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たかこに行こう。(仮最終更新)

いと、から、たかこ、になって約二週間。
この十四日のあいだにnoteの新しいアカウントを作り、ほぼそちらに移行したかたちで更新していました。
そろそろ頃あいかな、ということで、この記事をもって、こちらのアカウントの更新をいったん停止します。


*


せっかくなのでちょっとふりかえってみたい。

二〇二〇年の九月末にnoteをはじめたとき、結構いろんなことがあった直後だった。
ちょっと思いつめすぎていた時期が落ち着いたのをきっかけに、休みがほしくなって、その休みを自分の中のもろもろを整理するために使いたかった。
そんな理由でnoteをはじめたのだった。

二〇二〇年は、ひろい世界から見ても特異な季節だったと思う。
どういうわけか、私にとってもひとつの転機になる年となった。
そしてどちらもそれは今でも続いている。
単なる偶然であることなど疑いようもないけれど、きっと忘れようもないのだろうな、と確信してしまう。

noteをはじめたころ、翌年の春にこうなっていることなんて、予想だにしていなかった。
そうそうありえないことだけども何もかもがうまくいっていたら、翌年の春、つまり今、私は仕事をしていただろう。

休みの期間は年内いっぱいと決めていたのに、noteを書くのがあんまりに楽しいものだから、いずれまた仕事についたとき両立できるのかな、ちゃんと仕事を優先できるかかなと不安になるほどだったのだけれど、そんなものは杞憂に過ぎず、結果なのか経過なのか、今がある。

今、というのは、昨年の十一月に父親から暴行を受ける事件が起きて、引っ越しをしなければならず、その準備からすったもんだを経て一応の終着までが二月末、そこから更に針を進めこれを書いているこの瞬間のこと。
と自分で書いてもちょっと違和感があるていどには、それだけではないようにも思っている。
たとえばアカウントを変えた理由は、今月に入ってからリアルで改名に向けて動いているから。
これは今後、三年は続く試みで、まだはじまったばかり。「改名しました」と過去形で言える日はあまりに不確定。
何がどうなるかは、私自身どころか誰にもわからない。
そんな今。

正直なところ、アカウント名なんてたいしたことはないし、note上の変更は改名にほぼ響かない、毒にも薬にもならないくらいのささいなこと。
でも、変えたかった。

私はたいていのことをうまく言えないので下手に言うと、noteでやりたかったことを途中から自然にはできなくなったことが、なんだかけっこう悲しかった。
noteでやりたかったことというのは、過去に起きたことを文章化して整理しつつ、書くことを楽しむ。あわよくばちょっとでも文章能力の向上。
それが事件後は、事態の推移の記録のようになっていった。グチまじりというか、ほぼグチの調子で。
私にとってはあの状況で良いガス抜きになったのだけれど、こんなはずじゃなかったのにという悔しさも確かにあった。

なんで休ませてくれなかったの、と、父に対しても兄に対しても福祉に対しても責める気持ちが今でもしぶとく残っている。

もし予定どおりだったなら、年始あたりから就職活動を再開していて、もしかしたら四月一日にまた社会に戻れていたかもしれない。
どこまでも「こうだったら」「こうかも」の話でしかないけれど、可能性ってとらえどころがないようで、実は現実感を伴う何かなんだよ。と今こそそう大声で言いたい。

年末までの休みという制限を、ぼんやりと自分でも課していたから、noteを書くのだけでなく、心身もきちんと備えておきたかった。
そのためにずっと不調を訴えつづけている心臓(もともと軽い疾患がある)の検査を受けたかったし、実際に病院の手配も済ませていた。事件はその通院予定日の三日前に発生し、福祉の援助を受けている関係上、私は病院ではなく福祉事務所に行かなければならなかった。
今後こそ仕事を円滑に続けるためにカウンセリングではそういった点に重きを置いて集中したいと申し出ていたが、事件のショックや引っ越しの不安を話す場になってしまった。
就職活動に向けて貯めていたお金は、引っ越し費用につぎこまれていった。

ものごとは変化する。
柔軟に対応して受け入れ、今、必要なことをするべきだとわかっていても、私は不満だった。
物件が決まったときはほんとうにほっとした反面、しばらく仕事どころじゃないんだと、何度目かもうわからない現実を突きつけられた気分でもあった。

