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怠惰と優雅は紙一重

平日の朝、目が覚めると、鳴った覚えのないアラームはすでにスヌーズに切り替わっている。
時刻は朝七時半。頭は、ぼう、としていた。
鎖骨をくすぐる髪に触れれば跳ねていて。まあ、結べばいいか、なんて。…怠惰だ。
目の前にある彼の寝顔を見ていると、このままもう一度寝てしまうおうかな、なんて。あと、じゅうごふんだけ。

そう思ったとき、ふと。
最近、朝ごはん、食べてないなあ。って。


なにせ、わたしも彼も朝にはめっぽう弱い。
そんなわたしは、朝ごはんを食べること、にすら、なんだか優雅さを感じている。

そこで、自分の食べたい朝ごはんを考えてみる。
せっかくなら、ときめく朝食がいい。

ときめく朝食って、ただ好きな食べ物じゃなくて、朝に食べるからこそ、というもの。
そして、食べるときのシチュエーションも欠かせない。

と、考えると、わたしのそれは、ホットケーキかもしれない。

単純に、ホットケーキを朝食にするのって、なんだかわくわくする。
だってホットケーキって、名前に“ケーキ”が入っているからか、食事ではなくておやつのようなイメージがあるから。
だからこそ、それを食事にしてしまうことに罪悪感すら覚える。
真夜中のラーメン、ダイエット中のチョコレート、罪悪感と共にする食べ物はどれもさいこうだ。

そして、できればそれを恋人と食べたい。

友人や恋人と夕食を食べることはあっても、朝食を食べることってあまりないから。


ちょっぴり気恥ずかしさがたゆたう土曜日の朝、料理の苦手な彼のつくったホットケーキは、きっといびつだ。

―――――

ぴぴぴ、となるアラームの音で目が覚める。
今日は土曜日だけれど、スヌーズになる前にアラームを止められたようだ。

というのも、今日は彼とのデートだから。
いつもは起きられないくせに、我ながら都合がいいと思う。

隣の彼はまだ寝ているけれど、準備に時間はかからないだろうし、もう少し寝かせておいてもいいかな。
と、寝ながらもわたしの腰に回っている手をゆっくりほどいて、寝室をこっそりと後にする。

とりあえず洗面所に向かって顔だけ洗ったあと、朝ごはんの準備をしようとキッチンに向かう。

と、たったいま起きてきた彼が、寝室から顔をのぞかせる。
眼鏡をかけたその姿は毎日見ているのに、家でだけかけている、と思うとちょっとドキッとする。

「・・・ぉ早う」

と、目をこすりながら、ふあ、と腕を伸ばして、ぺた、ぺた、という音が聞こえてきそうな歩き方でこちらに向かってきた。
わたしの背後に回って腰に腕を回すと、わたしの肩に顎を乗せてもたれかかってくる。

「朝ごはん、どうする?」

彼に聞いておきながら、わたしの頭の中にある選択肢は一つ。
話しかけながら、冷蔵庫から卵と牛乳、戸棚からホットケーキを取り出す。
あ、あとこの間買ったジャムはどこにやったっけ。

「いや、これはホットケーキの選択肢しかないでしょ」

「え~?」

そう。今日はホットケーキが食べたいのだ。それも、きみのつくった。
腰に回っている彼の手をつかみながら、ゆらゆらと揺れる。

「…おれがつくればいいの?」

と笑う彼。やったね。


パジャマから着替えずに、袖を捲りながらいそいそと準備を始める彼を隣で眺める。
料理が苦手なのは自負しているみたいだけれど、ホットケーキは小さいころにお母さんに教えてもらったらしい。

こんこん、とキッチンの角に卵をあてて、殻を割る。
伸びる白身のとろみを切るように、彼は目の高さまで殻を持ち上げた。
まるで、オリーブオイルを芸術的に注ぐように。

「どう、慣れてる感じ、するでしょ」

「いや、あれの真似だよね、某’s キッチン」

「ちぇ、ばれたか」

そう言いながら彼は、中身を入れ切った卵の殻をぐしゃ、としてから三角コーナーに入れた。

ホットケーキミックスと卵の入ったボウルを片手に抱えて、もう片方の手でかしゃかしゃ、と混ぜる。わたしがするよりも力強いそれに、ちょっと男らしさを感じる。
そのまま、彼はボウルの中身をフライパンに垂らしていく。

