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DXに感じていた違和感はこれだった

皆さまご承知の通り、DXは「デジタル技術を導入して改革を起こしていく」ということで、第三次産業革命に続く第四次産業革命の流れに取り残されないように取り組んでいきましょうという話ですね。

このことに関して異論があるわけではないのですが、「DXをやっていきましょう」という呼びかけに何となく違和感を感じ続けていました。(「DX」というバズワードを使うこと自体にも違和感がありますが。)

その違和感が何かが自分の中で少し明確になってきたような気がするのでここに書いてみます。

そのきっかけは以下のブログでした。

『今の若者は”待ち合わせ”をしない。(中略)デジタルで常につながっているのだから「待ち合わせ」は不要なのだ。』

上記ブログより

という記述があり、ハッとさせられました。

もちろん、この変化は「待ち合わせをなくしましょう」とデジタルを導入したものではなく、デジタルが入ってきた結果としてこのような変化が起きているということです。

これは当たり前の話で、周りの環境が変われば、それに合わせて自分たちの行動も(自然に)変わっていきます。

過去の産業革命も何かを変えようと新しい技術を導入したのではなく、新しい技術が入ってきたことでこれまでできなかったことができるようになって、結果として仕事や生活が変わったということです。どちらかと言えば結果は後付けかと。


先の違和感は「今のDXがあくまで技術やツールがありきで、その技術やツールを導入して我々の仕事や生活を変えていきましょう」となっていることでした。

そうではなく、「私たちが元々持っている意識や要望が先で、それを実現できる技術やツールが表れてきている」と考えるほうが、すんなり自分の心に入っていく感じがしました。

デジタルが社会に入っていくことで、意図的に何かを変えようとせずとも元来の意識と融合して必然的に変わっていくもの(変わらざるを得ないもの)と言ってもいいです。

ブログの例で言えば、デジタルが入ってきたことで必然的に「若者の待ち合わせがなくなった」ということです。

当然、この変化はプラスのものだけではなく、マイナスのものもあります。最近の飲食業に対する迷惑行為のニュースは分かりやすい例ですね。元々、子どもは大人の注目を集めたいがために、いたずらや悪さをするものです。デジタルが入ってきたために、その方法が変わっただけのように見えます。
(あ、もちろん悪いことなので、やらないように指導すべきだし店側の対策も必要となりますが。)

SNSによってコミュニケーションスタイルが変わってきていることについても、良い面がある一方で悪い面も出てきています。これも「何かを意図してSNSを導入しているというよりは、SNSが導入された結果、勝手に人の言動が変わってきている」と考えるほうが自然ですよね。


デジタルが入ってくることによる変化が必然的に変わっていくもの(変わらざるを得ないもの)とは言え、受け身でその時を待っていると時代の流れに取り残されてしまいます。

時代の流れに取り残されないためには

  • デジタルが入ってきていることで社会が変わってきているということを感じ取っていくこと

  • 過去の常識にとらわれず、本来やりたかったことだけどこれまではできなったことを明確にしておくこと

といったことが必要ですね。


ゆでガエルなってしまわないように、常に感性を高めておいて時代の変化を感じ取れるようにしておきたいものです。


P.S. そもそも「改革」は、人に言われて渋々やるものではない。

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