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『糸と魚と川Vol.04』イベントレポート① ~「your turn」 様々なターンの形とこれからのターンを考える~

2022年3月25日、駅北広場キターレ in 糸魚川にて「外と中、関係人口とローカルプレーヤー・企業・団体との接点をどう作り広げていくか?その先の未来は?」をテーマに5人のゲストをお招きして、トークセッションがおこなわれました。

本記事は、そんなイベントの内容をまとめたものです。

~今回のゲスト~
・株式会社清耕園ファーム 横井 藍氏
・地域おこし協力隊 三熊 愛(あいくま)氏
・おもちゃコンサルタント 齊藤 里沙氏
・READYFOR株式会社 / 天津神社 吉倉 恭寛氏
・糸魚川市企画定住課 宮路省平氏

イベントでは以下の4つのテーマについて話がされました。

1、『糸と魚と川』の活動紹介
2、糸魚川市にターンしたゲストの皆様の活動
3、糸魚川へのターン経験者と議論する 糸魚川の魅力とリアル
4、今後の展開

冒頭では糸魚川市産業部商工観光課 企業支援室 山崎和俊さんより『糸と魚と川プロジェクト』について簡単にご説明いただきました。

◎糸と魚と川プロジェクトとは

『糸と魚と川』とは、持続可能な人・物・金の循環を生み出し、「そこに関わる人みんなが幸せを感じられる街を創りたい」という想いを持つメンバーが集まって立ち上げた活動全体の窓口となるプロジェクトです。

詳しくは下記URLの『糸と魚と川プロジェクトがスタートしました!』をご覧ください。
↓↓↓
https://note.com/ito_sakana_kawa/n/n3f771adde3f2

まずは糸魚川市企画定住課 宮路さんより糸魚川市の移住定住施策の取り組みについて、ご紹介いただきました。

◎糸魚川市の移住定住施策

■宮路さんプロフィール

新潟県糸魚川市生まれ。
2002年能生町役場入庁、現在は糸魚川市総務部企画定住課にて人口減少対策の業務に携わる。
過去の職歴では、税務、企画、出先機関での観光振興、雇用対策を担当し、自身が企画運営し印象に残っている業務は、親不知バイクミーティング開催のほか、親不知レンガトンネルの遊歩道化、道の駅親不知ピアパークでの経営再編、ワークライフバランス「ピンクTシャツプロジェクト」、姉妹都市塩尻市と連携したテレワークオフィスの開設が挙げられる。

■糸魚川市を取り巻く現状

糸魚川市の人口は年々減っており、昭和60年には6万人いた人口が平成17年には5万人、令和2年には4万人と1年間で約800人ずつ減少しています。このままでは令和4年度中には4万人を割り込み、令和22年には3万人を下回り、令和42年には1万6千人を切るという試算が出ているのです。そんな中、糸魚川市では様々な施策をおこない、人口減少に歯止めを掛けるようとしています。

では、どんな取り組みをおこなっているのでしょうか。

■移住定住を進める糸魚川市の3本柱

①市民の誇りづくりと関係人口の創出
②若者定着の促進
③移住定住の促進

具体的には以下のような取り組みをおこなっています。
・ワーケーション推進事業
(テレワーク等の活用による柔軟な働き方の推進)
・移住定住促進事業
(支援窓口、移住相談会、情報発信、移住体験等) 
・糸魚川で暮らす働く応援プロジェクト事業
(滞在型インターンシップ、受入態勢づくり等)
・クリエイティブ人材定住支援事業
(クリエイティブ人材の登録や交流、生活支援等)
・UIターン修学資金返済支援事業
(若者のUIターン経済支援 4年で128万円)
・UIターン促進賃貸住宅家賃補助事業
(若者のUIターン住まい支援 2年で60万円)
・空き家活用事業
(家財処分費の支援、取得・改修費の支援等)

■糸魚川の情報発信サイト

また、これらの活動を広く伝えるため糸魚川市は情報発信にも力を入れています。

①ライフスタイル情報発信サイト『わたしのいと』
女性の就業率を向上させるため女性が憧れる暮らしを発信しています。実際に糸魚川に移住してきた先輩のリアルな声や移住に興味がある人へのサポート窓口として移住コンシェルジュの紹介などもおこなっています。

