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【あおもり紀行】第2話。 弘前公園で出会った高校生からの贈り物

弘前公園か・・・

実は弘前公園が紅葉の名所だと知らなかった私。
友人から弘前公園が紅葉の名所だと聞いて、「えっ、そうなのか」と。

「弘前城菊と紅葉まつり」を開催しているのを知ってはいたけれども、菊人形のイメージが強くて紅葉の名所だとは思っていなかった。

紅葉といえば八甲田。
そんな山のイメージが強くて、庭園という人工的な紅葉スポットを無意識のうちに避けていたようだ。

城ヶ倉大橋から撮影

(記事を書きながら)
庭園だったら、猿賀の盛美園もいい紅葉スポットかもしれないな・・・
グーグルで画像検索。やっぱり!

なんであの時に気付かなかったのか。私のバカ!
盛美園の四季を撮るのもいいな・・・


弘前に到着

11月4日午後、弘前に到着。いい感じの光だ。
青森県と首都圏では季節が1ヶ月違う。
首都圏に比べて桜は1ヶ月遅いし、紅葉は1ヶ月早い。

緯度も違うので同じ時間でも太陽の位置や影の長さが違う。
弘前はより冬っぽい光だ。この光ならいい写真が撮れそうだ。

土手町のシンボル。一戸時計店

光が無い・・・

弘前公園に着いた。
あれ?
光がない・・・

ライトアップを撮ろうと思っていたので、午後遅くから夜にかけて行けばいいかなと思っていた。土手町の写真を撮りながらブラブラし、弘前公園に着いたのは14時半頃。

追手門を入るとケヤキ並木が実にいい感じに輝いている。
これは撮らないわけにはいかない。

すっかり足止めをくらってしまい、本丸に着いたのは午後3時頃。太陽が低くなりすぎて、中濠や内濠のまわりにはもう光が差していなかった。

中濠。すっかり日陰(T_T)

やってしまった・・・

土手町をのんびりスナップしたり、ケヤキを撮っている場合ではなかったのだ。全体的に日陰で、メリハリがない写真では画にならない。

「弘前城の紅葉」という、誰もが納得する、津軽の秋を代表するような1枚を撮ろうという意気込みできたのだが、打ち砕かれてしまった。

メインディッシュを食べそびれてしまったような、残念な気持ちになってしまった私は、光を求めて園内をトボトボと彷徨うのでありました。

杉の大橋から

西へ

太陽は西に沈む。
ということは園内の西側には、まだ日が差しているかもしれない。とにかく西に向かってみることにした。

赤、黄、緑。いい感じだ。
二の丸から西に、桜のトンネルの方に向かうと長い坂があるが、ちょうど光が差していて樹々が輝いていた。メインディッシュは逃したけれども、前菜やスープは食べられそうだ。

弘前公園の一画で。

長い坂を高校生が猛烈に自転車で昇っている。
弘前工業高校の生徒だろうか。1人で静かにがんばっている子もいれば、4~5人のグループで叫びながら昇る子もいる。高校生は元気だ。自分にもあんな時があったな。

猛烈ダッシュ!

みわやのあげたいは絶品!

たまに高校生の頃を思い出すことがある。
五所川原市の高校で、金木町から津軽鉄道に乗って通っていた。
時々、高校の近くのみわやで”あげたい”(揚げたタイヤキ)を食べていた。あれから約25年経つけれども、まだお店はやっている。個人的には五所川原を代表するB級グルメだと思う。

四半世紀を過ぎた当時の記憶は、自分の体験ではなく、まるでテレビで見たドラマを思い出すような感じがする。東京という別世界にいるからだろうか。

高校よりも前、津軽で生活していた時の記憶は、どうもリアリティがなく、他人の記憶を移植されたような感覚なのだ。

年か!
記憶力の低下。老化。認知症。きゃー!

JR五所川原駅。向こうは津軽鉄道のホーム。



故郷

2008年に父、2011年に母、2012年に母方の祖母が亡くなった。
ルーツとなる人がみんないなくなったとき、私は故郷を失った。

2013年2月、祖母の1周忌を前に帰省した。次女が産まれる予定だったので、その前に墓参りに行っておこうと思って帰省したのだが、雪で墓が埋まっていた。そりゃそうだ(笑)

不思議な感覚だった。
あれほど見慣れた五所川原や金木の街が、まったく知らない街にいるようだった。津軽と私の繋がりが、切れて無くなってしまったような気がした。
もう津軽には私の居場所がないんだな・・・

きっと、故郷というのは特定の場所ではなく、居場所のことを指すのだろう。津軽にとって、私はお客様になってしまったようだ。

家があった場所の近所。2013年金木町。

なぜだろう。
弘前公園で猛烈に坂を昇る高校生を見た時、25年前の記憶がリアルな感覚と共に、鮮明に浮かび上がってきた。

どうやら、弘前と五所川原という違いはあるけれども、この津軽の空気が私の眠っていた記憶を呼び覚ましてくれたようだ。

あの日と同じ空気。
四半世紀が過ぎても、津軽の空気は変わっていなかった。

私の高校時代はテレビドラマではなく、確かにあった。実感できた。
お客様ではなかったことを感じられて嬉しかった。
猛烈な高校生に感謝したい。

どうやら私は故郷を取り戻そうとしているようだ。


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