腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.65 弟なのに兄的存在。
私には2人の姉と、1人の弟がいます。
なので、私は三女ということなのですが・・・
今回は弟の話ですが、少し長くなりそうですが、お付き合いいただければ大変嬉しく思います。
私は40年もの間、腹鳴恐怖症と戦ってきたのですが、私が中学を卒業して、愛知県に出たので、それから、弟とは、別々の景色を見てきました。
弟は、長崎県の地元の高校を出て、ポツンと一軒家( よく考えたら、周りにその当時見える範囲に2軒、少し歩いて、見えないところに2軒ほど家があったので、一軒家ではなかったのですが )で、地元では山の中で有名?で、その当時、車が一台通るだけでも、珍しい光景でした。
今では、時代も変わって、とても人気の、キャンプ場まであります。
同じ家で育ったのに、弟は私とは全然違っていました。
私が10歳の時に母親が乳ガンで亡くなった時は、弟はまだ、7歳。
かろうじて、ランドセルを背負って、母親と一緒に写った写真があったような、かすかな記憶はあります。
今、私が50歳、弟が47歳。
お母さんの記憶はあるだろうけど、私は10歳で、思春期、弟はまだ、小さく、お母さんの記憶は、私以上に少ないと思うだけでも、心が痛みます。
改めて、弟のことを考えてみるのは初!なのですが私が思う、弟のイメージ・・・
小学生の頃は、学校に着ていく次の日の洋服を、頭の先からつま先まで、ちゃんと、枕元に用意して、名札もつけて就寝。
➡️とても几帳面で、しっかりもの。
お母さんいないのに偉いなと思っていました。
後から思ったのかもしれません。
養鶏場の卵取りの手伝いを手分けしたりして、一緒にやっていた。
➡️要領よく小さいのに、頑張り屋さんだなぁと思っていた。これも、後から思ったのかもしれません・・・
雨の日は、ままごと的な遊びやら、婆ちゃんから、編み物をいつの間にか習ったりして、編み物ができたりする。
➡️男の子なのに器用だな、と思っていた。
女の子の中に男の子一人だったので、割と、大人しい感じだったと思います。
私が年に一回程度、実家に帰ってきたら、やっぱり、弟だから可愛いと思っていたんでしょうけど、人より先に、高校生の時から半分仕事しながら高校に通っていたので、お正月に、初お年玉を弟に、その当時、三万円をあげたと思っていますが、私の記憶違いなら良いのですが、金銭感覚、おかしすぎますよね・・・
初ボーナスで浮かれていました。
しかし、その時から、弟のことは、弟として、姉である私は少しばかり、お姉さんヅラをしたかったのだと思います。
可愛がりたかったのかなと・・・
高校を卒業した私は、友達と一緒に住み込みで働きながら、名古屋の調理師専門学校に行ったのですが、その時、住み込みのアパートに、遊びに来たり、その後も、調理関係の仕事で何度か仕事も変えたりしたので、その度に、遊びにきたり、飲みに行ったり、カラオケに行ったりしていたのを懐かしく思い出しました。
弟は、現在、東京にいますが、この田舎から、東京に一人で行って、仕事して、一人で暮らして、遠い道のりを、車で帰ってくる、そしてまた、帰って行く。
何という忍耐力・・・
私にはできないことで、尊敬します。
私が仕事を辞めて長崎にUターンする時に、まだ、ペーパードライバーだった姉弟が、知り合いにもらった軽自動車で交代で運転して、危ない!
ここで、ガソリン入れないと次は当分ないよ!トイレも次で行こう、なんて言いながら、地図を見て、長い道のりを、高速で帰ってきたこともあったっけねーなんて、こないだも、弟と、話をしたのですが、高速でガソリン入れ、地元のガソリンスタンドで、ふたがついてないですよ、と言われて、電話をして、給油口のフタを送ってもらったことも、弟と共通の思い出です。
思い出話が、長くなってしまいましたが、実は私の腹鳴恐怖症を過去形にしていただいた、愛媛県の、健優館の藤原優先生なんですが、昨日、弟が、カウンセリングを受けました。
私が、ふじわら先生を紹介した形になっていますが、まさか、弟まで、ふじわら先生のカウンセリングを受けるとは、とても、不思議な、未来は何が起こるか分からないという話です。
弟は、数年前から、色々な本を読んだり、セミナーを受けたり、私のイメージでは、私とは、違って、常に前向きで、いつも、新しいことにチャレンジしている、何故か弟なのに、いつしか、尊敬できる存在になっていました。
弟なのに兄的存在!
私たちは、良く、この時代だからこそできる、LINE通話を月に数回するようになっていました。
主に家庭のことだったり、職場のことだったり、私は、どちらかと言うと、優柔不断な性格なので、ここぞという決断の時は、とりあえず、弟に相談して、自分は、こう、思う。ということは、はっきり言うのですが、弟の意見も一応聞いて、2人の意見をまとめた感じで決断していました。
私が、ふじわら先生のカウンセリングを受けると決めた時も、実は、弟がいなければ、指一本で、ラインで繋がり、カウンセリングを受けるということも、実現できてなかったと思います。
ネットで、腹鳴恐怖症の症状を見つけた時、私は、これだ!!と、確信しました。
色々と疑っていた私は、『 この先生、間違いなく良い先生っぽいけど、どう思うか、見てみてもらえないかなー? 』と、弟に、LINEを送り、確認してもらい、弟が、『 良いと思うよ! 色々読んだけど、すっごく良いと思う! 』と返事をもらい、勇気を出して、LINE登録して、今に至ります。
弟は常に前向きで明るく、何でもできるイメージを持っていた私は、最近になり、多汗症で、手のひらに、異常な汗をかいていた事を、やっぱり、気にしていたんだ・・・
私は、自分のお腹のことばっかり気にして、相談して、弟は自分のコンプレックスや、手汗の事は気にしてないのかと思っていた、私は弟の事を何も分かっていなかったと、反省しました。
弟は、人と話すのも苦手な方で、どちらかというと、聞き側、の方と言うのです。
え?そうなの?私は弟を見ていて、とても、行動的だと思っていただけに、意外でした。
でも、確かに、私の話は、相当、聞いてるなぁと・・・
弟が今まで、どれだけ努力をしてきたのか、私には量り知る事はできません。
私がここ数ヶ月、変化して、変わったのを目の当たりにして、弟も、自分の話をしてくれたのだと思います。
私は、正直、変わったとは思えたり、思えなかったり、でも、考え方は変わった、これは、そうなんでしょうね・・・
弟は、私の腹鳴恐怖症に悩んでいたのとは違って、昔は気にしていたのでしょうけど、もう、多汗症のことは受け入れていました。
沢山の苦労の数々も、ここ最近になり知りました。
弟は、近い将来、悩んだ人を、少しでも明るく生きていけるように、相談にのる、明るい方に導くような仕事をしたいらしく、日々、勉強中です。
カウンセラー的な・・・
前々から、ふじわら先生とは、一度お会いしたいと言っていたので、色々な相談をしたようです。
私は、ふじわら先生には、もちろんのこと、とても、感謝をしていますが、弟がいなければ、ふじわら先生とも繋がることはできなかったし、noteも、弟が勧め、ふじわら先生にも背中を押してもらい、実現できたようなものです。
私の力は、何一つ・・・
なので、私が、ここ半年程で変化しているということには、ふじわら先生のお力と、弟の力と、ダブルカウンセリングの力だと思います。
近い将来、弟が、困った人々の力になれることを心待ちにしています。
とても長い文章を最後まで読んでいただき、心からから、ありがとうございます^ ^
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