やろうと思えばやれるじゃない、と言われるのだろう。
一月末に引っ越し、すぐに片づけて、二月末からさっさと仕事を探せばいい。転居先のほうが仕事は見つかりやすい土地でもあるし、努力次第でできるでしょう。
今、私は仕事を探すことさえしていない。
改名なんてぜいたくをしている暇があったら、仕事を見つけに毎日ちゃんと外に出て行って、ちゃんとやればいい。今はやれるんだから。やろうとしていないだけでしょう。きっと事件が起きなくたって、いろいろ言い訳をして、就職活動なんてしなかったんじゃないの。
わからない。
また何か思いがけないことが起こって予定がふいになるのが怖いのかもしれない。
面接で落ちることはそれほどがっかりしない。福祉の援助や障害を理由に断られることも、たいしたことじゃない。
そういう想像できることは、怖くはない。

戸籍の閲覧制限をかけたって、父親に見つかる可能性はある。
怖くない。
これは本音で、ぜんぜん怖くない。改名の動機である「父から逃げきりたい」と矛盾するかもしれない。でも怖くない。
むしろそういうことをしてくれて、また事件にでもなれば、今度こそ父親をブタ箱に送れると思うと、そうなれとさえ願う。

実は引っ越しの直前に、一度だけ、父親に電話をした。
もちろん転居先などはいっさい明かさなかったが、伝えておくべきことがいくつかあった。
本来、福祉がやってくれも良いことだったが、私は依頼しなかった。私が同席できない場で私のことを、福祉にも誰にももうしてほしくなかったから。
その電話のなかで、父は言った。

「こうなって良かったと思う。結果よければすべてよし。不幸かそうじゃないかは自分次第。コロナも大騒ぎになっているけどこれは淘汰でもう人類は死ねっていう地球からのサインなんだよ。金かけてワクチン作るくらいなら宇宙開発に費やすほうが建設的。そもそもビックバンからこの惑星は」

その後に延々と続く父親お得意の宇宙論を聞き流しながら、おまえが死ねと思った。率直に。
私は冗談でも、殺すとか死ねと言うのは好きじゃないし、しない。

もともと私が福祉の援助を受けるきっかけになったのは、兄だった。
当時で十年以上はひきこもっていた兄が、あるときから、毎晩、私の部屋の前で、つぶやくようになった。

「死ね、死ね、死ね」

私と兄の部屋は二階にある。父の部屋は一階。兄が自室に引き上げたのを確認してから私が階下に向かうと、

「おとうさあんたすけてえー。あのオヤジが助けてくれるわけないだろキチガイ!死ね!死ね!」

そう声だけが追いかけてきたが、私はそれでも父に助けを求めた。
答えは「俺は聞こえなかったし信じられない」「面倒くさい」「巻き込むな」「兄妹ゲンカは両成敗だ」「眠い」
兄は正しかった。
五日ほど続いたころ、土下座までして父をせっついて無理やりに兄の部屋に行ってもらった。
戻ってきた父が言うには、

「おまえは精神科に通うキチガイだから幻聴でも聞いてるんだろう、早く精神病院に閉じこめろと俺が叱られたんだけど、俺もそう思ってるから息子が正しい」

そう。兄がいつも正しいのだ。
だけれど私は死ねと言われてはいそうですかと死ぬほど弱くもない。

たまたまその時期がゴールデンウィークに重なってしまい、病院も閉じていたが、連休明け、まっさきに主治医に電話をして状況を伝えた。

「今日の午後、父親をつれてきなさい」

強引に父親をひっぱりだしてその通りにした。
父の言いぶんを一通り聞いた医師は、こう言った。

「あなたは息子の叫びも娘の悲鳴も聞かなかったことにして自分だけを守っている。父親の役割をまったく果たしていない」

そして私には、もうお兄さんがいる家に帰ってはいけない、福祉の援助を借りて離れなさい、手続きは医師としての権限内でやれることをやっておくので今夜からホテルに泊まって良く休みなさい。そんな許しをくれた。現実的で具体的な助言をそえて。
そのあとで父に向きなおり、

「家を出るのは息子さんでもいいんですよ」

ぬかりなく念を押してくれたけれど、父が兄をそんな境遇に追いやるわけがない。
そして当然、ホテル代なんて出してくれるはずもないから、私は結局、その日も家に戻ることになり、また毎晩、死ね、殺されろ、自殺しろとドア越しに追い立てられながらうずくまっていた。
福祉の申請が特別に早く通り、家具つきで安く、しかも即日入居できるレオパレスに駆け込むまでの三週間。死ねと言われない日は一日もなかった。

