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家族再生への「延長戦」:日本未公開野球映画を観る(13)

Extra Innings(2019)

問題を抱えた家族と野球

 問題を抱えた家族の歴史の物語に野球が重要な意味を持って関わるという本作のような映画は他に思いつかない。心の病いや宗教、民族、同性愛、自殺、親子の確執といった問題が絡み合い、重いといえば重いが、そこで野球は自由や解放、フェアであることの象徴として描かれている。
 1960年代のブルックリンでユダヤの伝統に則って生きる一家の4人きょうだい。末っ子デービッドは野球に夢中で、非凡な才能を示している。兄モリスは心を病んで引きこもり、破天荒だが良き理解者の長姉ビビアンは家を出てカリフォルニアに住み、次姉リタだけが両親に従順に暮らしている。親の期待はデービッドがユダヤの教えを守ってビジネスで成功することだけで、野球には理解を示さない。
 デービッドの野球への愛は兄の影響らしく、野球を通じて辛うじて会話しているが、兄は心を開きかけていた外国人のメイドを両親が解雇したことで混乱し、デービッドの13歳の「バル・ミツバー」(成人式)の日に薬物を大量に摂取して自殺。試合のため祝宴を抜け出して帰宅したデービッドが発見する。
 5年後、高校で順調に才能を伸ばしたデービッドはカリフォルニアの大学から奨学金のオファーを受け、両親の反対を振り切って進学。近くに住む長姉はいつも試合に来て声援を送るが、最愛の同性の恋人に裏切られ、デービッドの眼前で自殺する。
 失意のデービッドは試合で同点の9回裏にあえなく三振するが、そのときスタンドに初めて試合に来た父の姿を見る。2人の子を失った家族の再生に向けた「延長戦」が始まるというラスト。
 病んだ兄のみならず陽気な姉まで自殺するのはいくら何でも、と思ったが、脚本、監督と父役を演じたアルバート・ダバの実体験だそうだ。

宗教由来の抑圧と親による承認

 ストーリーは重いが、デービッド、モリス、ビビアンをはじめ、結ばれない恋人ナタリーや見守り続けたコーチのニッキーら登場人物は魅力的だし、野球のシーンの解放感も際立ち、好きな作品になりそうだ。
 「問題を抱えた家族の歴史」がなにがしかの希望や笑いとともに語られる映画として、ジョン・アービング原作の『ホテル・ニューハンプシャー』(1984)と共通するものを感じる。何十年も前に見たきりだが、この作品でもきょうだい間の愛情や自殺がテーマになっていた。野球は全く出てこないと思うが、時代も近い。
 4人きょうだいが経験してきた困難のほとんどは、父親がユダヤの教えと自分に従って生きるよう押しつけてきたことに由来するのは明らかだ(兄はそれに従って野球をやめたことが示唆されている)。その意味でドラマの構造はシンプルで、あまり現代的には感じられないが、舞台は60年代なので当然とも言える。ただアメリカには今でもこのように宗教的に生きる人々が少なからずいることも事実で、リアリティを感じる人もいるのだろう。また、伝統宗教とは無関係の親による抑圧は、日本社会でも何ら珍しくない。
 それでも子どもは親による承認を求める。デービッドは親が一度も試合を見に来たことがないのを気に病み続けたが、幼いときに承認を得ていないからこそずっとそれを引きずったのだろう。

ユダヤの教えと野球の両立

 それはともかく、ユダヤの教えと野球はなかなか相容れないというか、両立が困難なのはデービッドだけの悩みではない。ユダヤ系のメジャー・リーガーは人口比で見るとかなり少なく、それは文化的な志向性、価値観の違いと、現実問題として両立が難しいことの両方が背景にあると思われる。本作でも言及されたハンク・グリーンバーグとサンディ・コーファックスというユダヤ系の2大スター選手は、いずれもユダヤの重要な祭日であるヨム・キプル(贖罪の日:9月末から10月半ばにある)に試合に出るかどうかという問題に苦悩した。これに関する原稿を載せておく。

ユダヤ系選手の悩みと誇り
(「アメリカ野球雑学概論」第146回、『週刊ベースボール』2005年9月26日号)

 昨年9月25日、ドジャースのショーン・グリーン外野手(現ダイヤモンドバックス)は地区優勝を争っていた対ジャイアンツ戦を欠場した。前日の夜からこの日の日没までがユダヤ教の最も重要な祭日のヨム・キプル(贖罪の日)にあたっていたためだ。グリーンは特に信心深いわけでもない一般的なユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤの伝統を重んじるためにこの決断をした(彼は01年9月26日のホーム最終戦も同じ理由で欠場している)。試合は7対4でドジャースが勝ち、最終的にジャイアンツを振り切って地区優勝した。
 ユダヤ系のメジャー・リーガーは現在約10人、これまでの合計で約140人いるが、アメリカの総人口に占めるユダヤ系の割合は2%強なので、これに比べるとかなり少ない。その彼らにとって、9月後半から10月前半にあるヨム・キプルはシーズンの終盤に重なるため、優勝を争うチームの主力選手が試合に出るか否かの決断を迫られることは過去にも何度かあった。
 グリーンの前には、同じドジャースのサンディー・コーファックスのケースがある。65年のヨム・キプルは10月6日だったが、この日は対ツインズのワールド・シリーズ第1戦にあたっており、エースのコーファックスはこの日に登板しないことをシリーズ前に宣言した。ドジャースはこの試合を落とし、コーファックスが先発した第2戦も敗れたが、彼は第5戦と第7戦で完封勝利して見事に取り返した。
 ユダヤの信仰と野球の間で悩んだ最初のメジャー・リーガーはハンク・グリーンバーグ1塁手だ。タイガースで本塁打王と打点王を各4回取って殿堂入りしたグリーンバーグは、34年のヨム・キプル(9月18日)の対ヤンキース戦を欠場した。しかし、彼が悩んだのはむしろその8日前のユダヤの新年の日の対レッドソックス戦だった。ユダヤ系として初のスター選手だったグリーンバーグには従うべき先例がなかっただけでなく、ナチスが台頭していたこの時代、ユダヤ人への差別意識はアメリカでも強かった。
 25年ぶりの優勝を期待する地元メディアは出場すべきだと書き立てる一方、ユダヤ教会の首脳もミッキー・コクレーン監督も明確な見解は示さなかったため判断は本人に委ねられ、苦悩の末に出場することを選ぶ。そして2本のホームランで2対1での勝利に貢献してチームは首位を固め、結局優勝を果たした。これによってユダヤ系選手や、ひいてはユダヤ人全体がデトロイトの町で受け入れられたとも言える歴史的な出来事で、このため後に続くヨム・キプルの欠場は大きな論議にはならなかった。また昨年グリーンの欠場に対して非難めいた声がほとんど起こらなかったのも、グリーンバーグやコーファックスがこうして先例を作り、同時にユダヤ人への差別意識も昔よりずっと和らいでいるためだろう。
 さて今年のヨム・キプルは10月12、13日で、リーグ・プレーオフの開始に重なるが、ダイヤモンドバックスのグリーンには関係なさそうだ。あるとすればカージナルスのジェイソン・マーキー投手、アストロズのブラッド・オースマス捕手、レッドソックスのゲーブ・キャプラー外野手(元巨人)だろうが、主力でないキャプラーは問題ないだろう。

 なお、2005年以降に活躍した主なユダヤ系選手としては、イアン・キンズラー、ケビン・ユーキリス、現役ではライアン・ブラウン、ジョク・ピーダーソンらがいる。

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