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別れの季節は三月だけとは限らない

 私の新刊、「アラフォー女子の厄災」(櫻門書房)という短編集に、「別れの季節は三月だけとは限らない」を収録しました。その際、細部にわたって、時間をかけて、加筆修正を行いました。作品としては、さらによいものになったと自負しています。ので、こちらに掲載した「別れの季節は三月だけとは限らない」も、加筆修正済の作品に差し替えたいと思います。
 書き出しは同じです。

 同人誌の漫画家というのは、確実に肩身が狭い。サークル間ならともかく、世間的にはまったく相手にされないからである。作家として認識すらされていないかもしれない。

 ご覧ください。

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 同人誌の漫画家というのは、確実に肩身が狭い。サークル間ならともかく、世間的にはまったく相手にされないからである。作家として認識すらされていないかもしれない。
 コミケで頒布した、薄い本を見せても、態度が変わることはない。コミケでは、ちっとは名前が知れた人気サークルの作家であっても、それは、同様である。ぺらぺらの薄い本なんて、世間にとっては、本ですらないのだ。紙の束。いやいや、エロ描写を含んでいれば、それはもう「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるとされる」本だと決めつけられ、廃棄される可能性だってなくはないのだ。
 同人誌の話をしていると、尋ねられることがある。
 あなたは、いまおいくつ? いつまで、こんな(しょうもない)漫画を描いているの?
 そのひとたちにむかって、けっこうこれ、人気なんです、人気作なんです、と説明しても無駄である。
 世間の反応は、紙のように冷たい。
 あたたかいのは、ファンだけ。面白かったです、というファンの一言を心の糧に、私は漫画を描いているのだ。
 私は、ネットとコミケで頒布する作品を細々と描いている。
 ただ、世間がいっていることで(くやしいが)当たっていることがある。同人誌では喰っていけない、ということである。同人誌を捨てて、メジャー雑誌の作家になるか、同人でも、バカ売れするような作家になるか、そのどちらかしか、道はない。私の漫画は(残念ながら)そこまでは人気がない。そこそこの数のファンがついている、そこそこの作家である。メジャー雑誌の編集者から声をかけられたことは、一度もない。
 それは知っている。というわけで、どうしたかといえば、大学を卒業して、就職をしたのである。生活費を確保したうえで、帰宅してから深夜まで漫画を描いているのだ。その二重生活が私の精神状態を追い詰めたりすることは、ない。職場で大失敗をしても、締め切りが常にあり、とにかく描いていなければならないからである。おちおち悩んでいる心の余裕や、そもそも時間がないのだ。とにかく描くしかないのである。全身全霊をこめて。一心不乱に。そのあいだ、私の頭のなかには、職場の大失敗のことなどない。追い出している。よくもわるくも。
 私が就職した、藤崎女子高等学校は、東京多摩地区にある高校である。西武新宿線という私鉄路線の東村山駅が最寄り駅になる。東京と埼玉の境にある高校だが、れっきとした、お嬢さま学校である。しかも偏差値七十二。熾烈な偏差値競争を勝ち抜いてきた生徒が集まる、進学校なのだ。
 ちなみに、私は都立高校だったので、偏差値が高く、かつ学費も高い私立高校に入学したいと思う人間の気持がわからない。わからなくても、仕事にはいっこうに差支えがない。私は、その女子高で、庶務課に配属された事務職員なのだから。
 先生ではない。
 これもよかった、と思うことの一つである。私は大学で、教職を取っていて、教員免許も持っているのだが、教員ではなく、事務職員に応募した。なんとなく教員には向かない、と思った程度の判断だったが、これが正しかった、といまにして思う。
 先生は本当に、本気で、忙しい。定時で帰れる事務職員とちがって、放課後も生徒対応があり、いろいろと仕事が山積みで、帰宅時間も遅い。漫画を描いている時間など、とても取れそうにないのだ。
 もっとも、同人漫画家として、心を痛めることがないわけではない。針でちくりと刺されたような痛みが長く残るのは、長年のファンが離れていったときである。作者にはわかるのである。直感で。ちゃんと。ああ、離れていったんだな、と。新刊を出すたびに、すぐに感想を送ってきてくれていたファンからのメールがこない。いつまでたっても。一日に数度、メールのアイコンをクリックする。未着表示が、私の胸を突き刺す。痛い。きつい。これは、離れていった証拠なのである。一度離れたファンは、戻ってこない。私の場合は、たいていそうである。私は追わない。追えない。作品が粗雑だったことが、理由の場合もあるが、そうじゃないこともある。時は流れる。人間は年を取る。人間は、時の流れに浸食され、いつの間にか、ある日、ふと気がつくと、とりかえしがつかないくらい、本人が置かれた状況と心が乖離し、変ってしまっているのだ。しかたがない。しょうがない。それがつみかさなって、出来上がったのが、いまの私である。
 先日も、長年のファンが去っていったばかりである。三十を前にして、とうとう結婚するというのである。これを機に、同人誌を買うことを、やめたい、と直接、メールに書いて送信してきた。夫になるひとには、同人誌が好きなことを隠している。そのことを告白する気もない。隠しごとはしたくないから、きっぱりとやめたい。同人誌を含め、本はすべて捨てた、と。そういうのである。同人誌を買うことは、集めることは、そこに載っている漫画が好きなことは、恥ずかしいことなのだろうか。私は、自分が好きな世界を、好きな漫画を、妥協なく描いてきたつもりだ。恥ずかしいことはない。エロいシーンだって、愛している。自分の作品に誇りを持っている。まことに残念である。そういうふうに取り扱われるのは。それでも、私は笑顔で、送り出した。
 さようなら。船は出ていく。私は残る。私は、このいばらの楽園にいる。ここが、私がいる場所だから。さようなら、友よ。

