本が読めな……くてもいい
今までたぶん「本を読む」って「本を一冊読み通す」ことだと思ってた。
だから「本が読めない」と思ってた。
だけど図書館に行ったり、Kindle Unlimitedに登録したりしてふと気付いた。
本が読めているかどうかはともかくとして、
その本を最後まで読めなかったとしても、
極端な話、途中で興味がなくなって閉じてしまったとしても、
その本に1行でも「へえ〜」「なるほど」と思うところがあれば、それは収穫では?
収穫には違いない。
それは分かっている。
じゃあ何を分かっていなかったのかというと、
たぶん「本を読む目的」。
本を読む目的は、端的にいえば知識や情報を得ることのはず。
その目的が、いつの間にか「本を一冊読み通すこと」、あるいは「一冊読み通せる本に出会うこと」に変わっている。
総務省の統計によると、日本では、1年間に7万2千冊弱の本が出版されている(令和元年)。
そしてわたしが調べたところによると、背幅5ミリくらいの文庫本1冊の文字数は、約7万字。
(わたしが作った本の字数調べ)
毎年7万冊の本が出版されているとして、その1冊1冊に数万字の文章が書かれていて、まあ出版冊数には絵本や写真集などもおそらく含まれていますけども、
だとしてもこの膨大な冊数の中から「まるまる一冊、自分にとって全てのページが今必要だった話の連続」というものを見つけられることが、一年に何回もあるだろうか。
いやその本はね、たぶんどこかにはあるんです。
あるというか、自分に本を読む素養が身につけば身につくほど、出会った本を「そういう本」にすることができるようになるのであろう。
だけども、やはり出会うために膨大な量の本を開くことは必至。
だから「本が読めない」と思うような状態だったとしても「本が読めないんだ、自分は」と嘆かなくてもいいと思うのです……。
読みたいと思って買った本すら積読になっている状況には、確かに落ち込みますが。
積読はね、今読んでる途中なんです。だから大丈夫。
むしろ10冊くらいの積読を、毎日1〜2ページずつ読む方法とかどうだろう。飽き性の特権です。
いやいや、これ読む時は没頭したいんだよね。
と思ったら、次の瞬間にはたぶん没頭しているし。
だから、本が読めな……くてもいいと思います。
この考え方に特に救われたのが、わたしにとっての小説。
わたしは特に小説が読めなくて、だから余計に「本が読めない」と思ってしまってました。
(本をよく読む人、本が好きな人は、小説をたくさん読んでいて、おすすめをたくさん持っているイメージがある……)
でも、自分が話にのめり込めるか
だけではなく、
パラパラっと開いてみて、
いいな、と思う一文やフレーズがあるか。
読み通せそうかどうかをそもそも考えないで、いいなという自分の気分を探す感じ。
これで小説を手に取るハードルが少し下がりました。
そのうち、小説が苦手な自分でも、最後まで読みたくなる本に出会えるかもしれません。
最近はそんな読書ライフです。
ブクログとか読書メーターとかの類を幾度となく挫折しているんだけれども、いつか再開して自分だけの本棚をつくりたいな。
もちろん読書の目的は本棚をつくることではないんですが、こういう憧れは自分を楽しくさせてくれるので、否定しないでおきつつ、今夜は積読を3冊くらい同時に読んでみたいなと思います。
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