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父に胸ぐらをつかまれた日

 あまりにも気乗りしない、修学旅行の出発日だった。

 一九九七年十月。嫌味にも快晴のその朝。いつもとは少し遅い時間の路線バスで、なんとなくの特別感が漂っていた。
 北海道とはいえ、さすがにまだ雪には至っていなかったが、外気はすでに冬のような独特の凍てついた色を帯びはじめていた。いっそ早く冬が来て、凍鶴のようになれれば、様々な言い訳ができるだろうに。などと考えながら。
 いつものように、友人と他の生徒の悪口で盛り上がりながら、日本海沿いを走るバスに身を任せていた。本当は、四泊なんて苦痛でしかない。とにかく早く帰りたい。当時、そう願ってやまなかったように思う。
 予定通りバスで札幌に向かい、そこから夜行列車で関西を目指す。寝る時まで他人と一緒だなんて、いったいどういう拷問だ。学校とはなんと恐ろしい場所だろう、と。

 海岸沿いを少し走ったあと、高速道路に入った。二時間ほど走った岩見沢あたりだろうか。札幌に向かう四台連ねた観光バスは、高速道路内でゆっくりと左に停まった。 

「ちょっと降りてくれるか」 

 担任から呼ばれた時、うっすら覚悟を決めたような気持ちで高速道路に出た。学校にいる教頭先生からの電話だった。

「今、お母さんから連絡があって、お父さんが亡くなったということです」

 ……父を亡くした高校生か。

 その日の一ヶ月半ほど前の九月、旭川の病院に母といた時、父の主治医に呼ばれた。

 「お父様は、長くもって年内までかもしれません」

 あと三ヶ月くらいということだな。そのとき簡単な計算をして自分の状況を理解しようとした。そうか、親が死にそうな高校生か、と。

 そうはいっても、毎日の学校が憂鬱な一人の男子高校生において、それは日々に少しばかりの張りを持たせるものでもなかった。

 とにかく、目の前のことが何一つ億劫だった。当面は、一ヶ月後に迫った修学旅行があまりにも重荷だった。小さな田舎町の高校にいる自分にとって、修学旅行に参加しないという選択肢は、考えにも浮かばなかった。

 晩年は入退院を繰り返していた父だったが、死の数ヶ月前は不思議と穏やかな体調だった。

 ある日の夜、部屋に来た父は、そこにおいてあった一枚の写真を見て、ふと自分の学生時代の話をし始めたことがあった。

 父は、かつて炭鉱町として栄えた町、歌志内に住んでいた。学生時代は写真部に属していたそうだ。以外にも楽しそうに当時の思い出を話す父に、冷ややかな態度を取ったかもしれない。いや、はっきりと、馬鹿にしていた。

 自分はラグビー部に所属し、それこそ文化部を軽蔑さえしていた。
そういう態度に腹を立てた父に、突然胸ぐらをつかまれた。そしてこう凄まれた。

 「おまえになんて、まだ勝てるんだからな」

 父に胸ぐらをつかまれたのは、これが初めてだった。最初で最後だった。

 札幌から寝台列車で「内地」へと入る一行を、札幌駅付近で見送る。小さな学校とはいえ、同級生は百人を超える。一人大型バスから降りずに、そこから百人を見送るということは、普通に生きていれば経験することはないだろう。百人に見送られることなら、将来何かで頑張れば経験できるかもしれないけれど。

 このまま、今来た道を帰る。先ほどまで高揚感で充満していた大型バスの車内には、運転手とバスガイドと、私のみがいた。往路と呼べることとなった道すがらとは打って変わって、復路となった今、同じ座席が比較にならないくらい心地よい。

 私は、父親を亡くした寂しさと、一人で大型バスに乗る優越感と、修学旅行に行かずに済んだという安堵感で、心の中が混沌としていた。そしてこう思ったのだ。それにしても今日は本当に快晴だ、と。

 高速道路を通る道すがら、この心のやり場をどうすべきか、迷っていた。父親を亡くした悲壮な高校生なのに、涙が出なかった。それどころか、心の中で小さくガッツポーズをして、父親に感謝する自分がいることに気づいてしまうほどだった。

 でも、私は悲しまなければならない。父親が死んだために、修学旅行のバスで一人帰路につく高校生とは、なんて悲しいシチュエーションが用意されたものか。できすぎだろう、親父。そう思わずにはいられなかった。そうして、無理やり泣いた。父親を亡くした高校生として。

 岩見沢は過ぎただろうか。気づけば日は暮れ始めていて、あれほど快晴だった天気は、いつの間にか雪に変わっていた。それがその年の初雪だったと、葬儀が終わった後で、母から聞いた。

 あれから二十年が経った。

 この間、自分は何となく生きてきて、さしたる都合もないまま、自分の信念とやらにすがるように言い訳をしてきた。

 弘前での大学生活を終えた後、東京に移り住んだ私にとって、北海道への帰省は、雪深い冬を避けた夏や秋ころが多くなっていた。
 早めに案内された父の二十三回忌には、出席しなかった。私には、もはや父は過去でさえなくなりつつあった。そんな秋の夜、私は夢を見た。

 それは、しんしんと降る雪景色の中から、父が姿を現すというものだった。父は特に何も話さない。ただこちらを見ていた。怖くはなく、不思議と安堵をおぼえる夢だった。ただひたすら、雪がしんしんと降っているのだ。

 暗くはない。でも照らすのは雪あかりでしかない。こな雪でもつぶ雪でもみず雪でも、かた雪ざらめ雪こほり雪でもない。強いて言うなら、わた雪だろうか。

 そこがどこかはわからない。実家ではない。大学生のころに住んだ、弘前の雪景色だろうか。もしくは、私が見たこともない、父が写真に明け暮れていた頃の歌志内だろうか。

 朝、起きてカーテンを開けると、外は雪景色だった。
 その年の東京の初雪だったと、母からのメールで知った。ふと思った。父が久しぶりに姿を見せたのだろうかと。私は空を眺めた。父は見えない。でもきっと、ここにいるのだろう。どういうわけか、確信じみたものを感じながら。

 父は雪の中、何をしに来たのだろう。何か言いたいことはなかったのか。それとも、あの二十年前の、私への宣戦布告にけりをつけたかったのだろうか。今ならどちらが勝つのだろう……。

 予定されていた撮影仕事は、延期となった。私はその日、父がそれほど好きではなかった洋菓子を買い、実家に送った。

 では、これから何を撮りに行こうか。私のために。父のために。今日撮った写真なら、父に勝てるかもしれない。

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