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〈過去シリーズ〉2020年1月コロナ禍直前のバルセロナ6 コロニアルグエル


この〈過去シリーズ〉2020年バルセロナは当時他所で公開していた記事である。
note開設してあっという間に2年、この度(旅だけに)やっと引っ越し敢行となった。作業終了次第、元の場所は閉鎖する算段である

そもそもnoteを始めたのはハト自身がそうであるところのHSS型HSPの情報を書くこととしていたのだけれども、あっという間に飽きてしまったので「自分だけの楽しみために書こう」とあっさり方向転換をして旅の記録をメインに書くことにして今に至る。

noteの正しい扱い方とかわからないままだし、書くことで精一杯なので気の効いたコメントなど滅多に書き込めないままだが旅のことを書くのは楽しく、特に京都旅は前知識をほとんど入れず、見て感じる優先で後から復習しながら書いていると、とても面白いのだ(それでアップするまで毎度だらだらになってしまうのだが、行かない間も京都に行っているようでなんだか良い感じではある)

話が脱線してしまった。

バルセロナ記である。タイトル通り、2020年1月の、いわゆるコロナ禍直前の旅の記録だ。
他所でアップしていたため、今のハトと語調が若干違うが、そこはご愛嬌で。
また、当時から5年近くも経っているため情報が古すぎるところもご愛嬌で。

バルセロナ6:初公開日:2020年6月11日




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2020年1月。コロナ騒ぎはまだ中国だけの話だった頃。
1/20〜1/27の8日間、バルセロナへ行って来た。
コロナ休暇が終わる前にその旅行記を書いておこうと思った。
が、コロナ休暇は突如終わってしまった。これからは普通の休日にてのんびりと綴っていく。




1/23。到着4日目。

ようやく晴れてくれた。台風が過ぎた後の青空冴え渡る、と言った感じ。
晴れたからには行きたいところがある。それは“コロニアグエル”だ。ここは市街地からやや離れているのと、有名度合いで言ったら低いので団体ではまず訪れないところ。ハトは95年に訪ねているけどコロニアグエル教会しか見ていなかったので、今回は是非とも村も含めて見て回りたいと思ったのだった。Sちゃんも叔母も文句も言わずについて来てくれるのでありがたい。よってハトの希望を通させてもらった。


スペイン広場からカタルーニャ鉄道で

昨日よりは少し早めにホテルを出発。この時点ではコロニアグエルに行ってからモンセラットへ行こうとしていたのだ。地下鉄に乗ってスペイン広場駅へ向かう。スペイン広場駅でカタルーニャ鉄道に乗り換える。ここでモンセラット行きのコンビネーションの切符について聞こうとしてインフォメーションに並んだため、ちょっと時間がかかってしまった。さらに「(時間的に)今から両方はやめとけ」と言われてしまう。なので、素直に引き下がる。(結果としてインフォメーション氏は正しかったのであった)改札を通る。カタルーニャ鉄道の改札は自動扉がいちいち開閉するタイプ。通り抜けるタイミングが悪いと挟まれそうになる…。

電車は空いていた。早めに行動開始したとは言え、どうやらハト達の行動時間帯はまだまだ遅いらしい。行き先を再確認しようと外に出、乗り込んだらその瞬間にドアが閉まったので、ビビる。

スペイン広場駅からコロニアグエル駅まではおよそ20分。車外の風景は何故か日本っぽい。よくみれば建物などは全然違うのだけど、“なんとなく”眺めていると埼玉の郊外っぽいのだ。遠くに山が見えて、近くは平らで田んぼや畑があり、電車の脇には道路が通っている…気候も関東に似ているから、線路脇の草むらもなんだか見たことある風景の感じがする。


コロニアグエルの村内を見て回る

コロニアグエル駅に着く。モンセラット行きの時刻をチェックする。モンセラットの見物時間を考えると2時間あるかないか。もしかしたらモンセラットは行けないかもとSちゃんと叔母に伝える。

コロニアグエル駅はとてもきれいで現代的な駅舎に変わっていた。自動改札機もある。ハトが以前来た時は単線のホームであった。やはり降りる観光客は少ない。駅から村までは歩いて10分。道に迷わないよう、青色の足跡が歩道にプリントされていた。

カタラン語のみの案内


のどかで静かな道を歩いていくとグエル村、つまりコロニアグエルが見えてきた。ここはグエル、と名がついているだけあってグエル氏が作った村である。トヨタみたいな感じだ。(トヨタの方が規模はデカい)

すっかり晴れて綺麗な青空


ガウディ氏のメインスポンサーであったグエル氏は実業家であり、氏の工場を建てたついでに工場で働く人たち向けの住宅地も作ってしまったのである。
一から作られたこの村はグエル氏の理想が詰め込まれた。学校や病院(クリニック)はもちろん、劇場や共同倉庫。
そして何より生活の軸となる教会。この教会がコロニアグエル教会である。この教会も未完成であるが、ガウディ氏以外の人が作り続けたことはなく、ガウディ氏で完結している。なのでこちらの方が真のカウディ作品、と言う意見もある。

