと思います。

こんな奇跡が起きて、私は無事に藍染を始められる、そんな状況が生まれたのです。

春になって、雪が溶け、暖かくなった5月。藍建ての準備が始まりました。その前に・・・私はやはり妊婦で重たいものを持つこともできないし、動きが鈍くなっていて、1人で藍染をやるのが不安だったこともあり、初めての「インターン生募集」をかけてみました。

一緒に藍を学んでみたい人に石徹白に一定期間住んでもらって、藍を建てるところから染めるところまでやってくれる人を募集しようと考えたのです。
初めて参加してくださったまりさんは、今でも深く関わってくださっていてうちの藍染め、草木染めになくてはならない人になっています。また、インターンをきっかけに社員として仲間入りした人がこれまで2人。

石徹白洋品店のインターン制度は今でも続いていて、毎年何人もの人が来てくださって一緒に藍建てから藍染をしてくれてとても助かっています。スタッフ採用の前段階としてのインターンシップではありませんが、山奥の地域なので採用枠がある時は、私としてもインターンを経て来てくださる人を優先しています。

さあ、ついに初めての藍建て、藍染が始まります!

この様子を皆藤さんを紹介してくださった長谷川さんが映像作品にして残してくださいました。よかったらyoubueからご覧ください。


不思議なことと思うのですが、Tさん同様、皆藤さんも素晴らしい方で、本当に熱心に藍染について教えてくださったのです。見ず知らずの初対面の私だったのに、皆藤さんがやってきたあらゆる経験や知識、知恵を余すことなく私に伝えてくれようとしました。

どうしてこんなに良くしてくださるのか・・・藍染をやっている人の特性なのだろうか・・・あるいはやはり偶然、素晴らしいお二人との出会いに恵まれたのか。

私は藍染を始めた2017年から今年で7年。Tさんや皆藤さんの行動の理由が少しだけわかるようになってきました。私は学びながらなので完璧な知識と経験を積んでいるわけではないのですが、私より後に藍染を始めたいと思う人には惜しみなく私の経験を伝えようと思うようになっているのです。

それは、Tさんや皆藤さんにそうしてもらった、というベースが、もちろんあります。一方で、藍はとても難しくてちょっとのことではなかなかうまくできません。だから、真剣に本気でやろう、やり抜きたいと思っている人はつい応援したくなるのです。

こうすればいい・・・という答えが一つではないし、うまくいかないことの原因も複合的なので、伝えても必ずしも成功するわけではない。常に試行錯誤だし、常により良い方法を模索していく必要があります。さらには、1人で悩むのが得意ではない私は仲間を増やして、相談し合える関係になるといいなという思いもあります。

今でもありがたいことに、皆藤さんには頼らせてもらっていて、不安なことがあると会いに行ったり、電話をしたりして、相談させてもらっています。いつか私が相談される側になれるように、さまざまな経験を通して学んでいきたいと思っています。

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