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その笑顔の奥で何を想い、どう生きてきたのだろうか。

画面に映った瞬間「パッ」とワントーン明るくなったと錯覚するほどあたたかなさっこさん。彼女の笑顔にどれだけの人が救われてきたのだろうか。そして、その笑顔の奥でどんな感情と必死に向き合ってきたのだろうか。今回、さっこさんにお話を伺いました。彼女の生き方が周辺の世界へ軽くあたたかく響きますように。

さっこさん : 1990年生まれ、探究心から世界各国を巡る旅好き。「生きることの楽しさ」を伝え、子どもたちの主体性を育む9年間の幼稚園教諭を経て独立。現在は子育てアドバイザー、『私』を生きるノート術講師など生き方に悩む女性のサポートもしている。

幸せになるために生まれてきた


ー今日はよろしくお願いします。9年間の幼稚園教諭の仕事を手放し独立の道を選んださっこさん。改めてそこに至るまでの想いを教えて頂けますか?
大好きな仕事だったからこそ夢中になりすぎて、本来持つべきバランスが崩れてくのを感じました。そこで、自分にとっての幸せとは何か前向きに考えてみて。周りの人たちが笑って健康でいてくれることが私の幸せであり「私は幸せになるために生まれてきたんだ」と思いました。9年間の生活にピリオドを打ち、大好きな子どもたちやママを長く支えられる、かつ自分も周りの人も大切にできる生活スタイルに変えました。

ーー退職するまで約4年、迷いと葛藤があったということでしたがどんな想いがあったのでしょうか?
本当に辞めたいと思えるほどの決定打がありませんでした。こんな素敵な幼稚園で働ける人は日本中どこを探してもそんなにいないんじゃないかと思うほど、自分らしい保育を追及できる場所だったから。「必要としてくれる人の元へすぐに駆けつけられる自分でありたい」そんな理想と、それが叶えられない現実へのギャップ。心の違和感がパズルのピースのように集まり31歳で園を離れる決意ができましたね。


人生の基盤が生まれた場所

ーそもそもなぜ幼稚園教諭になろうと思ったんですか?
中学生の頃、職業体験で幼稚園へ3日間行ったのをきっかけに幼稚園教諭を夢みるようになりました。人見知りで距離をとっていたような子が、3日目が終わる頃にハグをしにきてくれて。子どもたちが心を開いてくれたことが何より嬉しかったんです。

ー人生を左右する大切な時間となったんですね。他にも中学の頃の経験が今に繋がっていると感じますか?
「高校の文化祭に行ってきなさい」中学2年の夏休みある課題がでました。これが私の人生の軸がつくられる入り口だったようにも思います。母の繋がりで行き着いた高校。そこで初めてみたチアダンス部のパフォーマンスが衝撃的で…。人気の高い学校でしたが、絶対この一員になろうと高校受験への火がつきました。できることは全てやった結果、2次試験でようやく合格。「願った未来は行動で掴み取れる」という想いが確信へと変わりました。

ーーすごい…諦めなかったんですね。高校生活で私の人生の軸がつくられたと。そこにはどんな出会いが?
念願叶ったチアダンス部では、振り付けや音楽などを自分たちで形つくる毎日。いろんな意見や経験をもつ人たちと手をとり進んでいく楽しさ、誰かと助け合って形にしていく素晴らしさを知り、今に繋がる大切な基盤がこの時期に培われました。

挫折、そして旅へ

ー「幼稚園教諭への道を諦めた…」そう言ったさっこさんの表情は少し悲しげでした。何があったのでしょう?
大学1年の保育実習先でのこと。想像以上の縦社会で夢を抱いていた私はかなり打ち砕かれました…。子どもたちの命を預かるという事実に責任も増し、現実と夢みていたもののギャップを感じて。ちょうどその頃、旅をする楽しさに目覚めたのも重なり抱いた夢を一度諦めました。

ーさらに旅好きを加速させる運命的な本に出会ったと?
よく旅をしていた相棒のような親友が突然1冊の本を拾ったんです。高橋歩さんの本で「地球は僕らの遊び場だ」この言葉が印象的でした!それ以降いろんな人と触れ合い、価値観を吸収していく4年間にするぞと大きく気持ちが動き、モロッコやメキシコなどのへき地にも行きました。海に落ちている貝殻を作品にしながら暮らしている人、旅人の私にバナナをくれる老夫婦がいたりと暮らしの自由度を感じました。