広場にはグエル氏の像。




インフォメーション。村内の見学はフリーだが、ここでコロニアグエル教会のチケットを買うと(予約もできる)村内の音声ガイドを貸してくれる。ここではパスポートを預けなければならない。一瞬怯む。(音声ガイド返却時に無事に戻ってきた)

インフォメーション



村内をガイドを聞きながらサクサク見学して、教会もサラッと見学なら1時間ちょいくらい。が、ハト達は違う…のんびりしてしまう。だってこんなにもいいお天気、静かな村内。鳥のさえずりも聞こえる。

学校。こんな学校で学べるなんて。
ちょっとした邸宅。
当時の村のドクターのお屋敷
日本語パンフでは“文化センター”。公民館的な感じ。
こういった労働者向けの施設は当時では最先端。
修道女のための施設だった建物
共同庫。村での収穫物などを貯蔵していた。
 ここに村内見学者用公衆トイレあり。とても綺麗だった。
向かい側はインフォメーション。



続けて集合住宅エリアも見る。
ほとんどは今も普通に人が住んでいるので、写真を撮るのに注意した。

労働者用住居、現在も人が住んでいる
お留守かな
それぞれの玄関外にベンチがあること多し




住みたくなる、、、。バルセロナ市内まで電車で20分だが、駅まで離れているし、お店もあまり無いしでちょっと不便そう。

村内の見学は工場地区もあったけど、そちらには行かなかった。村内のゆったりとした時間で感動してしまい、行くのをすっかり忘れてしまったからである。しかしこれでまた再訪する理由ができたようなものだ。



コロニアグエル教会へ

再びインフォメーションの前を通り、教会に向かう。道を間違えてしまい、うろうろしていたら地元の方が自分の庭の畑?を通してくれた。地元の方は観光客が教会を目指しているのはすぐにわかるのだろう。それにしても気さくなおじいちゃんだった。ありがたかった。
思いもよらないルートを通って教会前に出る。以前にはなかった立派な門とフェンスに囲まれている。門には各国語で“教会”とある。サクラダファミリアにも似たような扉があった。もしかしたら同じ時期に制作されたのかもしれない。

黒っぽいのが扉。
実際はグリーンがかった色
ちょうど団体が去るところ。ナイス。



門扉の脇に折り畳み椅子に座っているお兄さんがいた。この方にチケットを見せて入場する。日本だったら門扉脇にチケット売り場のブースとか作ってしまいそうである。カタルーニャ人の美意識なのか、世界遺産の規約なのか、風景をぶち壊すようなことはあまりしないのだ。おまけに“チケットはインフォメーションで”などと言った張り紙もない。不親切なのかもしれない。しかし、本当に使っている村の人々をメインに考えたら観光客に親切にしすぎるのは何か違うのだ。

内部。95年に来た時は明確な入場のルールがなく、開いていれば入れる、だったのだ。ちょうど礼拝が終わった時間で扉が開放されていて、ちゃっかり入れた時を思い出す。その頃より内部が明るくなっている感じがした。細部のクリーニングも定期的にされているのだろう。ステンドグラス(本当はステンドグラスではなくて、色塗りガラスなのだそう)に埃が積もっているようなことは今回はなかった。それに照明もLEDとか…進化しているのだと思われる。
アーチ状に組まれた煉瓦はもちろん、斜めに建てられている玄武岩の柱の視覚効果なのか、ハトには包まれる感じがして、とても好きだ。
胎内に還る、と言う言葉が頭に中に浮かんでしまう。

祭壇を望む
祭壇左側にクリスマスの飾りが。
クリスマスの飾り。教会建物のミニュチュア?風のベレン。




祭壇の左手から祭壇裏へ入れる。
噂の隠し部屋への通路はどこかはわからなかった。
(2024追記:祭壇裏に隠し部屋があり、おそらくガウディの物だったと思われる、色の見本や試作タイルなど約6000点が発見され、建設中のサグラダファミリアの色彩決定に大きな影響を与えた。日本TV公開は2019年1月6日、Nスペ)

祭壇裏



カウディ氏デザインの椅子(レプリカ)が整然と並ぶ。この椅子はミラ邸のミュージアムにも展示されている。隣に座った人同士が少しづつ外を向くように設計されていて、それぞれが各々の思索に入れるようになっているそう。ここでこの椅子に座り、しばしの休憩を取る。

祭壇裏から礼拝堂を見る



なんとも贅沢な時間。
椅子の座面などは木製だが、人の体に対して当たりが柔らかくなるようにカーブがつけられているのですごく優しい座り心地だ。自分用に欲しくなる。
それにしてもハトは思うのだ。もしも自分がカトリック教徒で通っている教会がこのような建築物だったなら、思考回路や感情にどれだけの違いを作ったのだろうと。違う人、違う人生だっただろう。けれどもハトはこの人生ではなかった、だからこうして文字を綴っている。