②ワーケーション情報発信サイト『あえて、糸魚川』
地方でリモートワークが出来るというワーケーション情報を発信しているポータルサイトです。実際に糸魚川で出来るワーケーションのモデルプランや施設の紹介。また、こちらもコンシェルジュへの相談などが可能です。

■関係人口から緩やかな移住定住へ

糸魚川市は2021年に東洋経済が発表した『住みよさランキング』で市町村として全国62位、そして新潟県内20市の中でも3位に輝いた自治体です。
そのため令和元年までの移住者数は上昇傾向でしたが、令和2年以降は新型コロナウイルスの影響で減ってしまっています。

平成28年から行政は、地方への移住定住を促進する施策に力を入れていますが、糸魚川市では「すぐに移住してもらう」のではなく緩やかな移住定住を目指しているとのことです。
まずは一度、糸魚川に来てもらい、ワーケーションなどを通じて、どんどん糸魚川という土地を好きになってもらうことで最終的に移住定住をしてもらうことを目指しているのです。

最後に宮路さんは「人との交流が一番大切だと思っています。ただ補助金を使って糸魚川に来てもらうだけでなく、地域の人との交流を通じて、糸魚川に来て楽しい仲間作りができる環境作りを目指したい。そして、地元の若者にも目を向け、男女の出会いの場の創出や地元に居ながら県外の大学に通えるような支援などもおこなっていきたい」と締めくくりました。

渋谷:移住をしようと思って調べると何百万円が補助金で出るなど目にしますが、糸魚川市のように、まずは一度来てもらって、交流を深める中で少しずつ移住を目指すのは良いですよね。実際にどんな方が移住されてるんでしょうか?

宮路:都会での子育て環境に不安を持っていて、自然の中で子育てをしたいという方がいらっしゃいますね。その中でキーワードとなるのが、やはり『リモートワーク』ですね。都会と同じ水準の給料をもらいながら地方で暮らすというニューノーマルな形が広まれば、地方の働き方や暮らし方も変わってくるかと思います。

ここからは実際に糸魚川市に移住、またはUターンしてきた方の声を聞いてみましょう。

◎外に出たことで地元の魅力を再発見

■横井さんプロフィール

1991年、専業農家の3姉妹の長女として生まれる。
2010年、糸魚川高校を卒業し、茨城の専門学校へ。
卒業後、2012年に茨城の農業法人(有)森ファームサービスに入社。
その後、2016年に糸魚川へUターン。

■地元を離れて茨城へ

元々、田舎暮らしが不便であり、糸魚川に良いイメージが無く大嫌いだったという横井さん。関東や都市部に強い憧れがあり、農業をやるつもりはなかったものの、親の許しを得るために茨城の農業専門学校へ進みます。その後、企業の合同説明会でたまたま見つけた農業企業に入社し、事務・販売部へ配属されました。

この企業は横井さんの実家と同じく、家族経営から法人化した企業でしたが、定期的に農業イベントをおこなうなど、それまで実家で見ていた作物を栽培するだけの農業とは、まるで違ったのだそうです。職場環境も良く、充実しながら働くうちに農業へのイメージが変わっていったと横井さんは語ります。

■糸魚川にUターンしたきっかけ


しかし、月日が経つにつれ、少しずつ物足りなさを感じ始めたのだそうです。環境を変えたいと思いましたが、他の業種に就きたいと思わなかったので実家に帰ることを決意します。地元を出る前は、農業は泥臭いイメージでしたが前職で4年間働く中で大きくイメージが変わったことで、自分でも地元でやりたいと思えることが出来たのだそうです。

そこで横井さんは、これまで糸魚川ではおこなわれていなかった農業体験のイベントをやってみようと決意し、横井さんの糸魚川での活動が始まります。

そんな横井さんが所属しているのが『まちづくりらぼ』です。

■まちづくりらぼ

「自分たちのまちは、自分たちでつくる」というコンセプトの元、メンバーそれぞれが好きなことをやっている団体です。発足当初は7人ほどでしたが、現在は15人まで増えたとのこと。横井さんが言うには『糸魚川の目立ちたがり屋の集まり』ということで、糸魚川を盛り上げるための活動をこれまでおこなってきました。

そこで糸魚川の人々と繋がり、生まれたのが『つなぐKitchen Project(通称:つなキチ)です。市役所、JA、料理人、農家と全く別のジャンルのUターン組が『イモまつり』と称した手作りピザ釜の食にまつわるイベントを開催するなど、毎年2回、子ども達と一緒に楽しむイベントを企画しています。

■農業の新しいカタチづくりへ

現在は家業の清耕園ファームの社員として働きながら、農業体験や食のイベントを開催するなど、「地方特有の不便さを不便だと思わなくなりました。逆に地方だからこそ出来ることがある。糸魚川での農業の新しいカタチづくりを目指していきたい」と横井さんは語りました。

渋谷:Uターンで糸魚川に戻ったばかりは繋がりが無い状態ですよね。どうやって溶け込んで繋がりができていったんですか?

