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劣等感は成長の糧になる

劣等感というものは誰しも経験したことがある感情なのだと思う。思えば私も若かりし頃は劣等感に苛まれて悩んだことが多い。
40歳を越えた今でさえ劣等感は消えることなく時々現れては消えていく。
きっと一生この感情とは向き合っていかなければならないものなのだろう。

少し前に流行ったアドラー心理学の本「嫌われる勇気」の中で劣等感と劣等コンプレックスは似て非なるものであることを知った。

アドラーのいう劣等コンプレックスはこうだ。

「劣等コンプレックスとは、劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げ出すことを指す。現在の問題を人のせいにして、努力を放棄し、課題から逃げること。それが劣等コンプレックスである」

劣等感は単に相手に対して劣っているということに対する怒りや悲しみなどの感情であってそれは所属感の欠如なのだそうだ。
つまり自分が劣っているという感情が孤独感や寂しさをもたらすのだ。

しかし劣等コンプレックスはそんな感情と向き合おうとせずに逃げることから発生するものだ。
それは自分が劣っているということを素直に認められない謙虚さの欠如や課題をすり替えてしまうことによって一時的には消えても何度でも何度でも襲いかかってくるものなのだろう。


劣等感を感じた時に人の反応は二つのパターンに分かれると思う。
相手を認めず貶め中傷することで相対的に自分を大きく見せる人と自らの力不足を素直に認め相手から学び自分をどう高めるかにエネルギーを注ぐ人だ。

私はどちらかといえば前者だった。
しかし課題から逃げて他人のせいにしたり、都合のいい言い訳をして課題をすり替えたりしても向き合わない限り何度でも何度でも自分に降りかかってくるものだ。その度に自己肯定感は失われていく悪循環である。

しかし徐々に後者へと思考を変えていった。
今でもまだまだ劣等感を感じるとは多々ある。
その度に自分の劣等感と向き合うのだ。劣等感を認めず投げ出すのではなく、じっくりと味わい自分の心の中に劣等感の居場所を作ってあげるのだ。

「なぜ劣等感を感じるのか」
そう自問した時には必ず何らかの答を導き出せるはずだ。

そして自らの課題が見つかった時にそれを克服しようと努力する姿勢が自己成長につながると思うのだ。


他者と比較するな的な論調はある。
しかし私は他者と比較することは悪いことではないと思うのだ。
比較して劣等感を感じることは今もこれからもずっと続くだろう。

比較した上で、感じたことを自分の心の中で露わにして向き合えばいい。
そうすればその劣等感は必ず自分自身の成長のバネになるのだ。


だから劣等感を恐れないでいこう。

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