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子どもには非二元の世界観を安易に伝えない方針でいきます

今年の3月で我が子が1歳になりました。

この1年たくさんのことがありました。

我が子は成長が遅れているので心配することもあるにはあるのですが、そんな経験を通して自分が社会の尺度で子供を、そして自分自身を測っていたことも気づいた1年でした。

やっぱり子どもというのはすごいです。


そして最近は我が子の成長を通して、人間の自我の獲得の重要性をとても強く感じます。

自我とは分かりやすく言えば

私はいとうめぐみである。
私は女である。
私は真面目な性格である。

といった人間が独自に持っている概念ですが、最近我が子がようやく自分の名前を認識し、自分はこの世界で「自分の名前」を呼ばれる存在なんだなというのを理解し始めています。

ちょっと前まで初めて自分の手を発見して、不思議そうに自分の手を眺めていたのが懐かしいです。


私は非二元の世界観を持っているので、それを我が子に対してどう伝えていこうか、以前から色々考えていました。

本当はこういう世界だから、頑張りすぎなくていいんだよ、深刻になりすぎなくていいんだよ、ということを伝えたいなと以前までは思っていました。


でも今思っていることとしては、安易にこの非二元の世界観を子供に伝えるのは危険だなということです。

というのもせっかくこの世界に来て自我を獲得しようとしているのに、それを崩すようなことをしては、肉体や精神をうまく維持できないからです。


スピリチュアルな考えに触れると、自我というものがとても邪魔に感じて、とても悪いものに感じたりします。

ですが最近強く思うのは、自我というのは生きる上でとても必要なものであるということです。

自我の確立・自我を世界に開いていく、というのは大体30歳〜40歳まで続くので(人によっても違うと思いますが)、それよりもっと早い時期、あまりにも早い非二元の世界への接触は危険だということを知ったからです。


そのため育児方針も、私自身が子離れを意識して自分の今やるべきことに集中しよう、という方針に変えています。


私は熱心な教育ママになろうとしていました。

英会話を習わせたり、私立に通わせたりといった世間で言う教育ママとはちょっと違うと思いますが、感性や感覚を育てるにはどうしたらいいか、どうしたら自己肯定できる子になるのか、という視点においてとても熱心な考えを持っていました。

なので我が子の成長が遅延した時、ものすごく子供に執着しました。

自分の思い通りにはならなかったからです。

ダメなやつと思われるのがとても怖かったからです。

この思い込みが非常に強かったためとても辛い時期を送りましたが、今思えばただ自分の思い込みがそうさせていただけでした。


なのでそれに気づいた時、私はこの子を早々に手放していかなければいけないと思いました。

執着が自分を縛り、その子の自由と成長を奪うからです。


もちろん手放すといっても放置するとか、面倒を見ないといったことではありません。

ここでいっている手放すとは、目の前のことに集中する、ということです。


今目の前のこの子がやろうとしていること、今その子がやっていることを見守る、そして思考が織りなす幻想にすぐに気づいて巻き込まれないようにする、ということです。


なので今年は目の前のことに集中し、さらに自分がやろうとしていることにもっと集中していきたいと思っています。

そして子どもにはその姿を見せることで、何か感じてもらえてもらえたら嬉しいし、何も感じなかったらそれはそれでいいと思っています。


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