横井:繋がりは本当に無かったですね。Uターンしてから、1年間くらい農業のイベントをやりたいと思っていたのですが、なかなか一人では企画することが難しかったんです。そこへ今の『まちづくりらぼ』のメンバーから、たまたま声を掛けられたことが、きっかけですね。

渋谷:どれくらいの年代の方が集まっているんですか?

横井:20代半ばくらいから30代後半くらいまでのメンバーがいますね。

渋谷:今も活動しているんですか?

横井:実はこの3月で活動を終えたんです。これまでは互いに応援したりしていましたが、今では一人ひとりが自分で企画を出来るようになったので、役目を終えた形ですね。もちろん繋がりは今でもあります。

渋谷:移住を考えるときに、現地の人に受け入れてもらえるか不安になると思うんですよね。そこへ『まちづくりらぼ』のようなところがあると勇気がもらえて、誰かと繋がれるのは素晴らしいことだと思います。

続いて、三熊さんより地域おこし協力隊としての自身の活動についてご紹介いただきました。

◎挑戦したい人こそ地域おこし協力隊へ

■三熊愛(あいくま)さんプロフィール

1997年、北海道札幌市生まれる。
2020年、京都芸術大学を卒業し、同年糸魚川市小滝地区にて地域おこし協力隊として赴任。
趣味は映画鑑賞、ツーリング、能面彫り、登山、など。

■山菜への興味から糸魚川へ

元々、狩猟や山菜に興味があった三熊さんは、大学時代に就職活動をする中で、地域おこし協力隊の募集を見かけ、これまで縁もゆかりもなかった糸魚川の地域おこし協力隊として赴任することになりました。現在は小滝地区の山の財産の利活用のため活動しています。

小滝地区は新潟県と長野県との県境に位置した地域で、糸魚川市の4割もの山の資源を保有している魅力あふれる地域です。

そんな小滝に赴任して間もない頃は、なめこの原木栽培&販売をおこない、その後も様々な活動をおこなってきました。

■クラウドファンディングでツリーハウス作り

三熊さんは、地域の人の「山の空間利用を考えてほしい」という要望を叶えるためキャンプをする方に向けたツリーハウス作りを手掛けることになり、クラウドファンディングを実施。返礼品として小滝地区の特産品のヒスイ、山菜、なめこ、ツリーハウスの利用券などを設定し、目標額である20万円の9割を達成しました。

そして、2021年6月よりツリーハウスの建設を開始し、完成したツリーハウスの様子をYoutube配信するなど、積極的にPR活動に励んでいます。また、自身の得意分野であるデザインの技術を活かし、ツリーハウスのロゴも作成しました。こちらのロゴは小滝地区に多く生息している山鳥をモチーフにしているそうです。

■アーティスト誘致で地元の魅力を再発見

また、芸大卒ということもあり、大学時代の先輩を呼んでアーティスト誘致として陶芸イベントを開催。「小滝の皆さんに小滝の土を使って何かカタチにしてほしい」という想いから、なめこや山菜など馴染みのあるものを模した陶芸品を小滝に住む方々に作ってもらいました。

■『こどもらぼ』に出展

他にも『まちづくりらぼ』のメンバーである矢島さんより依頼され『こどもらぼ』という子ども向けのワークショップを開催。大学時代に木を題材に勉強していたことから「幼稚園や小学生の子ども達に気軽に触れてもらいたい」という想いから、木を使った小物やマグネット作りをおこないました。

三熊さんのニックネームである『あいくま』は、このときに付けてもらったそうです。

■おこすごと&LINES

また、大学卒業時に能面を勉強をしていたので、『おこすごと』という能面作り教室を開催したり、能面を掘っている様子を披露や歌ったり踊ったりする『LIKES』というイベントなども開催し、地域の方々と交流を深めました。

■1年半の活動を経て山菜販売へ

そして、この春から小滝地区の山菜の販売を予定しているということで現在準備中だそうです。最後に「今は、地域おこし協力隊の任期の折り返し地点にいるので今後の活動も見守ってほしい」と締めくくりました。

渋谷:実際に糸魚川で暮らしてみて、いかがですか?

