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そのままの自分を感じるということ

※こちらのnoteは自分が思うままに書く用にすることにしました。

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いとうめぐみnote


さて本題に入りますが、最近ようやくそのままの自分を感じるということはこういうことかと分かったような気がします。

というのもこれまでの私は、必ず相手ありきで生きてきており、自分の気持ちはそっちのけだったのです。


だからビジネスを展開するにしても、必ず相手の需要ありきで生きていました。


相手が必要だと思うことを差し出すことが絶対だと思っていたのです。

でも相手は自分の投影だとようやく分かったことで、人前で話して震えてしまっても、怠惰な自分が出てきても、好き勝手話す自分がいても、最初は売れないだろうなぁという商品を売り出したとしても笑、全てまぁいいかと思えるようになったんです。

この状態、そのままの自分でいることを許せることが最近できるようになると、なんとも言えない穏やかな幸福感に包まれます。

今自分が感じること全てに肯定することができ(今のところ)、何を思ってもいいんだと思えるようになっています。


この状態に至るまでには、自分の膿を一気に出した感じがあります。

父の死を通して自分を見たり、子供の発達遅延を通して自分を見たりして、全てが自分だということが少しずつ垣間見えるようになり、本当の意味で物事に対する責任というものを持てたような気がします。

正直この時期はとても辛く、もう二度と体験したくないと思います。いやまじ本当に、やめてくれって感じです笑。


でも苦しみ、悲しみ、寂しさ、全てはポジティブなものとエネルギーは全く変わらないというのも今はなんとなくわかります。

まただんだん自分の思考が自分のものではなく、ただ流れては去っていくもの、天気のような感じがするのもなんとなく感じています。


今は自分の感情を自分のものとして扱っていますが、たまに感情も思考もただそのままに流れるエネルギーなのかなという感じがしています。

それは同時に自分というものが薄れるようであり、とても怖いです。

でも安堵感や不思議な安心感もあり、これは以前もあった感覚なのでこのままでいいんだろうなと思って、悲しみや苦しみもなるべくそのままに感じるようにしています。


すると人生はなんて素敵なものだと感じるのです。

そんな綺麗事をと自分でも思うのですが、そう思わずにいられない瞬間があります。

そしてその状態になると悲しみや苦しみも嬉しい・楽しいというエネルギーと同じだとなんとなく感じるのです。


まぁでも面白いのが、自我からするともう二度と苦しみや悲しみを体験したくないと思うところ。この二面性が面白いなと最近は思います。


自分勝手な自分も、たまに神がかった自分も全て一緒で、まぁどっちでもいい。

最近の口癖は「何をやっても結局同じだよー」です。


結局全てはひとつというところに行きたい人は行こうとして学んでもいいし、興味ない人はこの世界で思いっきり楽しむことやっていい。つまりなんでもいいってこと。

それなら好きなことやった方がいいねってこと。


本当に最後まで好き勝手書きました。

今後は私が思うがままに書き、自分を癒すために書きたいと思います。




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