ー旅後、さっこさんの日常の捉え方は変わりましたか?
自分が何かやってみたいと思った時に否定をしなくなりました。100人いれば100通りの生き方があるのだから後はやり方を考えるだけ。できない理由を探さなくなってから富士山登頂、フルマラソン完走、アメリカ横断など挑戦できたことがたくさんあります。

ーー別の道を歩み始めたさっこさんですが、最終的に幼稚園教諭を仕事にされています。この空白の期間どんなことがあっんでしょうか?
大学4年「素敵な幼稚園がある」と言われとりあえずスマホに園の名前をメモ。立て続けに同じ名前を聞いたので見学にいってみたんです。それが、幼稚園の先生を再び志すきっかけとなりました。先生同士のコミュニケーションがすごく取れていて子どもにとって何がベストかみんなで考え支え合っているのが伝わったんです。それからは急いで履歴書の添削をし出したり、ピアノの練習を始めたりして(笑)中学生の頃に感じた職業体験のワクワクが戻った感じでした。


もう1人の存在

ーー出会った幼稚園がお母さんの出身地というのもご縁を感じますね。
そうですね、私が大学4年の6月に母が病気で他界していて。当時は、表現できない悲しみと苦しさでいつか別れが来るのならこれ以上大切な人はいらないと思うほどでした…。でも、その後すぐこの幼稚園と出会い、合格発表の日も母の誕生日。導かれているのかなと思いました。

ーーいろんな感情と向き合いながら自分の足でしっかり歩んできたんですね。その原動力は何だと思いますか?
やっぱり母と一緒に心で生きているから、母が見れなかった景色や経験したかったことを私が一緒にしたい。くじけそうになってもせっかく繋いでもらっている命。今できることをやろうという気持ちに戻れてると思います。後は、まだ知らない世界や人に出会い、新しい価値観を知る瞬間もやっぱり大好きで。きっとそういう瞬間に出会いたくて歩み続けていると思います。



ゼロ地点に戻ったハワイ

ーーこれまでたくさんの場所を訪れたさっこさん。中でもハワイは家族にとっても特別だと伝えてくれました。
そうですね、ハワイに行くときは「帰る」という表現が思いうかびます。どんなココロ模様も受け入れてくれる地元や実家みたいに心が落ち着く場所。両親にとっても大好きな場所で、私が20歳の時に行ったハワイはすごくあたたかい思い出があります。

ーー家族との思い出きかせてもらえますか?
父のホノルルマラソンの応援へ母と一緒にハワイに行った時のこと。「この指輪を渡すために42.195キロ走ってきたよ」父がゴールした時に母に伝えた言葉です。ランニングウェアのポケットに指輪をずっと隠し持っていた父。結婚20何周年だったかな…ハワイは家族にとってもあたたかい思い出がたくさん残されている場所です。

ーー9年間の幼稚園教諭生活にピリオドを打ち、再びハワイへ。ココロ模様はどうでしたか?
手続きが複雑で行かない方がいいと思っていた頃、父の言葉が私の背中を押してくれました。

あなたは行っていいんだよ、胸を張って行ってきなさい。時間は有限で行かない理由なんていくらでもあげられる。行きたいと思うなら行ける方法を全力で考えて行動に起こしなさい。

お父さんの言葉

ーーすごく響きますね…。
はい、ハワイに着いた時はやっとゼロ地点に戻ったという感覚でした。何にも背負っていない生まれたてのような気持ち。透明な自分に最初はハワイ色から入れていきたかった…。「今日は少し疲れているからゆっくりしよう、今日はワクワクしているから車に乗ってどこかに出かけよう」人の声ではなく、自分の心の声に耳をすましてみる。新たな生活のゼロを始める場所がハワイでした。

