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人生には「何もしない」を貫いて登る山もありました


前回の続きですが、
初めましての方にも読み進めていただけます***


私には「何もしない」を貫いて登った人生の山があります。
その頂上は、
思い描いた日常でした。



何を「しなかった」のか?


私が「しなかった」こと。
それは…

結婚と同時に、義父母と同居。
1年半後、義父母と別居。
直後、義父が脳梗塞で倒れ、入退院を繰り返し、脳血管性認知症になりましたが、

『一度もお見舞いに行かず、家にも顔を出さず、まったく何もしない』

を貫いたことです。

「普通」「常識」で考えると、
ありえませんよね。

しかも、そんな態度をとっていた理由が、

再同居を考えていたから。

なんて言ったら、
思考回路バグってる?
と思われますよね。
でも、

まったく何もしない事で、
理想的な再同居生活にたどり着きました!

これは私が「おめでたい」とか、「現実認識の欠けた周りが迷惑する鈍感タイプ」というワケじゃありませんよ(笑)

前提が違うんです


もちろん家族だから、
近くに住んでるなら、
できることは協力すべきだと私も思います。

夫を含めた親族・親戚が見舞いに行き、
交代で実家に手伝いに行き、
近所の人までが協力する中、

長男の嫁の私だけが、近くに住んでいるのに「何もしない」を貫くのは本意ではありませんでした。

でも、
同居していた時、
義母は私に言いました。

「これまで親族・親戚にはできることはしてきた。近所付き合いもこなしてきた。
だから嫁の世話なんかにならなくても、
困ったことになればみんな手伝ってくれる。
嫁は必要ない。
嫁が親族・親戚に会う必要もない。
同居してほしいと頼んだ覚えもない。
息子夫婦の世話にはならない。
出ていくなら止めないよ。

正直、ドン引きしました。
こんなふうに啖呵をきって嫁いびりを繰り返す義母と、私に暴力を振るって謝罪の言葉すら口にしなかった義父に。


つまりは嫁、不要!
夫の実家で私は必要とされていなかったんです。
私にとってはココが前提です。

義父母本人たちから、あんたに助けてほしいなんて思っちゃいないよ!
と前もって宣告されていたんです。
だから「何もしてやるもんか!」
ってワケじゃありませんが(笑)

そんな人たちだったから、こうするしかなかったんです。

すべては「再同居」のために。


義母、まっすぐに現実と向き合う


再同居への道筋はこうです。

私と夫は、義父母の病気や介護を見越して、結婚と同時に同居をスタートさせました。
それを全面否定されたのですから、

検証すべきでしょう?

本当に、
義母の言う通り、

親族・親戚、ご近所さんの協力だけで、
次々と見舞われる現実に向き合い日々を乗り越えられるのか?

はっきりさせるんです。
それが再同居への道筋です。

同居は必要か否か。

私が「何もしない」ことで明らかになります。



と言っても、
こんなこと、
やってみるまでもないんですけどね。

普通に考えて、
親族・親戚はみんな仕事をして、それぞれの生活があります。
交代でとはいえ、長期にわたって通い続けることは負担が積み重なり、限界もきます。
近所の方たちもしかり。



その予測通り、
義母は現実に直面しました。

外からの協力だけでは毎日の食事も睡眠もままならない過酷な日々。

それを身をもって知ったようでした。

そこでようやく義母は、
同居の必要性を認めたのです。


再同居の日、
義母は私に、
「家事をすべて任せたい。頼みます」
と言いました。
それは突きつけられた現実から学んだ後悔の先に、一歩踏み出した言葉でした。


「何もしない」を貫いたことが正解だったリアルな理由


今さらですが、もし一度でも顔を出していたらどうなっていたと思いますか?

顔を出すと周囲から期待されます。
人手が増えるわけですから。
今後について相談もされるでしょう。
その時に、
「いえ私は顔を出しただけで手助けはしません」と返すと「はぁ?」ってなりますよね。

私の脳内シュミレーションでは一度も顔を出さないより、一度でも顔を出した方がより親族関係が悪化する、という結論が出ました(笑)

つまり、
絶対に様子を見に行かない!