三熊:まずは小滝地区をざっくりと知ることが出来たと思う反面、まだまだ知らないことがあるんだと実感しています。地域の方は色々なことを知っていて、とても勉強になるんですが、それらの貴重な知識が知られていないので、どんどん発信していきたいと思っています。

渋谷:全国には色々とチャレンジしたいっていう人がたくさんいると思うんですが、そんな人達に向けたメッセージなどありますか?

三熊:地域おこし協力隊の一番の魅力は「挑戦できること」だと思っています。そして、その挑戦を地域の方が応援してくれて、とても良い関係性が築けるんです。一般的には大学を卒業すると就職を選ぶ方が多いかと思いますが、もし何かに挑戦したいことがあるのであれば、地域おこし協力隊になるというのも1つの選択肢として持っていても良いかと思いますね。

続いて、齊藤さんより糸魚川での子育て生活についてお話いただきました。

◎子育てがしやすい糸魚川を作りたい

■齊藤さんプロフィール

神奈川県横浜市出身。第一児の出産後に夫の地元である糸魚川へIターンし、おもちゃコンサルタント(遊びの専門家)として活動中。「どんな遊びをすると子どもの発達にどのように影響するのか」など子どもの遊びについて学び、改善・アドバイスなどをする活動に従事。現在は3児の母。

■都会を離れて地方の生活へ

おもちゃコンサルタントという職業であり、「自然遊びは子どもの成長に良い影響がある」と言われることから、元から自然に囲まれた地方での暮らしに興味があった齊藤さん。期待が8割、不安が2割ほどの感覚で糸魚川に移住してきました。

現在は、近くの川で水遊びをしたり、雪山で遊んだりと糸魚川の自然豊かな環境の中で子育てを楽しんでいます。
ですが、このように言えるようになったのは、この数年の話だったのだそうです。

■移住直後は育児ノイローゼに

「正直な話、田舎暮らしを舐めていた」と語る齊藤さん。糸魚川に移住した当初は日々泣いて暮らしていたとのことです。周りには知っている人がいなく、友達も出来ない。隣近所には子どもがいる家庭がなく、ママ友のような同世代の仲間も出来ない。公園に行けば同じような子育てをしている人に会えると思ったら近くに公園が無い。

「もしかしたら田舎での子育ては難しいのではないか」

このように思うくらい見知らぬ土地での子育てに行き詰まり育児ノイローゼのようになってしまいました。しかし「ここで暮らすと決めたからには自分から何かやってみよう」と決意し、行動を開始します。

■アソビバ

齊藤さんは、おもちゃコンサルタントという職業柄、おもちゃをたくさん持っていたので公民館を借りて、そのおもちゃで遊ぶイベントを企画しました。すると「こういう企画を求めていました」という人達に出会え、そこからママ友のネットワークが生まれたのです。

そして、イベントの開催を重ねていく中で、あることに気付きました。小学生の子は遊べるけど、乳幼児には向いていない。逆に乳幼児は遊べるけど、小学生には向いていない。糸魚川には幅広い年代の子どもに対応した遊び場所がなかったのです。

そこで齊藤さんは、大きい子は身体を使って遊べ、小さい子も安全安心に遊べるようイベントを改良するなど、これまで糸魚川にはなかった新しい風を吹き込みました。

■『おもちゃや木のこ』を開業

齊藤さんが持つ、アソビバで使うおもちゃは参加者にも好評でしたが、糸魚川では買える場所がありませんでした。しかし「こんなにも素晴らしいおもちゃを糸魚川だから遊べないのはもったいない」と思い、自分でそのおもちゃを仕入れ、販売を始めました。

高校時代から大学時代までおもちゃ屋でアルバイトをしており、昔からおもちゃに対する思い入れが強かった齊藤さん。今は駅前広場キターレでおもちゃのワークショップを開催するなど、おもちゃの普及にも努めています。