フライパンの前に立つ彼の後ろから顔を出して眺めるわたし。
彼は、フライ返しを指揮棒のようにしながら、ふんふんと聞いたことのない鼻歌を口ずさんでいた。

「なんの曲?」
「ん?オリジナル」

そうして完成したいびつなホットケーキ二人分を、わたしがテーブルに運ぶ。
テーブルに置いたホットケーキをこっそり写真に収めている間、彼は冷蔵庫からジャムを取り出していた。

そのジャムは、先週二人で出かけたとき、ふらっと入ったお洒落なカフェで見つけたもの。
レジの横にあったそれは、透明な瓶に金色の蓋で、中身はきらきらと輝いていて。
瓶と蓋を留める細いラベルには、カフェの名前だけが手書きのような字で並んでいて、なんだかかわいい。

店員さんが、「季節によって取り扱うジャムの味を変えてるんですよ」「ぜんぶ、珍しい組み合わせで」というものだから、彼と目を合わせて、どちらともなくジャムを手に取ったのだった。
「それは、桃とグレープフルーツですね」たしかに、ちょっと珍しい。


彼は、そのときのジャムを片手に、さっきと同じであろう鼻歌を歌いながら、ミュージカル気取りの足取りでこちらに向かってくる。
これがお望みでしょう、と言わんばかりに、先に席についていたわたしの横にひざまずいて差し出されたジャム。
そんな彼はパジャマのまま。寝ぐせだってついていて、ちょっと間抜け。
まあ、わたしも彼と同じような恰好だけど。

そんな彼の動きはスルーしながら受け取って、わたしと彼のホットケーキの上に乗せていく。
彼のこういうノリを躱すのはいつものことだからか、ちっとも気にしない様子で席に着いた彼。
ちょっとシュールで笑いそうになるけれど、我慢した。


いただきます。と、二人で両手を合わせて、ナイフとフォークを握る。
ホットケーキの端から一口大に切り取って、真ん中に乗せられたジャムをすくいながら、二人同時に口に運んだ。

「「・・・!」」

・・・これは、おいしい。
同時にホットケーキをほおばった彼も同じだったようで、二人で目を合わせて、ぶんぶん、と頷く。

向かい合って同じリアクションを取る彼が面白くて、ふふ、と笑ってしまう。
彼もつられて、口にほおばったホットケーキをもぐもぐと咀嚼しながら口角を上げた。

「おいしいね」
「まあね、おれがつくったもん」
「でもさ、ホットケーキが丸くならないっていうのはさ…」
「…文句言うなら、おれが食べてもいいんだよ」

なんて、フォークをわたしのお皿に向けてくる彼。
わたしは焦って自分のお皿を引き寄せて、冗談だよ、と言う。

―――――

これが、わたしのときめく朝ごはん。

ちょっとしわの残るパジャマ、ぴょこん、と跳ねる寝ぐせ。くだらない会話。
ゆっくりと流れる時間は一見怠惰だけれど、恋人と、いびつなホットケーキ、きらきらとしたジャム。
それがあれば、なんだかそれすら優雅に思えてくる。

次にここにホットケーキとジャムが並ぶ日は、いつになるだろうか。
ある日の土曜日を思い出しながら、寝ぐせのついた髪を後ろで一つにくくる。
平日の朝八時、彼はまだ、眠っている。






わたしの『文脈メシ』は、「土曜日の朝、同棲中の彼が、寝ぐせをつけてパジャマのままつくってくれた、いびつなホットケーキ」。

ちなみに、出てきたジャムはitonowaさんのジャムです。
桃とグレープフルーツのジャムのほかにも、いちごといよかんのジャムとか、あるんです。ときめく。

わたしがほくほくするボタンです。