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「郵便小説」用の小説を書いている

 「郵便小説」用の小説を書いている。
 サイズが決まっている。A4用紙で、縦横40×40。その設定で、6~8枚。郵便で送る。つまり、手紙である。暗黙裡に、手紙というメッセージを含んでいると捉えて、そのことを踏まえたうえで、書いている。
 サイズが決まっているということで、思い出すのは、短歌である。短歌を書いたことはほとんどないが(たぶん)、俵万智「サラダ記念日」がベストセラーだったころ、31文字の縛りのなかに、自分の言葉を押し込めるのって、気持がいいといっていた友人がいた。
 意外だった。というより、わからなかった。
 当時から私は小説を書いていたが、小説という器は、基本的に何をどのように書いても自由である。その自由度がいい、と思っていた(ただし、メチャクチャ自由に書いた小説を、読者が面白いと思うかどうかは、別の話である)。そういう人間からすると、自由に書けないからこそ、逆に、気持いい、なんて、理解できなかった。
 短くて、不自由な形式だからこそ、自分の言葉が自由になる、というひともいるのだろう。私には、できない。苦手だ。
 ただし、今回のような郵便小説のようなサイズは、苦にならない。むしろ、作品全体をイメージしやすい。

 話は変わるが、シーリング・スタンプというものがある。シーリング・ワックスともいうが、封蝋のことである。時代設定の古い外国映画を観ていると、たまに出てくる。手紙の封筒や文書に蠟で封印を施している、あれである。
 そのシーリング・スタンプで、封をして、郵送したら、かっこいいのではないか。そう思いついて、あれこれやっている。一通作るのに、けっこう手間がかかる。だが、やりたい。
 封蝋をした封筒で、郵便小説を送り出したい。

 さて、そんなわけで、いちばん新しい私の郵便小説は「小説屋⑥ 平賀円内」である。
 めがね書林で、発売中である。

 よろしくお願いします。

 書き出しは、こうだ。

                    *

「小説を読んで感動しました」

 ある日、こんなメールを受け取った。
 私は小説家である。数作、書いている。だから、見知らぬひとからのこういう感想は、心底うれしい。嬉々として返事を書きたくなる。私の小説のどこに感動しましたか? と。
 そこで、私のキーボードを打つ指先が止まる。
 問題は一つ。私は、まだ、小説を発表していないのである。いっさい。
 私はたしかに小説を数作、書いている。書き終えている。それは間違いない。だが、作品のクオリティに納得できていなくて、発表していないのである。一作もだ。完成原稿は、私のパソコンのなかである。誰も読んでいない。私以外は。
 インターネットで発表する気でいる。だから、数多ある小説サイトの人気ジャンルの傾向を比較し、私の小説が好まれそうな小説サイトに決めた。そのアカウントはすでに取得している。だから、完成原稿を投稿しさえすれば、いつでも発表ができる。一秒もかからない。自分の小説が世間にどのように読まれるのか、わからないので、作者的には緊張し、息詰まる瞬間ではある。だが、手続きは簡単だ。
 さらにいってしまえば、エッセイもコラムも発表していない。いくつか下書きはしてある。だから、ストックがないわけではない。ただ、小説と同じ理由で、作品のクオリティを鑑みて、納得がいっていない。私は、私のなかでは小説家だが、世間的には知られていない。存在していないも同然だ。
 それなのに、小説を読んで感動した、とはどういうことだろう。


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