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表示に関する登記創設の経緯

江戸時代の幕藩体制下では,領主が貢納確保のため,土地とその耕作者,貢額とを確定すべく,検地が行われ,その結果とその後の変動を明らかにするため,検地帳(水帳,見図帳)が作成された。農民への貢納義務は,村単位に賦課され,一村連帯の義務であった。そのため,検地帳(水帳,見図帳)は2部作成され,一部を領主役所に保管し,他を名主等村役人が保管した。作成された検地帳は,あくまでも徴税目的であり,不動産取引の安全・円滑を図るものではないため,これを登記制度の萌芽とみることはできない。なお,貢納確保のため,検地帳に記載されている田畑については,永代売買が禁止されていた。

明治政府は,旧来の現物貢納制を廃止し,金納地租制に転換することで,近代的な国家財政に移行することをもくろみ,地租改正を行った。その手段として,明治5年,田畑の永代売買を解禁し,地券を発行し,その控えを綴り込んだ地券大帳を作成した。これは,証券方式を含む不動産の公示といえるものであるが,その趣旨はあくまでも徴税目的であるため,上記と同様,これを登記制度の萌芽とみることはできない。

地租改正は,明治7年から同14年末まで行われた。その後明治18年から4年にわたって「地押調査」が行われ,明治22年には,地券制度を廃止し,土地台帳規則が制定された。これにより,地券大帳を基に土地台帳が作成され,地租は,台帳記名者から徴収するものとされた。なお,建物については,昭和17年に至って初めて家屋台帳が作成されている。

その後,昭和25年の税制改正により,市町村が固定資産税を徴収することとされ,税務署で保管する必要のなくなった土地台帳及び家屋台帳が,登記所に移管された。そして,昭和35年,それら課税台帳をベースに「表示に関する登記」が創設され,地券大帳から土地台帳へと引き継がれた課税情報を登記制度が呑み込んだのである。

表示に関する登記は,このような経緯を経て創設された登記であるため,権利に関する登記とは異なる性質をもつ。職権主義の併用や登記義務は,その目的が本来の登記制度の目的を離れた徴税等の公益に直結していることの現れなのである。

伊藤塾司法書士試験科 講師 蛭町浩

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