#1 プロローグ
「お父さん、癌だって」
そう母に言われてから8年が経過した。
父は今も生きている。
がんと一緒に。
2016年父は肺がんステージ4と診断され、
手術を受けた。
無事に手術は成功し、
体力が落ち、辛そうだった父も
だんだんと元気を取り戻した。
「癌なんて切っちゃえばなんともない!」
肺の片方は半分なくなってしまったけど、
がんと闘った父は笑いながら体験談を話し、
周囲には気丈に振る舞っていた。
抗がん剤治療も終え、
体力も回復し、
仕事にも復帰した父。
闘病というのは本人はもちろん、
心配と不安で、
家族の精神的にもかなり辛い。
「お父さんは癌をやっつけた!」
私たちの生活に平穏が戻ってきたのだ。
その後も父は定期的に通院をしており、
検査をしていた。
私は「まあそういうものなのかな?」と考えて、
元気な父を見て安心していた。
その間、
私は結婚し、出産し、
2人の女の子の母親になった。
そして、2024年10月。
父の癌は脳に転移した。
ついこの間まで元気に過ごし、
最近の趣味になったアーチェリーを楽しみ、
「まだまだ70代、人生楽しみますよ」と言って
家族の反対を押し切って購入したバイクで
孫たちに会うため
私の家に遊びに行くのを楽しみにしていた父。
8月のお盆を過ぎたあたりから、
食欲がなくなり、歩くのも辛くなっていたらしい。
8月初旬に第二子を出産したばかりの私は
自分のことで精一杯で知らなかった。
きっと心配かけないようにと、
父も母も黙っていたのだろう。
いよいよ足の痺れまで出てきて
これはおかしいと思ったらしい父は
母と急遽病院に行き、そのまま入院した。
「もう治療法がない」
そう医師に告げられたそうだ。
緩和ケアなどの終末医療を考えるよう説明を受けたのが今の現状。
父が死んでしまう・・・
しかも、脳に転移すると
歩けなくなったり、痴呆のような症状が出たり、
話もできなくなることがあるらしい。
父は「ママが年金もらえるようになるまでは頑張らなくちゃ」と
兄に話したそうだ。(あと1年ある)
まだ諦めていない。
治療を続けたい。
何が起こるかわからない。
リハビリをして、また歩けるようになって、
アーチェリーをしたいと。
バイクはもう売っていいと笑っていたけれど。
もちろん私も諦めたくない、生きていてほしい。
でも、治療を続けるために入院していることで
父に頻繁に会うことができない。
病院は家から電車で1時間ほどかかる。
しかも面会制限があるため、
生後2ヶ月の娘がいる私は
誰かに預けなくては父に会えない。
だから行けても土日になるまで待つしかなくて、
LINEもろくに返してくれない父だから不安になる。
会っていない間に症状が進んで、
父と話ができなくなるのではないか・・・
きちんと「ありがとう」と伝えて
大好きだと言いながらお別れができないのではないかと思うと怖い。
怖くてたまらない。
もっと話がしたい。
ただただ一緒にいたい。
家に帰ってきてくれさえすれば、
家族の時間を作ることができる。
でも父はまだ病院にいたいのだ。
きっと生きることを諦めたくない。
家に帰るということは、
治療をやめるということだから。
病院で最期まで治療を続けるのか?
自宅で看取るのか?
緩和ケア病棟に入るのか?
私は、最愛の父の死が迫ってきて
「死に方」について考えた。
誰もがやがて必ずやってくる「死」。
自分の死はもちろん、
大切な人を見送ることもある。
誰にでもやってくるのに、
誰もが考えないようにしているように思う。
私は悲しくて、辛くて、苦しくて、
父を失うという現実を頭の中から消すことができない。
だから、書くことにした。
この気持ちを書いて書いて書きまくることにした。
書くことで自分を癒そうとしているのかもしれない。
それがもし誰かの参考になれば、
嬉しいと思う。