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〝夢〟の話をしましょう




『夢は何?』

と、簡単に聞いてくる人たちがいます。

ご飯何にする?みたいな勢いで。






常に 自分の目指すところが
明確に見えている人って
世の中にどれくらい居るのでしょうか。




そもそも
自分の夢を語ることは、
相当な覚悟が必要ですよね。

不確かな未来を打ち明けるわけで
曖昧で当たり前な気がするし…





それなのに、
気軽に聞いてくる人がいます。

そして、そういう人ほど、
ざっくりとした答えしか返せない私を責めます。

私はその度に、
違和感を抱くのです。


『たとえ、夢を抱いていても
あなたになんか話すものか!』
と思ったりもします。
(性格悪いですよね…笑)




ただ、
このモヤモヤとした感情を
その場では表に出したりしません。
私は大人ですから。

作り笑顔で受け流して
何となくその場を乗り切ります。




でも、

その度に
心が死んでいくような感覚になるんです。



.




他人の無責任な言葉は
時に、
どんなものよりも深く私を傷つけます。



"君が求めているものがわからない"
"君は誰か先人を目標として立てないとダメだ"
"君の描く世界がわからない"
"君の夢は叶うはずがない"
"価値はない"

と、散々に言われて、

私の全てを否定されたりなんかした日は
最悪の気分で1日を終えることになってしまいます。


自信なんて、0.01%まで無くなって
もう底をつきそう。
前に進むのが怖くなって
全てを放棄したくなるんです。


.



きっと、
その人たちも
悪気があったわけではないのでしょうね。

何気なく発した言葉だったのかも。 

むしろ
良かれと思って言っていたのかも。
人生の先輩としてのアドバイスだと。






誰もが
自分の正義やルールを持っていて
それに従って生きているだけなのだから、

他人の夢や考えに
どんな意見をしたって良いわけです。





頭では、わかっています。

もう一度言いますよ、
私は大人ですから。

わかっているんです。

私が大人な対応をすればいいだけの話だと。






大抵のことは割り切って考えられる。

それでも時々
悲しくて、悲しくて、
自分を否定しそうになって
耐え忍ぶのが嫌になる時があるんです。






.


私は問いたいです。



その人が言うように、

何かクリアなものを見据えて
生きている成功者たちが正しくて、

1年後が未知である私の人生は
残念なものなのでしょうか?

私には、何の価値も見出せないのでしょうか?



曖昧なことが
そんなにダメなことですか?


明確に目標にする人や
将来プラン、
完璧な戦略、

そんなものがないと
私はこの世界で
生きてはゆけないのでしょうか?


 
ひとつひとつ確かめながら、
探りながら生きていく人生は
失敗するのですか?




だとしたら、
その人生のルールは誰が決めたのですか?





私は、
ただ自分の心の赴くままに
まっすぐまっすぐ
生きていきたいだけなのです。 

本当にそれだけ。







.




大人になると
いろんな仮面を被って生きていかねばならなくなります。

悲しくても
笑って過ごさねばならない日もあります。



私たちは、
描いた夢は 叶わないことの方が多いことも、
どんどん手遅れになっていくことも、
よく知っています。


だから、
本当の自分の夢や望みを
口にすることを躊躇い、

何が夢だったかを
考えること自体なくなってゆきます。





夢は何か?と聞かれ
『これがわたしの夢です!』
と答えても、
「考えが甘いよ。」と言われる。

『まだ探しています』
と答えても、
「残念だね。」と言われる。




口にすればするほど
誰かの決めたルールや、
誰かの心ない言葉が
自分のまっすぐな心を邪魔してきます。




だから私たちは仮面を被る。
自分を守るために。

そして、その仮面の下で
私たちは、いつも泣いているのです。




.





そんな自分を救ってあげるために
わたしは声を大にして、
言うことにしました。


夢が曖昧だけど、
それの何が悪いんだ!と。(笑)



叶わない?
そんなことは始めからわかっています。


今からやるのは遅い?
ちょっと出遅れたからって何がいけないのですか。





たとえ夢が無くても、いいんです。
いつかは自然と見つかるんだから。


曖昧でもいいんです。
ゆっくりでも進んでいけば
ぼんやりしたものにピントが合ってくるから。




.





他人のルールでは
その人は推し量ることができません。


だから、私は、
相手の言葉や、価値観、思想を
決して否定したり
責めたりしない、と
心に誓っています。

周りがそういう目で
私を見てくれるかというと
それはまた別問題だったりしますが。






無責任な言葉を浴びるたびに

私は、自分の言葉を
誰かを陥れるためではなく
誰かを救うために使いたい、
と願うようになりました。





.




人生とは不思議なもので、


昨日は
誰かの言葉に傷ついても

今日は
誰かの言葉に救われるのです。






私は昨日、とても悲しかった。
頭ごなしに否定される言葉の数々に傷ついた。

だけど今日は、
笑って過ごしています。
昨日の悲しみが嘘だったように
明るい気持ちで。

理解者がそっと差し伸べてくれた優しさに
救われながら。





伊東楓



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