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「私、ここに住みたい」。(+移住地探しについて考えてみました。)

初めて石徹白を訪れたのは、2007年8月のこと。

”じぞけん”(前回の記事を参考にしてください)に関わっていた駒宮さんが、石徹白の地元の方達によるNPOの設立時につながりを持っていました。駒宮さんは、石徹白は水が豊富で小水力発電の可能性が高い、ということで、私たちを連れてきてくれました。

岐阜市から国道156号線を北上し、白鳥を過ぎたあたりで、檜峠という峠道に入ります。そこから30分ほど、ヘアピンカーブが続く険しい道を登っていきますが、まさかこの先に集落があるなんて・・・と思うような道のりです。

(今や私にとって峠道は生活道路ですが、初めて来られる方にはハードルの高い道・・・。よくぞ石徹白洋品店本店にお客さまが来てくださる、といつも感謝しっぱなしです!)

峠を越えて少し下ると、ぱっと開けた鍋底のような土地に家々が点在しています。

鍋底のように開けた集落。奥には白山連峰が聳えています

夏の暑い時期でも冷房が必要ないほど涼しくて爽やかです。初めて石徹白を訪れた時も、ここはなんて気持ちがいいんだ、と感激したことを今でもよく覚えています。

初めて出会うわたしたちを快く受け入れてくださったのは、地元のNPO法人やすらぎの里いとしろのメンバーでした。

若い方は30代、それ以外の方は60代以上の方たち。どなたもとても体ががっしりされていて、手が大きく、しっかりと焼けて逞しく、存在感があって、なんだかこれまで私が暮らしてきた場所ではあまり出会ったことのないような方たちに思えました。

20代のよくわけの分からない岐阜市からやってきたわたしたちを、心から歓迎してくださって、温かくて心地よい雰囲気で話が進みました。(今思うと、よくもまあ、見ず知らずのわたしたちをこんなにも暖かく迎えてくださったと感謝してもしきれません。)

早速、水力発電ができそうな水があるところを訪ねて回りました。

清らかな水が流れる水路が集落の中を巡っています。どこにいても水の音が聞こえてくる。空は広く天が近く感じられました。足元には豊かな水流、上には輝くお天道様。ここはなんて素晴らしいところなんだ、と私は感覚的に魅了されました。

そして、「私、ここに住みたい」と本気で思ったのです。

初めて訪れたとは思えないような、なんだか懐かしさも感じる、素晴らしい土地。ここなら、この土地の人に囲まれて、安心して暮らせる気がする。そんなふうに感じました。

私は思わずそのことを地域の方に伝えましたが、顔を見合わせて笑っているだけで本気にしてくれませんでした。当たり前です。20代の独身女子が一人で石徹白に住めるはずがない。そう思われても当然。冬は雪が数メートル積もる豪雪地域で生活が厳しいことを私は全く知らなかったのですから。

雪がすごくて大変!と教えてもらってもいまいちピンと来なかったし、それでも私は大丈夫!って思っていたので、私は家を紹介してほしいとお願いまでしていました。

地方移住の移住地探しについて考えてみました

今振り返ると、この石徹白への「一目惚れ」は何だったのだろうかと思うのですが、土地との相性ってそういうことなのかなと感じています。今、地方移住を考える人が、コロナ禍を経て増えていると思うんです。ここにも、どこかへ移住したいと思って見に来られる、話を聞きに来られる方がいます。

「どうして石徹白だったのですか?」と聞かれると、「ここだって思ったんです。」「一目惚れだったんです」とお話ししています。

移住した理由として、”自然が豊かで美しく、人々が逞しくて自給的な暮らしをされていて、ここだったら安心してコミュニティの中で子育てできそう” というのはもちろんあるのだけど、条件を出して頭で考えて選ぶのだったら他にもいろんな場所があると思います。でも、決め手がないですよね。

