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自分を諦めたくない、そう覚悟した日

「少し前まで私は自分を諦めていた。」どこか悲しげに話すなみさん。その一方で、未来を語る彼女の姿は晴れやかで生き生きとしていました。そこにはどのような心境の変化があったのか。今回、様々な角度からインタビューさせて頂きました。彼女が目にしたそのままの景色や葛藤が、誰かの人生にそっと力を添えてくれますように。

三代澤菜実さん: 1990年生まれ、31歳。タンザニア人の夫と2歳の娘と3人暮らし。自身の実体験からメンタルコーチの活動を開始。現在はカウンセリングとコーチングを通し「心と人生を豊かに、自分を活かして生きていく」人達をサポートしている。


真っ暗な部屋での1年間

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ーー本日はよろしくお願いします。現在メンタルコーチとしても活動の幅を広げるなみさん。どのようなきっかけがあったのでしょうか?

今から約3 年前、出産後うつ病になったのが大きな転機だったと思います。ホルモンバランスが崩壊し、自分では感情のコントロールができなくなりました。

ーーできる範囲で、当時のことを教えてもらえますか?

色で言ったら黒。物が何もみえませんでした。自分が真っ黒な部屋にずっといて赤ちゃんの泣き声だけがそこにあるような。「全部に後悔した、結婚したことも出産したことも」と旦那さんに言ったのを覚えています。

カウンセリングを通し克服するまでの1年間はものすごく辛いものでしたが、自分も経験したからこそいつかサポートをしてみたいとメンタルコーチへの大きなきっかけになったと思います。




怖さを自らの強みへ

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ーー「過去の自分は人が怖かった」と伝えてくれました。なぜそう思っていたのでしょうか?

幼少期の頃にさかのぼりますが、父がものすごく完璧主義者で。学校のテストでさえ、父が理想とする100点満点を取れなかった時には罵倒される環境で育ちました。そんなプレッシャーに耐えきれなかった私は、「大人=怖い」という概念を無意識につくり上げていましたね。

ーーどのように意識が変わっていきましたか?

高校生の時に交換留学でアメリカへ1ヶ月行ったのが始まりです。もともと、自分から話しかける子供ではなかったけれど海外にはいろんな価値観の人がいて、その価値観を知ることがすごく楽しいと感じたんです。初めて、コミュニケーションを取るのも悪くないかもと思いました。

ーー帰国してから日本の生活に変化が?

「大人=怖い」と思っていたものが、「意外と人って面白いのかも」と気づいたんです!今までの人生の中で最も大きな心情の変化と言っていいほど、人に対する考え方が大きく変わりましたね。

ーー新しい環境がなみさんにとってすごくプラスに働いたんですね!




でも、実はまだ人前で話すのには抵抗があって…。約1年前まではそんな状況を避けて生きていました。

ーーそうだったんですね。というと、この1年の間なみさん自身に何か変化が?

そうですね、Rebornというオンラインコミュニティに参加したのがすごく大きいです。ライフコーチ純さんという方が主催するコミュニティで彼女の考え方が好きでその環境に入りました。

でも、最初の自己紹介の時に周りを意識したせいか話すのが怖くなったり、資料を準備したにも関わらず周りと比較して。「やっぱりこれ見せない方がいいかも」どんどん嫌な気持ちになったのを覚えています。

ーーそこからどのように話すことへの怖さを克服したのでしょうか?

コミュニティに入ってすぐ、半年後のゴール設定をしたんです。「人前で話すことを楽しくなっていたい」それを目標にしてから、声の録音をしたり旦那さんの前で事前に練習したりして。発表前に自分でやれることを全力で取り組みました。結果的にその半年後、まだ途中経過のような感覚がしたので自分の中では目標達成できず…。

その後、目標を設定して1年たった今。やっと「人前で話すことが楽しい」と感じられるようになりました。自分の強みだとも思っています!


ーー自分と向き合い続け、怖さを強みに変換させたなみさん素敵です!!




本当に私、夢ってなかった?

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ーー「夢を描くことは自分を苦しめるだけ」とおっしゃったのがすごく印象的です。数年前までそう考えていたということですが、なぜでしょうか?

