私の新刊「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」
私の新刊が5月19日に出ます。タイトルは「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」
アマゾンや全国の書店にて予約中。めがね書林では、サイン本を先行発売する予定です。
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「ぼくは決めたのだ。成長しない、と」「変わらないために、変わり続ける」というのが、私の新作小説「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」の帯のコピーである。
近年、私は、成長することと、成長しないことを考えてきた。
人間は、年を取る。これは人間である以上、理である。ただし、それは、人間的に、精神的に成長することを意味しない。年を取っただけの場合もあり得る。
とするならば、私は、年を取った。それはたしかだが、成長しているのだろうか、人間的に。あるいは、書く人間として。
その問いを自分に発しながら書いた小説が新作、「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」である。
「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」「11月のスケープゴート」の2つの中編小説、noteに発表した「ロボットです」という掌小説が収録されている。
書き手として成長した小説であってほしいと、私は願っている。
以下、「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」の書き出しである。
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1
高校時代、世界はボブ・ディランとジョン・レノンでできている、と思っていた。時代は変わる(ボブ・ディランの名曲だ)、けれど、自分の世界は何者にも変えられない(ジョン・レノン「アクロス・ザ・ユニバース」の歌詞である)。でも十数年が過ぎたいまはこう思う。世界はそれだけではない。青空のように深く、底がなく、突然の嵐のように理不尽で不条理だ。かなしみに満たされている。
ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない、と。
ハラハラと枯れ葉が舞う晩秋になると思い出す。とあるエピソードを語ろうとぼくは思う。ときどき思い出しては胸がチクチクとする。うわあっと大声を出して大泣きしたくなる。そんな個人的な思い出である。あれはたしか、高校二年生のときだった。あんなことがあったのに、ぼくの人生への態度はその時期から、基本的に変わっていない。この世界で、自分ができる限界まで挑戦する、出世して社長になる、ベンチャー事業を起業する、人気ユーチューバーになる(そのころはユーチューブそのものがまだ存在していなかったけれど)、そんな現世的な高みをめざすようなことはしない。そこそこの彼女をゲットして、そこそこの高校で、そこそこの高校生活を送る。身の丈にあった、背伸びをしない人生。友だちから、向上心がない生き方は、人間的に成長しないぞ、とたしなめられもしたが、そんな言説は、ぼくにとってはどこ吹く風である。
ぼくは決めたのだ。
成長しない、と。「ブリキの太鼓」のオスカルのように。
ぼくが通っていた高校は、そこそこの偏差値の高校だった。ただ、生徒の自主性が強い高校で、ぼくが入学する数十年前のことになるが、教師抜きで、生徒自身が「入学を祝う会」をやろうといいだし、実際に一度やってしまった高校である、と聞いている。自由な校風、といえば聞こえはいいが、自由と放任は紙一重である。というわけで、制服がなく、髪を染めても問題にならない高校で、駅から続く一本のだらだら坂をかたつむりのように歩いて登下校した。不思議なことに、生徒はみんなこの高校が好きだった。
ぼくには彼女がいた。峠真夏である。
真夏は、松崎のことを知っている。中学のクラスメイトだったからだ。彼女は松崎のことが嫌いだった。キモタマに染まる、と思っているのだ。
キモタマとは、キモい魂である。
キモい男には、キモい魂が存在していて、それがキモい男を作り上げる。
キモい魂は、それだけで完結していない。感染するのである。
キモい男に近づくと、その男までキモくなる。やがてキモい男のコロニーができあがる。キモい男の王国だ。
真夏は、そんな妄想をしている。つまり、ぼくまでキモくなる、と。そんなはずがない、といってもきかないのだ。
真夏の松崎嫌悪は、変えようがない。努力したが、無駄だった。ある種の病気のようだった。
お手上げ。手の施しようがないのだ。
真夏と最初に性交した場所は、ぼくの部屋だった。
なりゆきでそういう雰囲気になった。暴走列車のように、びっくりするくらいどんどんことが進んでいった。い、いいのかよ、と尋ねてしまったくらいに。キスをして、Tシャツを脱がせて、ブラジャーを脱がせて、パンツを脱がせて、乳房に触って、またキスにもどって(順番がいきあたりばったりだ)、挿入した。グイッと押し込んだ。あとはただがむしゃらにぼくは、腰を動かした。両手両足でバタバタともがくカブトムシのような気がした。