■おさがり交換会

アソビバを開催していくうちに、参加する親御さんから子供服やおもちゃの『おさがり交換会』が出来ないかと提案をされました。近くに親戚がいるような家庭は良いのですが、実家を離れて移住してきたような人にはネットワークがないため、親戚内でおさがりをもらったり、あげたりすることができなかったのです。

そこでアソビバを開催するときには『おさがり交換会』も実施するようになり、好評を得ているとのことです。そして、子育てのネットワークはまだまだ広がっていきます。

■いといがわ子育てネットワーク『キノコノ』

『おさがり交換会』を続けていたら、「この活動は糸魚川を豊かにするのではないか」とママ友さんに言われ、InstagramなどのSNSを通じ新たな情報発信を始めました。そして、齊藤さん達の活動を手伝ってくれる人を呼びかけたら、どんどん人が集まり、ネットワークが広がっていったのです。

現在はSNSが情報発信の窓口となり、糸魚川市内で子育てに有益な情報の交換や子どもが大きくなって使わなくなったベビーベッドを譲るなどの情報が行き交い活発に交流が生まれています。『自分たちが楽しんでやっていることが糸魚川全体に広がっていけば糸魚川はもっと子育てがしやすい地域になる。そして、リユースすることで地球環境の改善にも繋がれば嬉しい」と齊藤さんは語りました。

更に齊藤さんの活動はこれに留まりません。

■下早川に公園をつくろう計画


齊藤さんが住む下早川という地区には、児童公園がありませんでした。そのため子どもを遊ばせるには隣の地区まで車で行っていたのだそうです。しかし、親が送り迎えをするうちは良いかもしれませんが、子ども達が大きくなって自分たちで遊ぼうとした時、近くに集まる場所がないことに気付きました。

昔は子どもが多く、町の至る所が遊び場になっていましたが、子どもが少なくなった現代では集まる場所がないのです。仮に集まろうとしても電気柵や水の流れが速い用水路など、昔に比べると安全に自然を楽しむ場所が減ってしまっています。

糸魚川は自然が豊かな反面、危険も隣り合わせなのです。そこで、家の中で遊ぶのではなく、糸魚川の自然を楽しめるような安全安心な遊び場を作ろうと、ママ友のネットワークを駆使して自分たちで児童公園を作り始めました。

公園に設置する遊具はすべてママ友が集まってアイディアを出し合って考えたものばかり。更には近くの農家、塗装屋など多くの企業に協力してもらい無事開園できました。現在は、芝張の費用を確保するためにアナログなクラウドファンディングとしてアルミ缶集めをしているとのことです。

■足りないことを楽しむ

糸魚川に移住したばかりの頃は、地方での子育てに行き詰まっていた齊藤さん。しかし、糸魚川で子育てをしながら暮らしていくうちに「足りないことを面白がって、必要だと思うなら自分で作れば良い。それが糸魚川」だと思えるようになったのだそうです。

今後は更に活動を続けて情報発信していき「糸魚川で子育てしたいと思える人を増やしていきたい」と締めくくりました。

渋谷:私も子どもが4人いるので移住しようと思うと子育ての問題にぶつかるんです。齊藤さんのように誰かが最初に場所を作れば、そこに自然と人は集まってくるんでしょうね。
それを作ってくれたというのは本当に素敵なことだと思います。齊藤さんは、いわゆるファーストペンギンですね。

齊藤:私、ペンギンなんですね(笑)

渋谷:齊藤さんがやっているような活動があることは知らなかったし、子どもを糸魚川に連れてくる上で、とても勇気をいただいた気がします。これからも応援しています。

続いて、吉倉さんより御自身の活動についてご紹介いただきました。

◎リモートワークをしながら地元を盛り上げる

■吉倉さんプロフィール

・READYFOR株式会社    
・天津神社・奴奈川神社
 

新潟県糸魚川市出身。観光系広告代理店で、国内外の観光マーケティングに携わった後、READYFOR株式会社に参画。キュレーターとして、150件を超える新規事業・まちづくりなどのプロジェクトに関わる。現在はクラウドファンディングに挑戦する人を増やすため、マーケティングを担当。天津神社の神主も務める。

