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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.105 娘が学校を休んだ話。

私が小学生、中学生の頃を思い出すと、まあ、あまり、思い出したくないことであり、学校に行きたいか行きたくないかと問われれば、行きたくないと思っていたに違いない。

家庭的に恵まれていなかったこともあり、あまり楽しかった思い出はない。

その中でも、楽しかったことも、もしかしたら、勘違いしているだけで半分くらいは楽しんでいたのかも、いや、やっぱり、楽しくない方がほとんどだった。

その割には、我慢に我慢を重ね、ちゃんと、学校に行っていた。
そうするしかなかったからだ。

母が亡くなってからは、家の手伝いで学校を休んだり、山奥すぎて、学校のあたりや、少し登ったところくらいは、そんなに雪が積もってなくても次の日に学校に行くと、自分の家の周りは、30センチも積もっているのに(小学生の膝上まではあった)雪が降ったのかも怪しいくらい、次の日には何もなかったりして、どんだけだよと思っていた。

自分の家の周りを歩くと、子供の足では、もちろん大人の足でも、学校へ歩いて行くなら、日が暮れると思った、父親は、学校休めと一言。

何故か嬉しくなかった。
それだからって雪で遊ぶでもなく、家の養鶏場の
手伝いが待っていたからだ。 
少しくらいは、遊んだのだろうけど、それすらほぼ記憶にない。

昔話になってしまったけど、娘の話でした・・・

娘は、二学期になり、19日(金)までは学校を休んでいなかった。
5月に、小児科で、ADHDと自閉症の診断をしてもらい、グレーゾーンと言われ、この前、母親が勉強するペアトレの勉強会も、終了した。
私の中でも一区切りとなった。

診断をしてくださった、小児科の先生との出会いを機に、学校へ、吃音に対する配慮をして欲しいと思うことを6枚の手紙にして渡した。
それから、ペアトレとふじわら先生のカウンセリングを両方受けていた私は、途中から、ペアトレも、ふじわら先生も、言ってることは同じで繋がっているということに気がついた。

娘のことを否定せずに肯定する。
これがなかなかできなかった私であった。
一日中、オンラインゲームやYouTubeを見て楽しんでいる娘を最初は、イライラしながら見ていた。
今はほとんどイライラしない。
吃音でつっかかる娘を心では恥ずかしいと思ってしまっている、最低な母親だったと思う。

今はもちろん違い、私は、自分の腹鳴恐怖症のあった自分も受け容れ、娘の事も受け容れることができている。

娘が今回、学校を休むまでは、何度となく、担任の先生に連絡帳で娘が、吃音で不安になる授業や活動の時は、ご配慮お願いしますということを、何度も書いてお願いした。

しかし、最近、一人のnoterさんの投稿を良く読ませていただいている。
この方にまだ、コメントをしたことはないけど、してみようと思いはじめていて・・・
このnoterさんの投稿を読むにつれ、私の考えも変わってきた。

娘を学校に行かせようと私はしている。
おそらく、ごく普通の親御さんは、そっちの考えをする方が多いのではないかと思う。
勝手な私の推測に過ぎないが・・・

配慮してもらうところはしてもらっても良いと思う。
だけど、それだけでは、という思いと、吃音や、生きづらさ、症状に悩まされていない人にとってはどうなのだろうかと思うところも出てきて、そんな話も、既に、ふじわら先生にも相談したのだけど、あくまで、周りはサポートであり、自然治癒力、自己治癒力、治癒の主役が周りになってしまって、自分が主役にならないと逆に治りにくい、本人が治癒の主役になった時、その力を発揮する。

とても分かる気がする。

今できる範囲のできることをといつも先生に言われていた私。
先生にご配慮お願いします。これは、できることをやったので、できる範囲のできることを行動できて良かったのだ。

しかし、時間は流れ、娘も中学になることを、最近、話すようになってきた。
学校でも、だんだんそういう話になってきているとのこと。
少し前までは、中学生になるのが楽しみでしょうがないようであったが、最近は、先輩後輩や、色んなことを耳にして、少々、ビビり気味の娘である。

世の中には、生きづらさ、症状、病気などを抱えている人がいかに多いかということが、私もnoteを始めたおかげで分かったのだけど、私は自分は苦労していると思っていた、でも、私の苦労は苦労ではないかもなと、思うようにもなった。

腹鳴恐怖症にしろ、吃音症にしろ、結局は自分軸で考え、自分の中に解決策はあるのだと思う。

私は、今まで、学校にも配慮、配慮と言い続け、この前学校を休んだ時に、学校へ電話をして、たまたま出た2年生の時の担任の先生に事情を説明した。
しばらくすると、担任の先生から折り返しのお電話をいただいた。

今回、娘が心配していた外国語の授業での発表。
担任の先生は、外国語の先生にいつものように、対策をすでにお願いしてあったと、とても、残念そうに電話を切った。

私は、色々思いながらも、4月ごろの私では既にないため、半分はこれで良いのだと思えている自分で、知らない人からすると、単なる甘やかしとも取られるかもしれないが、吃音症の娘にしては、良く頑張って、学校には行っていたのだと思う。
親バカと思う人もいるだろうとは思う。
でも、それとは違う思いである。

周りの配慮やできる範囲のことは必要かもしれません、とてもありがたいことです、しかし、ここまできたら、娘の思いを尊重し、ありのままの娘の気持ちを尊重してあげたい。
仮に、不登校になったとしても、その時はその時で、道はあるのだと思うので、考え方も、そう変わってきました。

1番良いのは、私の今の考え方が娘が理解できると1番良いのですが、今の年齢では難しいと思います。

色々なことが、全てが繋がっていると思う、最近の私の気持ちです。
あくまで、一つの考えであって、私が思うことです。

長くなりましたが、今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^

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