真夏が悲鳴のような声を上げたので、ぼくは慌てて真夏の口を押さえた。高校生で、今回が初めてのぼくに、膣外射精なんて高度な技術をつかえるわけがない。あっと思ったときには、真夏のなかにドバッと一気に射精していた。ぼくの胸に、満ち足りた哀切な感情がひろがった(真夏は初めてではなかったような気がしたけれど)。
なかに出してしまった。ど、どうしよう。
毎日、気が気じゃなかったのは、いうまでもない。
真夏から生理がきたと聞いたとき、ぼくは心底ほっとし、そんな自分が本当にいやになった。
2
「超美少女を見つけた」
松崎が怒鳴るようにいった。大声を出す必要なんてないのに。携帯電話なのだから。ふつうの声で、充分につたわる。
「本当なんだよ。めちゃくちゃかわいいのだ」
夜の九時半だった。中学のクラスメイトで、高校が別になったのに、いまでも連絡がある人間は、それほど多くはない。ぼくは人見知りをするタイプなので、自分と共通する何かがないと、なかなか親しくなれないのだ。
松崎はその数少ないひとりである。しかも例外的に、共通点がない。にもかかわらず、仲がいいのである。仲がいい? それは語弊があるかもしれない。松崎が頼みもしないのに、一方的に連絡してくるのだから。
「かわいい女の子は天然記念物だ。人間国宝だ。おまえだって、そう思うだろう?」
松崎のいつもの主張である。
「そうだな」
ぼくは仕方がなくいった。そして尋ねた。
「その趣旨にあわない女の子は、どうなるんだ?」
「何の興味もないね。どうでもいい。郵便ポストといっしょだ。あ、郵便ポストは懸賞はがきを出すときには意識するから、それ以下だ。とにかくおれの人生には何の関係もない存在で、おれに迷惑をかけずに生きてくれればそれでいい」
この手の男は、太っていて、めがねをかけ、髪の毛は不揃いで、服装にはお金をかけない、と相場が決まっている。実際そのとおりだった。
女の子にモテない。
ぼくが知っている限り、生身の女の子と話をしているところを見たことがない。
要するに、女の子に幻想を抱きすぎなのだ。かわいい女の子は、純粋で、純潔というイメージが強烈に刷りこまれていて、それ以外の属性を受け入れられない。性経験があろうものなら、とたんにビッチというカテゴリーに放り込まれる。
松崎の基準では、女の子は、ビッチだらけである。
「で? 用件は何?」
ぼくが尋ねると、松崎はこほんと咳をしていった。
「相談があるんだ。明日、時間あいているか?」
3
翌日は日曜日だった。
ぼくはハーフコートを着て(冒頭に書いた通り、晩秋だった)、駅前のマックまで自転車をこいでいった。おごってやるからさ、と電話でいわれたが、それは断っていた。なんだか知らないが、松崎の頼みごとにこたえられる確信が持てなかったからだ。それなのに、おごられても困る。
松崎は約束の時間より十五分、遅れてきた。いつものことだ。松崎と会うのは久し振りだったが、容貌は相変わらずだった。ダウンジャケットを脱ぐと、ネルシャツが出てきた。よれよれのジーンズにインして、太めのベルトをしている。ジーンズの丈が短くて、白い靴下がよく見えた。不思議なのは、時間を守らない男なのに、いい時計をしている。どこにでも売っている代物ではない。デザインが独特で、超レアなのだという。特定の時計店にしか入荷しない限定品で、その時計を取り扱う店は、最寄り駅より五ついった大きな駅にあるという。松崎は何かというと、それを吹聴してきて、時計に何の興味も持てないぼくは、正直、うんざりしていたのだ。
ぼくは静かにコーヒーをすすった。
いきなりまあたらしい時計をした腕がのびてきたと思ったら、ぼくの目の前をはがき大の紙の束がヒラヒラと踊った。
松崎の指には、十一枚の写真がつままれていた。
「ほら、彼女だ」
松崎は誇らしげにいった。
たしかに超美形の女の子が写っていた。レンガ造りの塀の前に横顔を見せて静かに佇んでいた。まるで決定的な瞬間とでもいったように。
「誰?」
ぼくは尋ねた。
「だから、それをおまえに調べてもらいたいのだ。おまえの彼女の女子高の生徒だ」
ぼくの彼女。真夏のことである。なるほど。たしかに、制服が同じである。
「この写真、どうしたの?」
「撮ったんだ」
「ん? どういうこと?」
「だから撮った」
「それは、盗撮ということ?」
「盗撮じゃない。家のなかをのぞいたり、こっそり撮ったりはしていない」
「でも、この子の許可は取っていないだろう?」
「もちろんだ」
「では、どうやって撮ったんだ?」
「尾行して」
「ストーカーじゃないか」
「道とか公園とか、パブリックな空間で撮影されたものばかりだ。私的な空間で撮影したものはない」
「肖像権には抵触しているだろう?」
「何だ、それは」
松崎はうんざりした顔をして吐き出した。「いっただろう、かわいい女の子は、宝なのだ。宝は共有するものだ。おれはおまえの説教を聞きにきたわけではない。この子の名前を知りたくてきたのだ」
「だったら、そんなことは、おまえの得意分野でやればいいじゃないか。家までストーカーしていって、表札を読めばいい。それだけだ」
しまったと思ったが、ぼくはいってしまった。松崎はむすっとした表情で、うなずいたかどうかも、わからなかった。
ぷいと立ちあがると、松崎は何もいわずに店を出ていってしまった。
ぼくのてのひらのなかに、写真を残したままで。
おい、松崎、とぼくは呼びかけたが、完璧に無視された。
それが松崎の意図的な戦略だったのかどうか。
暗黙の強制。がたがたいわずに、とっととおまえの彼女に聞け、ということである。