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ショートストーリー「雨が止むか、照明がつくか、それ以外か」

最近はずっと、ずっと雨が降っている。
引っ越しを終えてから3週間。
本格的な雨だった。


朝起きて、1番に目に入ってくるのは、
見慣れない天井。

「寝室の照明は、おしゃれなものにしたいね」

彼とそんな話していたのは、引っ越しが決まってすぐ、まだ前の家での話なのに。

この寝室には、まだおしゃれな照明がない。
それどころか、照明自体が、ない。


隣の布団は、もう誰もいない。



のそのそと起き上がり、4畳半の寝室から11畳のLDKへと移動する。

前後左右が白い壁に包まれている寝室とは異なり、リビングには大きな窓がひとつ、それよりは小さな窓がふたつもある。

いちばん小さな窓に近づき、そっとカーテンの隙間から覗くと、外は本降りの雨模様だった。


先々週の金曜日は、
あんなに晴天だったのに。


隙間を埋めるように、左右のカーテンを重ね合わせた。

この部屋は、音が響く。
部屋の中にいても、肌寒い雨の中で傘をさしている時のような雨音がする。

一定のテンポで雨粒が傘を打つ、その振動すら感じられる。


前の部屋は4階、ここは2階。
空から離れてしまった分、雨粒も勢いを増しているのだろうか。

だから、彼の足音が聞こえなくなってしまったのだろうか。

前の家に帰ったら、また彼の足音が聞こえるのだろうか。


***


先々週の金曜日、19時。
私のスマホの充電残量は、39%だった。

その日は彼と、仕事終わりに待ち合わせをして、デパートに行く予定だった。
寝室の、おしゃれな照明を、探しに行く予定だった。


約束の時間を15分ほど過ぎたところで、彼からの着信があった。

『ごめん、今仕事終わった!
すぐ向かうから、どこか入ってて。』

彼の職場から待ち合わせ場所までは、30分くらいかかる。

『了解!ドトールにいるね。』

送信。
充電残量は、38%になった。


“照明 寝室 おしゃれ“


ミルクティーを飲みながら、もう何度も見たまとめ記事を、再び表示した。

スタンドの照明もおしゃれだけど、掃除のことを考えると、天井につけるタイプが楽かもしれない。
おしゃれ重視で選ぶなら、コスパは良くないけど、電球が4つ、横に並んでいるやつも捨て難いな。

夢中になっていた。
少し目を休めようとミルクティーを飲むと、もうすっかり冷めていた。
おや?と思い、腕時計を見ると、20時を過ぎている。

彼からの連絡は、まだない。

『今どこら辺?』

送信。
充電残量は、9%まで減っていた。

『あと少し!』

その返信から、ほんとうに少しして、私のスマホが震えた。
彼からの着信だ。


「待たせてごめん!今改札出た!」

やや焦っている声の後ろから、間隔の短い足音が聞こえる。

「お疲れ〜。急がなくて大丈夫だよ。
また、わがままおじさん?」

「そうなんだよ〜。終業間際に仕事振るのホントやめてほしい…」

「日本って、“遅刻には厳しいのに残業には寛容”って言われてるんだって〜笑」


カップを下げ、店の前に出た。
見上げた空には、いくつかの星が瞬いている。

明日も晴れるかな。


「おーい。前見て〜」

耳元からの指示に従い前を見ると、斜め左にある横断歩道の向こう側に、彼の姿があった。
周りには誰もいないけれど、大手を振るのは気が引けるようで、胸の前で左手を小さく振っている。


「星が綺麗だよ」

「本当だ。寝室の天井に、星のシール貼ろうか。光るやつ!」

「えー、やだよ。子供部屋っぽい笑」


信号が青に変わる。
彼が近づいてくる。
彼に車が近づいていく。


え?


耳をつんざくような衝撃音。
誰かの悲鳴と叫び声。
遠くから近づいてくる、救急車のサイレン。

私はそれらを、左耳だけで聞いた。
右耳にはずっと、スマホが押し付けられていた。
そこからは何も聞こえない。

衝撃音も、悲鳴も、サイレンも、
彼の声も、足音も。


あ、そっか。
充電が切れたんだ。


変に冷静に、そう思った。
ただそれだけを、考えた。


そこからの記憶は、まるでない。


***


気がついた時、私はこの部屋にいた。
彼は隣にいなかった。


ずっと雨が降っていた。
雨音が絶え間なく聞こえていた。

それ以外、何も聞こえなかった。
それ以外、何も聞こえないことに気づかせないくらい、ずっとずっと雨が降っていた。

ずっと、ずっと。


雨が止まないことで、彼の不在に気がつかないふりができるけれど、

いつまでも照明がない天井が、私に現実を突きつける。


いつになったら、雨が止んで、
寝室に照明がつくのだろう。





おしまい。

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