■地元を盛り上げるため広告代理店へ

元々、いつかは家業である神社を継ぐため糸魚川に戻る予定でいた吉倉さんですが、大学へ進学するとき、糸魚川市の人口は5万人を切るような状況でした。「このままでは自分の生まれ育った町が寂しくなっていくのでなんとかしたい」そんな想いから観光系の広告代理店へ入社し、インフラ系の企業や自治体のインバウンドや定住促進などの観光系のマーケティングに従事してきたそうです。

当時の観光業は海外からのインバウンドが伸びていた頃で、上空からドローンで撮影し、地域の魅力を海外へ伝える動画などが流行っている時代でした。そんな業界に身を置く中で「観光の魅力を伝えることは大事だ」とは思っていたものの、実際にどれだけのお客さんが地元を訪れてくれたのかが数値として把握することが出来なかったのだそうです。

「自治体が東京の会社にお金を払って誘客しても、これでは外にお金を出しているだけではないか」と感じ、転職を決意。もっと地域の人が活躍できる土壌を作るべく、READYFOR株式会社へ入社し、新規事業やまちづくりなど様々なプロジェクトの伴走支援をおこなってきました。

そんな吉倉さんがこれまでに担当した事業には以下のようなものがあります。

・旅する八百屋の10周年 「Micotoya House」を作りたい

支援者 559人 目標金額 5,000,000円 支援総額 8,769,000円

・大原美術館×井原鉄道|名画が連なる「アート列車」を走らせよう!

支援者 405人 目標金額 2,500,000円 支援総額 7,210,000円

これらの活動を通して、「各地方で、しっかりと自分で企画して実践している人が多い」と実感し、お金を回していくことでの地方の活性化の方法を勉強できたのだそうです。

この頃から特に地元を盛り上げたいという想いが強くなってきた吉倉さん。
現在はクラウドファンディングを実行して増やしていくためのマーケティングをやっていますが、今後糸魚川に帰ってきたときには、これらを活かした活動をやっていきたいと語りました。

そんな吉倉さんは地元の糸魚川でもう1つの顔を持っています。

■吉倉さんのもう1つの顔

糸魚川でも有数の大きな神社である天津神社の神主として奉職している吉倉さん。天津神社では、毎年4月に通称『糸魚川けんか祭り』と呼ばれる2基の神輿をぶつけあう祭りが開催され観光の目玉になっています。

今までは外部の方向けの観光の拠点だと思っていましたが、地域に住む人の楽しみの1つであり、「毎日神様に貢献していこう」という人がいると肌で感じる機会が増えてきたのだそうです。『人を呼ぶための神社』という側面もありますが、これからは地域の人達に還元できる場所にするため、自分が宮司を継いだときには色々と新しい事をやっていきたいとのことでした。

また、吉倉さんはこの他にも糸魚川で様々な活動に参加しています。

■幅広く活動を展開

『糸と魚と川Vol.01』でご紹介した地元のファクトリーブランド『ao』の立ち上げの手伝いや自分の出来るスキルを使って情報発信を手掛けています。

また、糸魚川出身の同世代のシェフ達と食のイベントやオンラインキッチンなどを開催したりとライフワーク的に様々な活動にも取り組んでおり、今後も続けていくとのことです。

そんな吉倉さんが糸魚川に帰ってきたときに、どんなことをしていきたいと思っているのでしょうか。

■これからやりたいこと

吉倉さんは、帰ってきたらまず、新型コロナウイルスの影響で3年間開催できていない『糸魚川けんか祭り』を開催し、盛り上げたいと意気込んでいます。また、神社の境内を使って地域の中と外を繋ぐ祭りも企画していくとのことです。

その他にも「ヒスイを活用したプロダクト製作で地域を活かしたプロジェクトをしたり、同級生と一緒に糸魚川の『食』が価値のあるものとなるような活動をしてきたい」と語りました。

渋谷:天津神社は初めて糸魚川に来たときにお参りしたのでご縁を感じますね。元々、糸魚川に帰ってくるつもりだったんですか?仕事はどうするんでしょう?

吉倉:そうですね。仕事内容としてはフルリモートなので場所を選ばないので問題はないんです。

渋谷:リモートワークのモデルケースにもなりますね。吉倉さんが糸魚川に帰ってくる日が楽しみです。

と締めくくり、前半の部は終わりを迎えました。

引き続きトークセッション編はこちらから。
↓↓↓
https://note.com/ito_sakana_kawa/n/n6df871fdd59e

今回のイベントのアーカイブ動画はこちらから。
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=glzHm9XtjRA