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子どもは「あこがれ」を見つけて自ら育つ、その空間を実現するために必要なモノとは?

以前の記事で、「自発的で自由な遊び」が子どもの育ちとって大切であるということを書きました。今回は、その「遊び」の環境(場所や空間、条件など)について、昔の話を少し織り交ぜながら書いていきたいと思います。

子どもは「あこがれ」によって自ら育つ
子どもの遊びは、近い年齢の子どもどおしの交流だけでなく、体力や知力などの発達が先の段階にいる異年齢との交流が、子どもたちの中に「あこがれ」の対象を生み出すと言われています。子どもは、外からの力によって育てられるのではなく、自分自身のなかに目標像を描いて、その目標に近づいていきたい、そのようになりたいという願いと意欲に導かれることで、自ら育っていくものだそうです。
確かに、自分自身(昭和50年代の次男坊)をふりかえってみても、小学4年生くらいまでは常に少し年上の集団に入り込み、単純だった私は走る速さと、遠くへ飛ぶことで、1,2学年上の友だちに追いつこう追い越そうと必死になっていたことを思い出します(勉学・成績には全く関心が向きませんでした)。

外で遊ばない今の子どもたち
しかし、今の小学生の子どもたちの生活を見ると、異年齢が群れて遊ぶことはおろか、外で遊びまわる子どもが少ないという印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
この理由として、よく言われるのが、まず「子どもが忙しい(自由な時間が少ない)」というもので、学校が終わると習い事や学童など、行く場所・やる事が決められています。これは、核家族の共働き世帯が増える現代では、親の帰宅までの時間に子どもを管理された安全な環境に置いておきたいというニーズも影響していると思います。
次に言われるのが、「外で遊ぶよりも楽しい商品が多数く普及した」というもので、テレビやパソコン、スマートフォンなどの液晶(スクリーン)を媒体とするゲームや動画サービスに時間を奪われ、外で遊ぶことが選択されなくなったという理由です。

明治時代は「路地」と「駄菓子屋」が遊ぶ場だった
このような現代では、「あこがれ」を身近な目標に設定できるような異年齢の子どもたちが群れて遊ぶということは、もはや無理なことなのでしょうか? 空間について考えてみたいと思います。
少し古い話ですが、明治時代の東京では、「路地」で年齢の違う子どもたちが一緒に遊び、そこでは年長の子どもが責任をもって一種の共同体を形成していた、とモース(Edward Sylvester Morse(アメリカの動物学者))はその状況に感心したことを記しているそうです。
また、同じく明治時代の東京の下町を舞台にした樋口一葉の『たけくらべ』には、「駄菓子屋」の店内や店先に子どもたちが上がり込んで話をしたり遊んだりしていたことや、「駄菓子屋」が子どもたちにとっての溜り場や集合場所であったこと、その空間が「路地」とあわせて異年齢の遊び集団を育む空間になっていたことが描かれています。
明治時代には、子どもが自ら育つ豊かな空間があったようで羨ましいです。

令和時代の子どもたちの居場所、「路地」と「駄菓子屋」に代わる空間とは
明治時代の子どもたちにとっての「路地」と「駄菓子屋」の存在は、少し前の昭和時代までは残っていたような気がします(個人的な主観です)。
もしも「路地」や「駄菓子屋」のような空間を現代にそのまま復活させても、今の生活環境にある子どもたちにとっては、かつて(例えば明治時代)のような異年齢で群れて遊ぶような環境にはならないかもしれません。
「駄菓子屋」にあった、買い食い、クジやゲームの勝負事、親や学校では禁止されていることなど、子どもたちにとって「わくわく・どきどき」することができる空間。大人の目が届かない(干渉されない)「路地」にあった、異年齢が群れて遊び子ども独自の社会や文化を育む空間。これらの要素を今の時代に読替えて、さまざまな年代の子どもたちが集まる空間を実現するためには、どのようなモノやヒトの条件があると良いのでしょうか? 
これからも考え続けていきたいと思います。そして、時々実験してみて子どもたちの反応や行動を確認してみたいと思います。(関心のある方は、いっしょに考えてみませんか? ご連絡お待ちしています。)

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「いとま」は、子どもの穏やかな見守りと力を抜いた応援ができる地域を目指し、子どもを理解する大人を増やしたいと活動しています。地域のさまざまな方との交流や書籍等から関心を持つようになったことを少しずつ紹介していきます。専門知識のない素人ですが、このような考え方があることをみなさんに知ってもらう糸口になれば、嬉しいです。感想やご意見をお待ちしています。

参考文献:
・学童保育と子どもの放課後、増山均、新日本出版社
・子どもとあそび、仙田満、岩波新書
・ぼくはこう生きている君はどうか、鶴見俊輔、重松清、新潮文庫
・子どもの文化・社会に果たしていた駄菓子屋の役割について、加藤理、子ども社会研究

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