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新しい日常における夏の物足りなさ

今年の梅雨は例年にないくらいに長かった。

空梅雨というのが最近の傾向だったが今年はしっかりと雨も降った。というより降りすぎて各地に大きな被害をもたらした。

例年と違う新しい日常の中でこの長梅雨は余計に何かとフラストレーションを感じるものになったように思う。


しかしいよいよ本格的な夏到来だ。

先週海に行った時についその一週間前の海とは全く顔が変わっていた。

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私は夏の海が好きだ。

もちろん海の色とか太陽の光を浴びてキラキラと明るくなりビジュアル的にも美しいというのも一つあるが、いちばん好きなのは海に入る人たちの表情だ。みんながハッピーでピースフルな表情をしているのだ。

サーフィンでもそうだ。
混雑しているとどこかピリピリした雰囲気が漂いがちになるものだが、沖から乗ってきたロングボードの人がショートボードの人に「ゴー!ゴー!」と笑顔で波を譲ったり、それに応えるようにショートボードの人が笑顔を返すシーンとかはとても微笑ましい。

そういう夏の海が人の心をどこか開放的で明るい気持ちにさせるところが好きなのだ。
小さい波を奪い合うのではなくみんなが波をシェアしながら楽しく海での時間を過ごそうとする雰囲気が好きなのだ。


ランニングをしていて感じる夏はやはりその匂いだ。

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私は多賀大社の門前町を走る時に感じるのは夏の匂いだ。
打ち水でアスファルトから漂う子供の頃遊んでいて夕立ちが来る時に漂ってくるあの濡れたアスファルトが日差しに灼かれる匂いもいい。

民家の玄関口からふと流れてくる蚊取り線香の匂いも夏を感じさせる。
これも子供の頃におばあちゃんの家で焚かれていた蚊取り線香を思い出させてくれてどこかノスタルジックな気分になれるのだ。


本来ならば毎年夏をもっと感じるのかもしれない。

滋賀県に住む私にとってはやはり京都の祇園祭は夏の始まりを感じる一大イベントだがそれは今年はなくなった。
もちろん例年は近隣で開催される花火大会や祭りもすべからく中止となっている。

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私が毎週日曜日にランニングでお詣りしている多賀大社。こちらでは例年では8月の第1週目に「万燈祭」という夏の風物詩的な祭りが開催される。

7月の下旬には境内には数十本の鉄柱が打ち立てられてそこに大量の提灯が飾られる。例年はランニングをしながらその光景を見ながら夏が来たなあと心高ぶるのではあるが、今年は写真の通り8月に入っても平常通りである。一時は解禁されていた御手水も今は感染防止のために閉鎖されている。


私は夏が好きだ。

新しい日常(ニューノーマル)という言葉が盛んに使われている今日この頃ではあるが、こういった夏の風物詩がこのまま消滅してしまうのは日本人としては本当に寂しいものである。

新しい日常の中にも日本人の心を感じさせるような行事は今後も残って行ってもらいたいと切に願うのである。

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