これを貫いたことは私の立ち位置にとっては究極の最善策だったんです。


それに中途半端に手助けしたら、
「べつに嫁なんかに手助けしてもらわなくても、助けてくれる人はいくらでもいるから何とかなったのに」
という義母の想定を変えることはできなかったでしょう。

貫くリスクは大きいけれど、
中途半端でも元の木阿弥(笑)

そう考えると最初から、
「何もしない!」
一択だったんです。

なし崩し的に再同居しなくて「当然」の理由。


もし義父母の介護生活を助けるために、
私や夫の判断だけで再同居を決めていたら、
「同居してほしいと頼んだ覚えはない、息子夫婦の世話にはならない、出ていくなら止めない」
と、【ふりだし】に戻る可能性が残ったままになります。
一度別居してるのに何度もふりだしに戻ってるヒマなんてありません。

一度目の同居を踏まえて、
義母自身が「再同居したい」「嫁が必要」という確固たる決意と覚悟をもつことで、ふりだしに戻る可能性を確実に潰す必要がありました。

「何もしない」ことは、再同居のために必要不可欠な行動だったんです。


何もしないを貫いた先にあった「すごい!」ベネフィット


こうして別居してから4年間「何もしない」を貫いた結果、義母は考えを改めました。

再同居後、
嫁いびりは一切なくなり、
私は任された家事に着手。

はっきり言って業者レベルの家事でした!

夫の実家はゴミ屋敷とまではいいませんが、仏間の縁先はカーテンが開けられないほど物が山積みで、埃や、スイカの種みたいな生き物の糞も放置されていました。
他の部屋も同様に、床に物が散乱する有り様でした。
私は毎日、片付けと掃除に明け暮れました。

これこそ、私の思い描いていた日常でした。

この家を一掃する事!!

古民家といえば響きはいいですが、古い日本家屋の埃が積もり物置と化した玄関や、床に調理器具が並ぶ台所を掃除して、清潔に過ごせる生活環境へ整えたかったんです。


甥っ子や姪っ子が遊びに来た第一声が、
「うわっ、広っ!」「キレイ…!」
と、そのビフォーアフターに目を丸くしたほどです(笑)


散らかっているほうが落ち着くと主張する義母は、スッキリと片付いていく家がイヤな様子でしたが、口撃してくることはなく、義父のお見舞いが忙しいので、家のことはもう嫁の好きにしたらいい…という諦めの眼差しでした(笑)


これにて「めでたしめでたし」
ではありません。


再同居後、
私は自分がすべき事・できる事、
これからの見通しを立てていました。

実は、私、
夫の実家の大改革を構想していたんです(笑)

そのためにも、
義母が私の存在を認める事!
これが必要不可欠でした。


義母は、これからの生活で、私と向き合うことになります。
でも私を必要だと認めた義母は、
もう私を蹴散らしたりません。
私のいない過酷な現実を体験済みですからね(笑)

こうして私は、
「何もしない」山のあとに、
「改革する」山に向かいます。

義母と一緒に!!

この先、義父を亡くした喪失感・老い・病。
人生を歩むなかで避けて通れないこれらの出来事を、私の改革とからめながら義母は乗り越えていくことになるんです。

おかげで、
現在進行形で嫁姑問題は一切ありません(笑)


私にとって「何もしない」を貫いたことのベネフィットは、これでした。




前回の続きでしたが、
ここではご先祖様の夢の忠告を軸にはしませんでした。
その忠告がどういう意味をもつのか、現実に落とし込んで検証していたので、今回はそちら側から書きました。

夢のおかげで同居中から、別居後の行動、再同居後の生活について、様々な角度から検討をすることができました。

こういう事もあるんだなぁ、と思っていただければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました*一叶*


前回の話はコチラ


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