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表現すること

11月13日。

岐阜の美濃にあるマーマーマガジンさんが開催する「マーマーなフェス」出店した。
ankh(アンク)という屋号でお香での出店。
ほんとにありがたい時間だった。
ひとりひとりが表現することの豊かさ。
響き。
軽やかさ。
あたたかさ。

昨年末、「2022年は表現イヤー」という言葉をきいて、
受け取ろうと思った。
もう長らく表現ということばは怖いけれど、
やってみたいと思った。

その気持ちひとつ持って、形にする時間。
自分の中だけで留めていたことを誰かに手渡すことの喜びを
じんわりと経験させていただく時間になった。

わたしは大学受験の時に表現文化専攻というコースを推薦で落ちたことがある。
そのあたりから、何か表現することにこわさをかんじるようになってしまったのかもしれない。
自分の柔らかい部分を評価される怖さと、その評価が自己価値みたいに認識してしまった10代。
傷つくことがこわかった。
傷つくくらいなら、誰にも見せない方がよいと思った無意識の判断。
でも、根本的にわたしは何かを表したくて。
伝えたくて。
表現する人を極端にサポートしてしまったり、羨ましく思ったりする時があった。

これは私自身が自分のことを外に出していないからなのかもしれないとうすうす気づきは時はじめたけれど、傷つくことが怖い。
無意識に避けようとする自分と葛藤する時間を経て、細々なにかを表現しようとがんばっていた。
がんばるというスイッチだった。
今年に入って急にお香を作ろうと思う。
今までなんどか作ろうとおもったことはあるけど、素人の自分にはできないと決めていた。
思えば葛藤することに大半のエネルギーを費やしていたように思う。

亡き友に届けたい。

その思いが、表現するというハードルを超えてくれた。
あなたに届けることができるものがある。
お香ならあなたにまた手紙がかける。
今のわたしで、あなたに届けたい想いがある。

そう思ったら、
あとはただやるだけだった。

お香はいつも今に自分をフォーカスさせてくれる。
今の中にすべての時間があるのなら。
ここにまた立ち戻ればいい。

その言葉は、形になってから私の中ではっきりしてきたことだ。
お香に出会えてよかった。
そして、表現して、他の誰かに手渡すことの喜びを感じることができて幸せだなあと思う。
やってみないとわからないこと。
出してみないとわからない。

傷ついてもいい。
失敗してもいい。
またそこからやればいい。
そして目の前のあなたや
まだ見ぬ誰かに出会えることも、
外にだして表現することからはじまるのかもしれない。

マーマーなフェスのみなさま、たくさんの学びを
ありがとうございます。