当時は怖かった。今はもう怖くない。それは兄がそばにいないからじゃない。
家を出てしばらくは、夜になると聞こえる気がして怖かった。兄がほんとうに正しくて、ほんとうに幻聴なのではと自分を疑った。自分を責めた。さみしかった。悲しかった。
でも不幸なのは私ではなく、兄だと思った。

昨日、たまたまこの話をある人にする機会があった。めったにないことだ。
そのひとは一応、私に同情してくれてから、でも最近の子って「バカ」ぐらいの感覚で「死ね」って言うから、びっくりはするけど、軽口だったかもね、となぐさめなのか何なのかよくわからないことをこぼしたのち、

「どんな気持ちで、死ね、って言ったかで、受ける印象は違うでしょうね。もちろん、お兄さんがどういうつもりでも、毎晩それじゃあなたもつらかっただろうけど」

いつもこうなる。私の話なのに、兄の話になってしまう。あなたも大変だったろうけど、お兄さんのほうがもっと大変。慣れているし、飽きている。
だから私はたぶん無意識に先手を打った。

「兄は許されたかったんだと思います」

その人は、ちょっとおどろいたようだった。私は続けた。

「父もそうです。私の首を絞めながら、許されたかったんだろうと思っています。あの父にしてあの息子ありです」
「許されたいって、何を、何に?」
「それを本人たちもわかっていないから私はプロの医師にかかる必要があると思ってます。でもそんなことするより、死ねって言ったり首を絞めて八つ当たりしてる楽なんでしょうね」

要するに甘えだし、私には理解できませんけど。そう付け加えて締めくくると、相手も黙ってしまった。

こうなって良かった。
事件を契機にこうなったことは、良い面もあった。

それは確かだろう。
でもそれを言う権利は、私にしかないはずだ。
第三者はおろか、当事者である父が言うべきではない。

父が私の首を絞めたあの日、父はこうも言った。

「おまえが悪魔で、おまえが何をしてもうまくいかないのは、おまえが前世で人殺しだったからだ。その報いだ」

変に聞こえるかもしれないけど、俺は本気だ。仏教の根本だ。俺は信じてる。
怖かった。恐ろしかった。この発想が。ぞっとした。普通ではないと思った。

「こうなって良かった」

失笑しかなかった。

「不幸かそうじゃないかは、考え方ひとつだ」

あなたはずいぶん不幸なひとですね。

私の前世が人殺しで、今その罰を受けているのなら、人殺し寸前のあなたは来世、いったいどうなってしまうんでしょうね。ところで前世で何をしていたら殺人者になれるんですか。現世で何をしなかったら、ここまでやれるようになれるんですか。

コロナが淘汰だとか、あまり大きな声で言えないだけで結構いろんな人が思ってそうではあるけど、だから何だ。

地球に死ねって言われても従うわけにはいかないんです。
地球よりずっとはっきりした個体である兄に死ねって言われてもそういうわけにはいかなかったんだから。

父親であるあなたに首を絞められて、絶望して自殺してもよかった。そんなことぐらい、何度も考えた。いっそ殺されたかった。引っ越しも役所の手続きも治療もすべてめんどうくさくって。
でも私は生きている。
予定どおりではないけど、理想どおりでもないけど、生きている。

こうしていればああなるかも、という可能性は私にとって希望でもあった。
希望ならまた持てる。
それまでがまた大変だけど、たぶん私はできる。
できることによって私は苦しんでいる。
最近、それを前よりも鮮明に感じる。

事件によって起きた良いこと、いっぱいあります。

新しいアパートはちょっと交通の便がいまいちだけど、前の築六十年の家よりずっとあたたかく、明るく、お風呂があって、静かで、おかげさまでものをずいぶん減らせたから過ごしやすくなって、快適で。
恵まれています。

警察は市をまたいでも県レベルで情報を共有してくれているから戸籍の閲覧制限もすんなり通ったし、ただそれによってマイナンバーカードの利便性はゼロになったけど、もともと身分証明以外の使い方は念頭になかったから損をした気にはならない。
守られています。

改名に向けて動いてみたら時代のせいか現段階で意外とできることが多いし、できないことは妥協できるし、何より私の性格上、これで三年後に家裁で認可がおりなくても通称名が定着していれば私は満足するだろうし、ただの感情論に過ぎない私に比べたらよほど改名の必要性がある人たちが優先的に改名できている社会はなかなかだと思うし。
やるじゃないか、日本。