そうですね。優先順位が自分から子供になった時に、夢って描けば描くほど、しんどいし重荷になると気づいたんです。叶える時間や労力、お金があるのならとりあえず娘の将来のためにと思っていました。


ーー現在は「夢は叶えるもの」と背中で語ってくれているようにもみえます。夢に対する大きな変化にはどのようなストーリーが?

「自分のことも諦めたくない」

そう強く思い始めたんです。育児も素晴らしいお仕事だけど、娘に貢献して私は終わるんだと思ったらたくさんの葛藤が生まれました。「本当に私、夢ってなかった?もっといろんな国に行きたいんじゃないの?もっとたくさん勉強したいことあるんじゃないの?」って。

葛藤の末「今やりたいことを全部やろう」この一択しかありませんでした。


ーー自分のことも諦めず夢を実現させていくお母さんの姿。きっと将来娘さんにとっても大きな財産になりますね。

今の自分は、留学へ行っていた高校生の時と同じくらい温度的に楽しいんです!年々夢が増えているのを感じて。いくつになっても楽しいことはやっていけるし、楽しさを見出すこともできるんだと思います。



自分の名前で生きていきたい

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ーー今のなみさんの夢を教えてください。

「自分の名前で生きていきたい」そう思います。

会社員をしながらコーチングやカウンセリングをしていますが、会社員の〜さんという見られ方に窮屈さ感じたり、会社に守られていることで自分を甘んじていると気が付いたんです。今後はメンタルコーチ”なみ”というようにもっと自分の名前で生きたいです。

ーー夢が叶った時どんな景色や色をイメージしますか?

クリームイエローみたいな感じかな。自分らしさがようやく開花し、自分でいられる場所を見つけられるような…。

身につけている無駄なものを削ぎ落としていくイメージ!いろんな色を重ねた時にも混ざり合うような世界で、パステルカラーからこの先はもっと自由に。最後はまっさらな白色が想像できます。

ーーなみさんの色の感性と感情がリンクしている表現すごく魅力的です!




「心は変えられる」 届けたいメッセージとは?

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ーー人生の転換期をこれから迎える読者も多いと思います。その方たちにどのようなことを伝えたいですか?

周りの環境や人は選べるとよく言うけれど、選べない時もあるのは事実。今の場所でしか生きられないような気がしてても、地球儀でみたらすごく小さな世界にいるんです。「その場所は全てではない」ということを覚えていてほしいかな。

少し前までの私は、結婚したから出産したから、うつ病になったからと自分を諦めていました。でもやっぱりどこかで支えてくれる人たちはいるし、ステージによって身は動けなくてもマインドはいつだって変えられます。

制限を取っ払って考えてみてほしい。「本当はどうしたいんだろう?」そうやって思い出すところから自分の可能性や楽しさを少しずつ見つけていけるのかと思います。


ーー最後にメンタルコーチなみさんとしての想いを聞かせてください!!

人生つらい時も、楽しい時も含めてサポートしたいという気持ちからメンタルコーチという名を付けました。楽しい時はたくさん人が寄ってくるけれど、辛い時は人は寄ってこないんです。これは私自身経験したこと。でも、そんな時でさえ一緒に寄り添えるような人でありたいと強く思います。もちろん楽しい時も一緒にね!

ーー素敵な人生ストーリーをありがとうございました!



ーーインタビューを終えて

There is no lemon sour that you can't make something resembling lemonade.(どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる。)

海外ドラマ「this is us」に出てくる言葉です。人生に起こり得る試練やきれいとは言い切れない景色を酸っぱいレモン。完璧である必要はなく、努力を積み重ねプラスな方向にもっていこうとする様子をレモネードに例えています。どんなに辛い出来事も美味しいレモネードのように変化し、自分の子供や若者に全て語れる日が来ることを表しているのかと私は捉えていました。

今回なみさんの人生ストーリーを聞いてから、すぐにこの表現が浮かび最後はこの言葉を贈りたいと決めていたんです。なぜなら、どんなに時間がかかっても自分を受け止め、認め、少しずつ進んできた道のりを私に語ってくれたから。簡単なことではない「彼女のみえない努力」をすごく感じました。

そして、今日6月6日はなみさんの誕生日。ここまでの人生を少しでもこうして残せたこと、本当に嬉しい!なみさんだから語れる、伝えられることが彼女の強みであり魅力的な部分だと今回改めて思いました。振り返った時、なみさん自身がここからまた勇気をもらえますように。Happy Birthday!!



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