私はこの時期、郡上の他の地域にもお邪魔していたし、他の田舎も訪れる機会もあったのです。けれど、直感的に「ここだ!」って思ったのが石徹白でした。

そもそも”地方移住”という言葉もその頃はなかったし、私が山間地に住むことは私自身も周りも想像していなかったことなのです。学生時代には海外で働くことを考えていたし、故郷の岐阜市に戻ってきて、そこでまちづくりみたいな活動にも参加して、何となく、そこで生きていくのかな、と思っていました。

でも石徹白に出会って人生は大きく変わったのです。
全ては「直感」だったのです。

だから、どうやって移住地を探そうか、とか、どうしたら良さそうなところに移住できるのか、と聞かれたら、まずはいろんなところを訪れて、その土地と自分の相性がいいかどうかを”感じて”ください とお伝えしています。(考えることより、感じることが大切、と私は思っています)

家を決めるのもそうだと思うのですが、ここだったらいいな、とかここはちょっと違うな、とかそういう感覚を大切にすることだと思うのです。その後、長いこと住む、ある程度腰を据えて移住するのであればとにかく「相性」は欠かせないです。

その「相性」は、そこに住んでいる人たちとの相性も含めてだと思っています。地域ごとに気質があるから、同じ郡上の中でも地域ごと(広域合併しているから旧市町村ごと)でもそうだし、集落ごとでも少しずつ人の性質が違うように思います。

初めて訪れて感覚的にここだ!って思ったら、しばらく通ってみることをお勧めします。季節ごとに地域の表情は全く違って、実際にここは住めそうか、とか、ここは無理そうだ、とかわかってくるかと思います。

加えて、土地の人と交流することで、地域性がより明確に見えて、地域の特徴が掴みやすく、自分の希望、方向性と照らし合わせやすくなっていくと思います。

石徹白は山奥で田舎なのですが、私がイメージしていた田舎ならではの劣等感 みたいなのが全くなかったのが意外でした。田舎だからここには何もない、と口癖のように岐阜の人は言いますが(それはもう10年以上前の話です)、石徹白の(私が出会ってきた)人たちは、石徹白をとても誇りに思っていて郷土愛が深いと感じました。自分たちのルーツ、地域の歴史や自然のことをよくご存知で、地域の信仰の場(神社やお寺、お堂など)を大切にされている人たちが多いという印象です。

カンボジアで出会ったおばあちゃんが伝統織物のことを熱く語っていたのに感激したことを思い出し、「住むのなら、自分の住んでいるところを誇りに思いたい」。だったら、自分の故郷を誇りに思っている人たちが多い石徹白はぴったりなんじゃないか!と思ったのです。

3年の猶予期間

石徹白は冬は2ー3メートルの雪が積もる豪雪地帯です。私がここに住みたいんだ、とその頃お世話になっていた郡上の方達にお話しすると「絶対無理」とか「やめておけ」と強く言われました。あそこは郡上の中でも、岐阜の中でも、いや、日本の中でも雪が多くて厳しいところだから、君には住めないだろう と言われました。

でも、可能性をゼロにする話ばかりではなく、「3年通って、雪を見て、それでも住みたいと思ったら、いいんじゃない?」を言ってくださる方もいました。その方は、郡上の他の地域に移住した先輩で、そこも雪がたくさん積もる土地だったのです。

その言葉に私は従って、そうだ、3年通ってみよう、と思ったのです。3年通ってそれでもここだって思えたらここにしようって。

逆に、3年は猶予があるのだから、その間に家を探し、ここで何をしていくかを考えて、形を作っていこう。それが私の石徹白での暮らしのベースになる。

まずはここの土地の人と交流すること、そして地域のことを知ること。神社のお祭りに通ったり、地域の行事に参加してみる。詳しい人に話を聞いたり、この土地を歩いてみよう。関係性を深めていくにはどうしたらいいかな・・・

そこで始めたのが「聞き書き」でした。(これについては次のnoteで書こうと思います)

こうして、急に移住したのではなく、準備期間があっての移住だったので、計画的によくよく考えて、何を仕事にするのか、どういう暮らしをしたいのかも含めて妄想を膨らませていったのが、今に繋がっているのです。


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