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「1979年の夏休み」あとがき 三ツ矢サイダーと夏の青空

 私の新刊「1979年の夏休み/下半身の悪魔」が5月10日にAmazonから発売されます。めがね書林では、4月27日(金)より先行発売します。サイン本です(送料別)
 詳細は、めがね書林のサイトをご覧ください。
 また、渋谷○○書店にて、5月3日(水)と5月6日(土)めがね書林が店番をしますので、私も付いていきます。新刊を並べ、そのときご購入いただいた方には、サインをします(時間は各日とも12時~午後3時。時間にご注意ください)
 ご都合のよろしいかたは、ぜひ、お越しください。
 また当日、2冊お買い上げのかたには、プレゼントを用意してお待ちいたします。
 どうぞよろしくお願いいたします。

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 「1979年の夏休み」あとがき 三ツ矢サイダーと夏の青空

 レンタルビデオショップが全盛の頃だった。すごいビデオがある、丸見えなんだ。しかも女優が美人だ、驚いたよ、と予備校の友だちに聞かされて、え、本当? と私は語義矛盾するようだが、小声で雄叫びを上げた。
 女優の名前とタイトルを覚えて、すぐに近所のレンタルビデオショップに走った。そのショップには置かれていなかった。カウンターにいた店員さんに聞いたが、そのビデオは入荷していない、入荷する予定もない、と冷たくいわれた。友だちの話を聞いて、下半身に青い渦のようなものがたまってきたので、家から少し離れたレンタルビデオショップに自転車で出かけた。そこにはあったが、貸出中だった。パッケージに写っている女優はたしかに相当な美形だった。一週間程度置いて再び訪れてみたが、やっぱり貸出中だった。ギリギリモザイクとかハイパーモザイクとか、薄消しとかいわれていた時代だ。
 私は浪人生で、東池袋の予備校に通っていた。予備校の授業は午前中で終わる。すぐに家に帰る気になれず、午後は池袋界隈をぶらぶらしていた。つけ麺の元祖、山岸一雄さんが歩いている姿を何度か見かけた。その頃、私がよく寄り道をしたのは、東口では西武デパートにあった書店リブロと詩の専門店「ぽえむ・ぱろうる」、WAVE、パルコに入っていた山野楽器、東口を出て、すぐそばにあった新栄堂書店、池袋西口では東武デパート旭屋書店、芳林堂書店、いちばん上に「栞」というカフェがあって、利用していた。古書店の夏目書房、八勝堂。西口にはたしかもう一つ大きな古本屋があったが、店名を忘れてしまった。レコードと古本屋(ときどきカフェ)。なんだ、いまの生活と変らないじゃないか。人間はそう簡単には成長しないものだ。
 十九歳、まだまだ思春期だった。恥ずかしげもなくそういう単語を使えるのは、そういうことがいえる年齢になったからだと私は思う。彼女はいなかった。女の子と話をすると、わけがわからなくなって、落ち着きを失い、胸がざわざわした。予備校生なのだからそんなものにうつつを抜かしている場合ではない、というのはタテマエ、あるいは単なる言い訳で、彼女がいればいたで私の浪人生活は充実していたにちがいない。
 
 同じ予備校で、帰りに、たまにいっしょになる女の子がいた。Yちゃんだ。小柄で、爽やかな色のワンピースをよく着ていた。顔立ちは和風で、目が細く、おっとりとしていた。話しやすく、とくに笑顔がよかった。ぱっと花が咲くようだった。いわゆる流行りの美人ではなかったが、そこは問題ではなかった。駅までいっしょに歩いて、別れる。それだけの関係だったが、いつの間にか私は意識するようになった。私は彼女のことが好きなのだろうか? 私は家に帰って、机に向かって勉強をしながら、自問自答した。
 ある日、予備校の講義の休み時間、Yちゃんが校舎裏で、手慣れた感じで一人で煙草を吸っているのを目撃した。がっかりしたのを覚えている。Yちゃんはそのうちに予備校にこなくなった。その後のYちゃんの行方や進路は知らない。
 あれが恋だったのか、どうか、いまだにわからない。顔も薄ぼんやりとしか覚えていないのに、なぜか、そのときのときめきだけは妙に鮮やかに覚えているのだ。不思議なものだ。
 例のAVだが、数週間待って、ようやっとレンタルしてきた。ドキドキしながら自分の部屋でこっそりと観たが、モザイクは予想以上に濃かった。しかも女優は平凡な顔をしていた。パッケージと本人の顔がちがう。AVあるあるである。友だちのおふざけを真に受けた自分に怒りを覚えた。
 夏だった。Yちゃんがこなくなった予備校の帰り道。グリーン大通り(旧称市電通り)の自販機で、私は三ツ矢サイダーを買った。立ち止まって、青空を眺めながら、ごくごく飲んだ。夏なのに、私は何をしているのだろう。何もかも中途半端で、達成感もない。漂っているだけだ。蜃気楼のように漠然とした未来だけが待っている。いや、未来が遠方をからからと乾いた音を立てて、舞っているように思われた。
 青い空がまぶしくて、三ツ矢サイダーの味は爽やかな甘さというよりもほろ苦かった。
 
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 これは私の十二冊目の本である。
「ピアノの音色と軽い地獄」は以前、郵便小説「千紗」として秘かにそっと販売していたもの。本のタイトルになっている「1979年の夏休み」は「江古田文学」第35号(1998)に発表した。モーマスの楽曲「Summer Holiday 1999」を聴きながら、書いたことを覚えている。二十五年前の作品だ。大幅に加筆、訂正を加えた。長い歳月の積み重ねによって、作者の心に絶望と生きることの切なさが深まっている。その切実さを込めたつもりだが、このリライトに少しでも反映されていることを祈るばかりだ。
なお、この小説に出てくる別荘は、大学の恩師、伊藤礼先生の話からイメージした。ただし、イメージであって、事実ではない。先生とは現在もゆるく交流が続いている。
 「下半身の悪魔」「ボン・キュッ・ボン」は原型になったものがいちおう 「江古田文学」に発表されているのだけれど、一つの短編を二つに分解した上でリライトした。ほぼ原形をとどめていないので、新作と言ってもいいだろう。ネットで調べると、ボン・キュッ・ボンという言い方は、現在使用されていないようだ。ただ、上坂すみれさんにそのタイトルが付いた楽曲もあるし、そのまま使うことにした。
 
 親しい人が亡くなる。また、一方的に親しんでいた作家やミュージシャンが亡くなる。
 そんな話を頻繁に見聞きするようになった。人間である以上、いつの日か、あの世からお迎えがくるのは断れないこの世の理だが、その深い悲嘆のなかでこれからも物語をつむいでいくだろうと思う。
 
 最後に、Ohzaさんの「それぞれのビートルズが聴ける本」を巻末に収録した。この記事は、私の「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」について、note に書かれた記事の採録である。Ohzaさんはnoteに毎日、精力的に魅力的な記事を投稿している方だ。私の申し出を快く受けてくださったOhzaさんにお礼申し上げます。
                       緒真坂
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