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2年弱付き合った人とお別れしました

好きな人と別れた。まだ少しだけ涙が出るということは完全にはまだ断ち切れていないということだけど、今の二人のままこれ以上前に進むのは絶対無理だったしもう最後のほうとか辛すぎて毎週泣きすぎて死んでいたから、今このタイミングで別れを選んだことに対しては1ミリも後悔はない。というか、今までとてもよく頑張った。私も、彼も。カップルが何かの賞で国から表彰される制度がもしあったならば「最後までよく粘ったで賞」を絶対に勝ちとれる。それくらい私達は、今の自分たちができるすべてのことをした。その上で、別れた。

正直なことを言えば、まだ寂しい。まだ怖い。ありのままの自分を出せる場所がひとつなくなった。ひとつ、というか、ある意味では彼ひとつしかなかったから、全部なくなった。家族といても、一人でいるような気持ちになる。それは家族にも失礼な話なのだけれど。まだ少し心は弱っている。

それでも、別れる決断をする直前よりは、気持ちは明るい。自由になれたからかな。LINEの返信を待つ時間がなくなった。話し合いで一喜一憂する時間がなくなった。彼にまつわるどうしようもない悩みについて、考え続けてしまうこともない。私がどこで誰となにをしようが、自由だし、それに罪悪感を感じる必要もない。明日から、とびきり新しいことを始めたっていい。自分にまつわる可能性は、一週間前の自分よりもひと回りもふた回りも大きい気がしてる。だからきっと、これで良かったのだと思う。

仕事を辞めて、最低1年は外国に住むかもしれない。しれない、っていうか、私のことだから多分数カ月後にはいろいろと決めて、さまざまな準備や勉強に明け暮れる日々になるのだと思う。

破局の決定的な原因は最後までわからなかった。でも、私側であるとするならば、自分の人生を一旦放棄してたところかなと思った。放棄、と書くのは大げさかもしれないけれど、ここ二年くらいの私は、正直彼に逃げていた。仕事もそれなりはやっていたけれど、それなりだった。彼に着いていけば、平和で穏やかな人生と家族が手に入ると思っていた。彼が裏切らない(裏切れない)ことはわかっていたし、私のわがままを却下できる器がない人だった。そこに漬け込んでいた。自分を卑下しすぎているかもしれないし、恋愛中の女性は多かれ少なかれみんなそうなのかもしれないけれど、私はそればっかりじゃバランスがとれなくなる人間。それもわかっていた上で、見たくないことには見ないフリをして、無理やり進めてしまった。だから、私の弱いところやずるいところが、最後は仇になってしまっていたのだと思う(もちろん、彼の優柔不断さや、人に弱さや自分らしさを出しきれないところ、カッコをつけすぎるところ、あまりにリアリストすぎるところなども、悪いと思っている。私だけのせいではない)。

こういう分析をすればするほど、私は一生、結婚や出産やパートナーと添い遂げる、みたいなことができない人生なんじゃないかなと、思う。怖い。今までは自分の容姿のせいかなとか本気で思っていたけど、そうではないなこれは。私のひん曲がった厄介な性格が、私自身を不幸せにしている。不幸せ?というか幸せに対して貪欲すぎるモードになっている?というか。まあそのへんは紙一重なのかな。とにかく私は、自分に対しても、自分の好きな人に対しても、あまり精神的な妥協ができない人間なのだと思う。

現在進行系で、寂しい。誰かに寄りかかりたい。わかりやすく必要とされたい。居場所をみつけたいし、居場所だと言ってくれる人がまたすぐに現れたならば嬉しい。でも今すぐに誰かに出会ってしまったら、私はきっとまた、そこに寄生してしまうし、依存してしまうし、自分の人生をその人に投げてしまう。意図せずそうなってしまったときは仕方がないけれど、少なくとも、自分からそういう人を探しにいったり、自分から懇願したりするのは、しばらくの間はやめよう。たった一人の自分が、たった一人の自分のためだけに、今したいこと、できること、未来に向けて積み上げたいこと、後悔しないようにしたいこと、絶対にほしいもの・こと、絶対にしたくないこと、は何なのか。きちんと自分だけと向き合って、今時点の自分の答えを出さないといけない。そうしないと、この2年足らずの日々に失礼な気がする。私は手放した自分の幸せより、さらに大きくて太い幸せを、自分の力で捕まえないといけない。自分で自分を幸せにしないと。そうじゃないと、ヤツに示しがつかない。私のほうが先にこのトンネルを抜けたい。今は少しだけつらくてこわくてさみしくて心細くてたまにお腹が痛くなるけど、逃げずにいろんなことを考えて整理して自分を導いてあげないと。そのための今だ。

写真はまだ消していない。消したほうがいいのかな・・・。会いたい、とかではなく、あんなにも自分に向き合ってくれて好いてくれた人がいたという思い出や記憶を、もうすこしだけ残しておきたいという気持ちがある。そういう大事な思い出を自分の今の生きる糧にして、自分はもっと幸せになってもいいって思い込みたい。不健全なサイクルかもしれないけど、そういう風に使わせてください。もう少し時が経ったらきっと、ただの過去にできると思います。

航平には「そんなキモいやつやめとけ」って言われたけど笑(あいつなりの優しさもあっての言葉だったと思う)、私にとっては、人生で一番の、不純物ほぼゼロ%の恋愛だった(彼側はたぶん本当に仕事するか寝るかキャンプするかしか私といないときにしていなかったけど、私はそれなりに自由にしてたことは墓場まで持っていかないといけない・・・白目。まあでもどんな遊びをしたとて結局彼より大事にしたいものを見つけることはできなかった)。

生きることがすごく上手いように見えて実はクッソ下手で、嘘が言えなくて、不器用すぎて、私があんなにハッキリと怒りを示した恋人は人生初だったけど、それほどに彼は私に対して彼なりに全力で向き合ってくれて大事にしてくれていたのだと思う。

「愛…とは…?」って30年間ずっとわからなかったし、今もきちんと説明することはできないけど、人から愛されるってこういうことなのか、って、大人になってはじめて実感させてくれた相手だった。本当に今までありがとう。沢山怒って、沢山不満をぶつけてしまって、私のせいでたくさん仕事徹夜させてしまってごめんね。

いつかどこかでまた会うことがあったら、二人ともそれぞれの場所で幸せに過ごしているって話ができますように。ま、あたしのほうが確実に色々と手にして勝手に幸せになるけどね。これはゼッタイ。

ではでは。1年と9か月、本当にありがとうございました。
去り際、ありがとうって言えなかったから、勝手に代わりにここで言わせてもらった。一緒に辛いごはんをたくさん食べる時間が本当に楽しかったから、その時間がもう過ごせないことが一番寂しいけど、次のパートナーの人にも辛いご飯たくさん食べてもらうようにするね。

今までありっとう。


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