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「4回泣けます」というキャッチフレーズを見たときに感じる色々

何の作品かは知らないが、映画の宣伝で「4回泣けます」というキャッチフレーズが掲げられている。

それを見るたびにモヤモヤとする感情が脳内を駆け巡るんだけれども、
その正体は何なのかを考えてみた。
※映画本編は一切見ずに、このキャッチフレーズだけを聞いて感じることを書いています。

人は映画館に「泣きに行っている」んだなあ

まず感じるのは、それだけ映画館に「涙を流す」目的で足を運ぶ人が多いんだということ。
肌感覚でも分からなくはないが、「4回泣けます」という振り切ったコピーが掲げられているということは、マーケティング的にも一応そういった裏付けもあるのだろう。

「全米が泣いた」「感動○○ストーリー」みたいなコピーは何度も目にしたことがあるけど、「4回泣けます」がここまで印象に残るということは、
ここまで直接的に「泣きに来てください」という謳い文句は今までにそんなに多くなかったんじゃないだろうか。

「ここ泣くところですよ!」というシーンが制作者側で定義されているってことか

4回泣くところがあります = 台本上に「泣かせにかかっているシーン」が4つあるということ。
泣きに来ている観客としては、「あ、ここ泣くところだな」と感じるや否や、ヨーイドンで泣き出すことが予想される。

私はなんとなく、映画の解釈は観客それぞれが持つものであって、制作側があまり規定すべきものではない、と思っている。
というか、大っぴらに「こう感じてくださいね」という演出がなされていると興醒めしてしまう節がある。

それって絶叫マシーンと同じでは?

でもだからといって、この映画は「お寒い茶番映画」で片付けられるのだろうか?
この記事執筆を通して考えていくうちに、そうでもないなと思うようになった。

遊園地にある絶叫マシーンは、「ここ叫ぶところですよ!」というポイントを何箇所か用意して観客に絶叫してもらい、観客はそれによってストレスを発散できるというサービス。

という意味では、「ここ泣くところですよ!」というポイントが4箇所用意されていて、そこでしっかり泣いてストレス発散、というのは非常に理にかなったサービスなのではないか。

かつ、この「泣きに来てください、4回泣けますから」というメッセージは、そういったターゲット層のニーズ解決を直接的に示唆し、誘引力があるのではないか。
そして、それがどんなに演出的であってもちゃんと4回泣ければ、みんな幸せで「いい映画」だ。

「映画」というエンタメのポテンシャル

話が少し飛躍するが、日本人は何に対してもリアクションが抑圧されていると感じる。
アメリカに旅行に行ったときに驚いたのが、バスが遅延していつまで経っても来ない状況の中、やっとこさバスが到着すると、「Yeahhhhh!!!」みたいな大歓声と拍手が起こる。日本ではまず無い。
ディズニーランドのショーであっても、最後の花火が終わったとき、アメリカだとやはり「Yeaaaahh!!」とスポーツイベントかのような大歓声。確か日本だと拍手が起こるぐらいの雰囲気だったと思う。

「電車では静かに」というノリと同じで「映画館では静かに」というマインドが刷り込まれているので、笑えるシーンであっても大爆笑はなんとなくしづらいし、泣けるシーンであっても大号泣はなんとなくしづらい。
エンタメの制作側としては、日本人は(芸人的に言えば)「重い観客」だと思う。

ただ、「応援上映」「合唱上映」「絶叫上映」みたいのが最近増えてきていて、しっかりと場がセッティングされれば、そういう人が集まってきて、楽しい場になる。
「4回泣けます」も、ある意味リアクションへの抑圧を解く効果が無くはないと思う。
全力で楽しめる空気感を上手く作れると、映画のエンタメとしてのバリューも上がってくるのかもな〜

という取り留めもない形で終わりです。

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