自分を大切にする第1章目がスタートしたんですね。
それでも、この先どうなるんだろうと少し不安もある中、ハワイの友人の生き様に大切なことを気づかされました。コロナの影響でヘアメイクの仕事もほとんどなくなり、それでも自力でお弁当屋さんを始めたような人。不安になることは誰にだってあるけれど、楽しい今をちゃんと積み重ねたら絶対楽しい未来が待っている、シンプルなことだと教えてくれました。

将来どうなるかなんて誰にもわからないけど、楽しい今を積み重ねたら絶対楽しい未来になるよね

ハワイの友人の言葉


わたし色の声で広がる世界とは

ーー自分の心の声をふさいで諦めそうになっている人がいたらどういう言葉を伝えたいですか?
まずは「そうだよね、辛いよね苦しいよね」と受け止めてあげたい。その人がちょっとでも軽くなるように横並びで同じ目線を保ちながら一緒に歩いていくような絵。少しでも目線が上がったなら本当の自分の心はどんなサインを出しているのか問いかけてみたいです。自分のことを信じきれない時は私のことを信じてもらえるような安心を与えられたら嬉しいです。

ーーその先にさっこさんの想い「世界中の子どもたちにスマイルを、大人だってもっと自分を生きていい」という世界観が広がるのが想像できます。
子どもも大人も自分らしく生きていいと思うんです。これまで家族を基盤とし、人との繋がりの重要さを感じてきました。だからこそ家庭という枠の中ではもちろん、1人の人として在り方や生き方に悩んでいる人にも強い想いがあります。なぜなら私自身、自分に寄り添うことで生まれる繋がりの可能性を信じてきたから。

ー素敵です…。今後、さっこさんのやってみたいことはなんですか?
自分の本当の声をキャッチできるような、あたたかく優しい世界をつくりたいです。

ーあたたかく優しい世界、最後に聞かせてください。
誰もが安心して自分らしくいられるような居場所です。1人ひとり得意なことや経験を持ち寄り、認め合う場所。苦手を補いながら明るい未来へみんなで進んでいく輪。そこでは人との違いが素晴らしさとなり、自分の可能性を最も信じてあげられる空間が生まれているんです。

まずは、自分の正直な気持ちをちゃんと声に出していく、その第一人者を私が全うしていきたいです。やがてその姿が必要な人へ届いて同じ想いで生きられる人が増えたらいいな…。これが私の叶えたいことであり、最近やっと言葉にできた大切な想いです

ーーさっこさんの人生を通してその想いが深く伝わります。今日は素敵なお話ありがとうございました。


左:さっこさん  インタビュー当日の様子  2022/09/16



ーーインタビューを終えて
さっこさんの存在がアンサー本やアンサーソングのように思えて、事実は1つでもその捉え方で全く別の生き方にもなりえると思いました。この記事を読んでくれた方の捉え方も何通りと考えられると思います。それでもさっこさん自身が光となって「こっちが私の人生だよ。こっちが私の生き方だよ。だからみんな私を信じて」そんなふうに彼女の存在が私の手を繋いで横に並んで教えてくれているように思えたんです。さっこさんの人生もまた光の方へ導かれる方へ、周りの支えや言葉があたたかい方へ進んできたのかなって。

インタビューを通して「安心を与えられる人でありたい、誰かの幸せに繋がるきっかけの1人になりたい」そう伝えてくれた言葉が印象的でした。すでに私が安心や幸せを彼女から受け取っていたから「もうその想い叶ってるよ」とっさに心の声がインタビュー中に出てしまいました。だって本当に安心した。そして、本当にさっこさんとの対話や言葉に幸せを感じられたから。

最後に、さっこさんの名前に込められた想いがすごく素敵だったので少し綴らせてください。

どんな【季】節も
パッと花を【咲】かせるような
明るい【子】になってほしい

というさっこさんのご両親の願いが込められて咲季子(さきこ)今から1ヶ月半前、インタビューが始まる前に聞きました。本当にそのままのさっこさんが名前の意味に込められていてすごく感動したのを覚えています。名前も生きた証。また何年後、何十年後の未来で一緒に想いを残せたら幸せだね!本当に出会ってくれて大切な話を聞かせてくれてありがとう。



■さっこさんInstagram:アカウントはこちら



インタビュアー / 記事:みほ
「言葉と空間で居場所をつくる」想いを形にする人。
















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