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01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#10

■価値

災害ボランティアセンターで活動を始め2年、その間11万人のボランティアと出会った。

「瓦礫の撤去は心の整理」以外にも災害ボランティアに伝えていたことがある。それは「怪我をしないこと」。当たり前のように聞こえるが、被災地を訪れてくれるボランティアの方々は、役に立ちたいという強い思いがある。だから瓦礫を早く片付けようとする。そうすると、周りが見えずに瓦礫についた釘を踏み抜いたり、振り投げた瓦礫が一緒に片付けに来ていたボランティアにぶつかるなどの怪我があった。

結果、一番傷つくのは「依頼者」だった。自分が依頼してしまったからボランティアが怪我をしてしまった。怪我をさせてしまうような迷惑を掛けるなら、依頼せず一人で少しずつ片付けよう。更に、ボランティアが怪我をしたことは、「悪い噂」同様一気に広まる。こういった悪循環が生まれないよう、「怪我をしない」ことは大切なことだった。

そんな取り組みを続けていると、依頼者の中にはボランティアが来るのを楽しみにされる方もいらっしゃった。そして、それはボランティアも同様だった。

「あの依頼者のところに行きたい」「今日来る前に会いに行ってたんです」「今日はご自宅に泊めていただくことになって」など、特に高齢の依頼者のもとには、7~8割ほどの高いリピート率でボランティアが集まった。

この頃私は、「復興」とは何か、陸前高田市の価値は何なのかを考えていたのだが、この話を聞いたとき、「陸前高田市の価値は人だ」と確信に近いものを感じ始めていた。

だからリピーターが増えるよう、同じ依頼者に同じボランティアに行ってもらうことは勿論、企業や大学にも、「なぜこのまちに来ているのか」「来訪する価値は何か」「どうしたら災害ボランティアが終わっても来訪してくれるのか」とにかく多くの方に話を聞き、興味関心がありそうな活動をアテンドしていた。

結果として、リピーターも増えたが、何より、陸前高田の人を好きになる災害ボランティアが増えていった。

しかし不安だった。「災害ボランティアが終わったらどうなるのか」。

近隣の災害ボランティアセンターは、震災から数カ月後に依頼がなくなったので災害ボランティアの受け入れを終了した。しかし、閉所して2~3週間後、また依頼が増えていったため、災害ボランティアセンターを再開、SNSなどでボランティアを呼びかけたが、誰も来なかったそうだ。

理由は簡単で、「終わった」と知れば、もう誰もその地域の「情報」を検索したりしないからだ。知らなければ来ることはできない。

「災害ボランティア」から「別のなにか」にスムーズに形を変え流れを切ることなく移行していかなければと思った。

「別のなにか」。それは、「陸前高田の人」の価値や、そこからの学びを提供すること。私の中で漠然と形ができあがり始めていた。

そんな時、陸前高田市災害ボランティアセンターが閉所するという話が舞い込んできた。

様々な感情、思考が私を襲った。10年経った今でも思い出すと胃が痛む…。


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