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野球とユダヤ教の奇妙な「出会い」:日本未公開野球映画を観る(34)

The Yankles(2009)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

神学校の野球チーム

 「野球後」の映画を取り上げるのは久しぶりになる。
 主人公は引退したのかどうか定かではないが人生に行き詰まり、ひょんなことでアマチュアのチームを指導することになる。よくある設定で、『ホームラン−人生の再試合』(2013)に似ているし、引退後だとすればOne Hit from Homeも同様だ。
 かつてメジャーのスター選手だったチャーリー・ジョーンズは飲酒運転を繰り返して服役したが、192日間の社会奉仕活動を条件に仮釈放される。そこへ昔の恋人デボラの弟エリオットがチームの監督を引き受けてほしいと頼みに来る。姉弟はユダヤ系で、エリオットはAAまで行った元マイナーリーガーだが、イスラエルに「帰郷」した際に信仰にめざめ、野球をやめて神学校(「イェシバ」)で学んでいる。その学校が野球チームを作ってカレッジのリーグに加盟することになったのだ。
 チャーリーはデボラとよりを戻したいこともあってこれを引き受け、ユダヤの独特の服装や髪型でプレーする奇妙な素人チームに野球を教える。彼もイディッシュ語(ユダヤの一言語)を学ぶなど真剣になるうちにチームは力をつけ、リーグの優勝決定戦に進出。惜しくも敗れるが、チームは勝利より大事なものをつかみ、ユダヤの教えに従って生きることを決めたジョーンズはデボラと再出発する。

「超正統派」のユダヤ教徒たち

 ストーリーはよくあるものだが、設定は独特だ。ユダヤの「超正統派」と呼ばれる、ユニークな服装や髪型の人々(上の写真)が野球をすることの視覚的インパクトがまずある。そして、ユダヤ教との関係を軸にストーリーは展開する。デボラとエリオットの姉弟はユダヤの教えに忠実に生きているが、やはりプロ野球選手だった父はユダヤ教を忌み嫌っており、野球より信仰をとった息子を許せない。
 ユダヤ教では祝日が多く、リーグ戦の日程を組むのに苦労した挙げ句、優勝決定戦が祝日に組まれるという嫌がらせや、相手にわからないようサインの代わりにイディッシュ語で指示を出すなどのエピソードは面白い。ちなみに題名のYankleとは、旧約聖書に出てくるユダヤ人の祖先「ヤコブ」の愛称で、もちろんYankeesとかけてある。
 また、チームにはエチオピアからの留学生が数人おり、母国ではクリケットをやっていたとか、ゴスペルやヒップホップ風の讃美歌(?)を歌って長老たちの眉をひそめさせるといったエピソードも出てくる。なぜエチオピア人かといえば、この国には古く(一説では約2000年前)から黒人のユダヤ人がおり、多くは20世紀にイスラエルに「帰還」したが、今もその末裔が住んで信仰を守っているのだという。

ユダヤ教と野球はなぜ出会った?

 このように、よくあるストーリーに独特な設定で味付けをしているが、なぜこの学校が野球チームを作ったのか、ユダヤの教えと野球はどう結びつくのかという、設定の根拠はやや弱い。
 ユダヤ教やその学校では旧約聖書をはじめ「本」に書いてあること、それを学ぶことを重んじ、野球も技術書を読んで理解しようとするが、野球人であるチャーリーやエリオットは「体験」を強調する。選手にそれが伝わり、両者の齟齬が次第に解消されていく「異文化理解」がテーマのひとつだと思うが、そもそもなぜ野球を、という疑問は十分解消されない。チャーリーの「再生」「復活」もテーマで、校長は彼が仮釈放中であることを実は知っていたと明かされるが、それもいわば「後付け」である。
 ユダヤと野球の「出会い」によって起こるコミカルなドラマは面白いが、なぜ出会ったのかはよくわからないというところだ。

アメリカにおける宗教と野球

 ここまでアメリカの野球映画を30本ほど紹介してきたが、宗教が重要な位置を占めている作品が7本ある。キリスト教(プロテスタント)がクリスチャン映画という形で2本(Full CountOne Hit from Home)、カトリック(Black Irish)、ユダヤ教(Extra Innings、本作)、モルモン教(Pitching Love and Catching Faith/Romance in the Outfield: Double Play)と、アメリカの主な宗教は既にだいたい出ている。
 アメリカは先進国の中で最も宗教的な国であるとよく言われ、ここではそれが実感できる。上記7本は意図的に選んだわけではもちろんないが、野球というスポーツが特に宗教と深く関わっているわけでもない(野球界はどちらかといえば伝統的、保守的である点で宗教と親和的、と言えなくはないだろうが、ごく大まかにいえば、である)。この多さはむしろ、アメリカ社会における宗教の位置が自然に反映された結果だと思う。
 ただ、これらのほとんどは日本で公開される可能性が低い、というかほとんどない作品である。つまり、日本ではこうした宗教的な背景は馴染みが薄くて理解されにくく、作品の輸入にはつながらないが、アメリカでは様々な宗教がこのように身近に存在し、それに従ったり支えられたり縛られたり葛藤したりしながら生きている人がたくさんいるということだろう。「日本公開」野球映画からはうかがえないアメリカの一側面である。
 日本公開された野球映画でこうした宗教の身近さが垣間見えたものとしては、『メジャーリーグ』(1989)のロッカールームで、試合前に(キリスト教の)お祈りをしようと提案する白人の投手エディと、ブードゥー教の神をロッカーに祀っている黒人セラノの争いというエピソードがあった。コミカルに描かれてはいたが、メジャー球団にはチャプレン(組織付の聖職者)がおり、日曜の試合前にはミサをする(もちろん参加は任意)といったことも、日本人にはピンときにくいが事実だ。野球選手も私たちが想像する以上に宗教的な世界を生きている。

 なお本作はユダヤ教の布教を目的とした映画ではないが、劇場公開されたこともなく、主に各地のユダヤ系の映画祭などのイベントで上映されてきた。撮影は経費を節約するため、映画撮影を州が積極的に誘致しているユタ州で行われた。そのため、ユダヤ教徒の役の多くをモルモン教徒が演じているらしい。

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