ドイツ人さん達が撮影をしていた。プロっぽい人たちのように見える。
曲がった柱


内部を堪能したので外側を見る。

教会の入り口、破砕タイルのモザイク。グエル公園やサクラダファミリアにも続く技法が使われている。モザイクの模様にはたくさんの意味が込められている。


外側。黒っぽい色の石は鉄鋼スラグ。黒い色のレンガは焼き過ぎタイル。黒い色多めなので、外側はハトはあまり好きではない。せっかくの窓枠の破砕タイルがよく見えないではないか、と思ってしまう。まあ、ガウディ氏は「これがいい!」だったのだ。

ステンドグラス(色付きガラス)の窓は開閉できる
鐘楼が見える
屋上へ上がれる階段が。




屋上へ上がる。何もない。ガウディ氏はここの工事を途中でやめてしまっていた。既にサクラダファミリアを作り始めていて、サクラダファミリアに集中!となったということだ。完成予想図は残されてはいる。もしもコロニアグエル教会が完成していたら、サクラダファミリアはなかったかも、と思うと不思議に気分になる。
もちろん屋上部分は95年時点では全く整備されておらず、屋根は波状のトタンで覆われたいた。地域の教会としてはずっと機能しているので、大切に使われてきていたのだ。

観光客が増えるに従って(世界遺産にもなったし)整備も進んだのだと思われる。が、なんだか味気ない感じになってしまったように感じてしまう…

屋上
屋上から教会の脇を見下ろす。
石材が散乱している(?)



屋上から司教さん宅も見える。手前に畑も見える。司教さんの畑かどうかは謎。畑を耕し、教会での仕事をする、日本でのお寺さんや神社さんと変わらない宗教者の生活があるのだな、と妄想する。

司教館



これでコロニアグエル教会の見物は終わり。
ハト達が去るまで、誰も来なかった。ドイツ人カメラマンさん達もいつの間にかいなくなっていた。これからも静かに佇むであろう、教会。



「また来ます」、と頭の中で呟く。

コロニアグエル教会を出て、カフェかどこかに入ろうとしていたけれど、堂内でゆっくり休憩してしまったのでその必要は無くなってしまった。もっとも村内には選べるほど店がない。
Sちゃんがミネラルウォーターを買いたくなったので、村内で売っている店を探して回る。発見しづらい店だったが、食料品兼雑貨店があった。レジで店番をしていたのは10歳くらいの女の子。学校はどうしたのだろう、と思ったけど、彼女が突如現れた東洋人3人組にちょっとびびっているのがわかったので拙いスペイン語で色々と喋りかけるのはやめた。
お会計をするとカタラン語で受け答えしてくれて、はにかんだ笑顔を見せてくれた。ちなみにここの店は地元価格なので、割安感あり。今にして思えばパンとかハムを買って公園でピクニック風でもよかったのかもと思う。

インフォメーション前のお手洗いを再び借りて、駅へ戻る。時刻は13:00ぐらいだった。

すごくのんびりしてしまった。滞在時間は3時間を越していた。これでランチにレストランとか入ることとしたら、1日がかりだ。だから世の中の観光は“サラッと見るだけ”なのだな、とつくづく思う。
のんびりしてしまったので、当然モンセラットへは行けない。行っても“弾丸”になってしまう。

グエル公園に行くことに

お天気は良いことだし、市内に戻ってグエル公園に行くのはどうだろうかと提案する。木曜日はグエル公園が無料なので混んでいるかもしれないけど、今からの時間でも公園はゆっくり見れる。
電車に乗って市内に戻る車内でお昼ご飯のタイミングも確認する。グレル公園は公園内にカフェが一か所だけ。地下鉄の駅から公園に向かう道の途中のバルやレストランでランチ。そのどちらかになる。ハト達はホテルの朝食で結構食べてしまっているからそんなにお腹が空かない、けれども座って休憩は取りたい。食べるタイミングが遅くなりすぎると今度は夕食が食べれなくなってしまう…
ランチにすると結構ボリューミーだから3人で悩んでしまう。結局歩いて見た感じで、ということにした。

エスパーニャ駅からは地下鉄3号線に乗った。チケットを予約していないので、Alfons X駅からのシャトルバスには乗れないからだ。
どうせ歩くならLesseps駅からで、街並みを見たり屋外エスカレーターを使ったほうが面白い。ちなみにVallcarca駅からの風景の方が味がある(ハトが好きなだけ)が、公園のチケット売り場まで遠くなってしまうのだ。だから時間があればお勧め。

Lessepesに着いた。ここからは知らないルートなのでマップを頼りに歩いていく。



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