普通がほしい。
ほかには何もいらないから普通がほしい。ほしかった。

普通って何って話なら生まれた家になじめる感覚じゃないのかなと思う。たとえ世間から見たら異常でも。
異常であることにいちいち気づかずその家がそうならおとなしく染まっていたかった。

よくわからないけど、普通は愛されるんでしょ?
わからなくていいから、普通に愛されたかった。
相手の気持ちをくんだり、人間の複雑さにふりまわされないで、家族というものと自然になかよくしたかった。


という感情を、おそらくnoteを書きはじめたころには、まだはっきり自覚していなかったにせよ、ゆっくりひもときたかったのが、それさえ叶わなかった。

九月の自殺未遂から復活して休めたのは一ヶ月半ちょっと。
今ちょっと死にたくなってる。なんだか、完璧を求められている気がして。息苦しくてつらいから、心臓が痛いから、息も心臓もとめたい。やめたい。
でも私は大丈夫な人間だからどうせまた生きてしまう。
楽しいことはけろっと楽しんで、前向きに見えるらしい顔つきをして、生きてしまう。

休めていた期間に家族のことをわりと赤裸々に書いていたけど、そのほとんどが母のことだった。
父についてはこうやっていろいろありすぎるので後にしようと思っていたら、現実のほうが私のタイプ速度よりずっと上だった。
抱えているものが重すぎるからちょっとずつ降ろそうとしていたのに、甘かった。

そろそろまた押しつぶされそうだから何かにつかまっていないと。
たとえばnoteの連続更新とか、そういうのでもいい。
自分が望んだものじゃないけど、ほかのひとはともかく自分にあてはめると「暇の産物」で「机上の空論」だけど、しょうがないじゃない。あの家族しかいなかったように、それしかないんだもの。今のところは。

仕事はドクターストップがかかっているから、まだ就職活動はできません。
弁解に過ぎないのでしょう。

父親に見つかることは怖くない。

「また働けてないじゃないか」「どうせまたダメだったんだろ」「前世が人殺しだから」「キチガイだから」「俺に孫もくれないくせに」「育ててやったのに」「生かしてやったのに」「殺さないでやったのに」

そう言われるのが怖い。それで自分がどうにかなりそうなのが怖い。どうしたら愛してもらえるのか求めかねない自分の弱さが怖いし、それだけじゃない。
母が死んだとき、生まれてはじめて心の底から感謝をした。
殺すまえに死んでくれてありがとうと。

怖い。

もし今、どこからか父の訃報が入ったら、きっと同じことを思うだろう。
怖いというより、みじめになる。

ここまで書いて思ったこと。
私はたぶんかなり怖い人間だ。


*


「この記事でこのアカウントの更新を停止します。
noteをはじめたきっかけから大きく逸脱してしまったけど書いているのは楽しかった。励みにもなった。
読んで頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。
新しいアカウントでは新しい名前で、新しいことをいろいろやっています。
元気です。
本当にこれまでありがとうございました。
ご縁があったら、またよろしくお願いします」

こんな感じでさらっと書き上げるつもりだったのに、気づいたら数時間、ぐだぐだと自分を哀れんでいる。哀れんでいられる。怖い。とても怖い。


でもまあ、事件が起こるまえからここで書いていたことって、結局はそういうことだった気もする。
普通がほしかった。

「みんないろいろあるよ」は、いらない。
「私のいろいろ」を書きたかった。
その願いは叶った。

ほしい普通は手に入らないけど、普通があれば「私のいろいろ」なんて存在しなくてよかったんだろうけど、おかげで得るものがあった、そう思うしかない。

改名とか、事件の対処とか、そういうのより、「兄が私のプリン食べちゃったよ。許せん」「仕事やだなあ、月曜は滅べ」みたいのを書いてみたかった。
起きていないことは書けないから、ないものねだりをしながら、小説でも書いているしかない。


たあいない日常が最上のファンタジー。
私のテーマはきっとどこに行っても、これ。


*


ここまで読んでくださって、ほんとうにありがとうございました。
アカウントは変わっても、私はまったく変わりません。それはもう、あきれるぐらいに。
もしご縁があったら、どうぞよろしくお願いいたします。



旧いと


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