 少しばかり傷つき、すこしばかりセンチメンタルな気分にひたったからといって、罰は当たるまい。

 その話を聞いたのは、もうすぐ夏休みに入るという季節である。生徒たちがにぎやかに色めきだっている時期だった。
 高校の朝は早い。朝礼は、八時に始まり、八時十五分に終わる。その後、ホームルームとなる。
 朝礼で、その事件は、先生方に周知されたのだった。
「本校の中庭に落とし穴を掘った生徒がいます。今朝、H先生(特に名前を秘す)がうっかりはまって、危険な目にあいました。ホームルームで、生徒に注意を促してください。中庭に、むやみに落とし穴を掘ってはならない、と」
 そのH先生は、朝、早くきて、ラジオ体操に似た奇妙な運動をすることで、学校内では知られている。H式ラジオ体操は、事務室的には無害なので、ほとんど気にとめられていないが、彼女が事務室に足を踏み入れた瞬間、緊張が走る。クレームをつけることで、有名な先生だからである。その点で、「危険な目」にあっただけですんだのは、幸いだったといわなければなるまい。もし怪我をしたら、何をいい出すか、わかったものじゃない。そういうひとである。
 落とし穴を埋めるのは、事務室の人間の仕事である。男性職員が倉庫から大きなスコップを持ってきて、穴を埋めた。
 私は特になにを手伝うでもなかったが、様子を見にいった。犯人が掘ったという穴を見た。中庭のはしにある、大きなクスの木の下である。どうしてこんなところに、と思うような場所だ。
 穴は、それほど深くない。五十センチ程度だろう。
 もし本当に、穴に落とすことが目的だったのなら、狙う、先生がいたはずだ。教室で、先生にいじめられている。嫌いな先生。嫌な先生。憎い先生。無差別殺人じゃあるまいし、誰でもいいから、先生を穴に落としたかった、などということが、あり得るのだろうか。
 生徒の場合は?
 いじめられている。嫌いな生徒。嫌な生徒。憎い生徒。

 どうだろう。

 校内のいじめまで話が広がったら、解決まで時間がかかる。簡単にはいかない。でも、とりあえず、この件は、これで終わりだと思っていた。適切な対応をした結果、きれいに終了した、と。ところが、翌朝も、事件は起こった。またもや、誰かが、夜、落とし穴を掘っていたのである。H先生がまた落とし穴にはまって、今度は、足を捻挫した。同じところを挫いたらしい。いったあい! 骨折したあ! と叫んだということだ。ただちに、タクシーを呼び、病院に向かった。
 お笑い芸人の何のひねりもないネタのようだが、本当のことだ。事態は、思いがけず、深刻みを帯びたのだった。
 ホームルームで、生徒にむかって、犯人は、名乗り出るようにと周知された。担任の先生たちの口調も強い調子に変った。
 だが、もちろん。私が犯人です、と名乗り出る生徒はいなかった。いるはずがない。そこには、悪意があったのか。なかったのか。
 いっさいが不明だった。
 学校内には、あちこちに防犯カメラがついている。出入り口、廊下、階段、渡り廊下等々。しかしながら、肝心の中庭附近にはついていなかった。それでも、当日の映像を細部まで厳しくチェックしたのだが、防犯カメラには、あやしい人影は映っていなかった、という。

 庶務課とは、学校内に飛び交う書類のまとめ役、交通整理の部署である。つまり、縁の下の力持ち、裏方である。
 私は、就職して二年のあいだ、上司の命令で、庶務に提出された書類にはすべて目を通している。
 そして、ああ、わかった、と思った。
 もちろん、私は探偵ではない。わかったからといって、どこぞの名探偵のように、関係者を一同に集めて、自分の推理を披露し、最後に犯人をあばくわけにはいかない。私にはそんなえらそうな真似はできない。私は一介の庶務課員であり、付け加えるのなら、新米である。とにかく、マニュアルを熟読しろ。頭に叩き込め、と先輩に指導を受けている身である。ですぎた真似はできない。

 お昼休み、そとに出た。コンビニで売っている弁当を買い、公園で食べた。栄養ドリンクを飲みながら、読書(漫画)をする。
 席に戻ると、
「やっぱりきたわよ。H先生」
 先輩の女性職員が、一枚の領収書を私に手渡しながらいった。
「何の話ですか?」
「労災の申請。こないだ、穴に落ちて、足を挫いたでしょう? 授業前であろうとも、タイムカードを押したんだから、これは、労災である、と主張していた」
 正論である。学校内での事件である。労災にあたるだろう。
 ただし、この場合は、ちがうと思う。
「いつですか?」
「たったいま、帰ったばかり」
「わざとなのに」
 私は思わず声に出していってしまった。
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
「は?」
「ちょっと、どこにいくの」
「お手洗いです」
 私はいった。

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