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生きづらさと共に!NO.92 子どものやる気の芽を摘んでしまわないようにと、今更ながらに思う。

私の娘は吃音症である。
ご先祖様で吃音の症状があった人がいたのかどうかはわからないが、何故、うちの娘は吃音症状があるのか、遺伝的な部分もあるのだと思うが、これと言う、決定的なものはない。

娘はメルちゃん人形くらいの大きさで産まれ、出産予定日よりも2ヶ月ほど早く、この世に誕生した。
そのこともやはり関係性はあるのだということを聞いた。

それともう一つ、これも関係あるのかないのか、わからないが、私は2ヶ月も出産が早まったことに、隠しきれないショックを受け、帝王切開後、2日くらい全く動けず、全身の力もなく、鬱に近い感覚であったこと、そんなことも関係あるのかないのかわからないが、娘も過去への囚われが強いのだと思う。

時々、こんな憂鬱なことをふと思うことがある。
今日は久しぶりに、雨が降り続いている。
やはり、晴れた日よりも雨が降ると憂鬱なことを考えやすいのかもしなれない。

しかし、今の私はもう、40年間生きづらさで悩み続けた私ではなく、ただこんなことを、ぼんやりと考えるくらいになった。

そして、もうすぐ52歳になるのに、そんなに悩む時間は私にはなく、人生最後の日に、楽しかった!ありがとう!と言って、最期を迎えたい、そういう思いがここ2年でとても強まった。

そう思えるのは、ある先生との奇跡的な出逢いと、このnoteで出逢う人達の影響がとても大きい。
そして、忘れてはならない、日頃お世話になる家族であり、きょうだいであり、友人であり、知人である。
そして、このnoteの存在でもある。
全ての皆様に感謝であり、本当にありがとうございます。

娘は、吃音症で、娘の代だと、まだ100人に1人と言われていて、その倍以上の人数はいる学校だけど、知ってる限り吃音症の人を知らない娘である。
私はもう亡くなった人だけど、酒屋のおじさんが、吃音があったのを今も覚えている。

なかなか言葉が出てこないし、次の言葉もなかなか出てこなかった。
しかし、私は笑うことはなく、ちゃんと言葉が出てくるまで待つし、ちゃんと会話もしていた。
吃音症状があってもおじさんは、いつもニコニコしていた印象が残っている。

昨日、娘のことでお世話になっている、市の療育支援相談センターの方と話す機会があって、娘のことで色々と話をすると、やはり、その相談員の方はすごく話がわかる方で、とても心が救われた。
吃音症状がある人は、思うように話ができないことがあるけど、吃音がない人でも、言いたいことを全部言えるわけではないし、いろんなことで悩んでいる人もいるということを気づかせるようにもっていくのが良いというような話をしていた。

私もそうだったが、自分だけが苦しんでいると思いがちと言うか、周りの人のことまで考えられない。

自分の吃音症状のことを自分自身が認めることができて、みんなと同じように、自分を表現できたり、発表ができたりということを、目指して支援してもらっている。

自己肯定感が低いと思ったが、高校や、中学の時も入学を楽しみにしていたり、少し先のことを前向きに、楽しみにしているから、そんなに低いというわけでもなさそうだともおっしゃっていた。

相談員の方がとても話がわかる人でとても安心して話すことができた。

先程、バドミントンのジュニアのクラブの前に、捕食を持って行き、やっと、バドミントンのコーチと話すことができた。
私は、今年初めの練習に娘が休む時、顧問の先生に電話をしていたので、直接会って話をしないといけないと思っていた。
今日から新年のジュニアの練習が始まるので、様子を伺っていたら、コーチの方から、声をかけてきた。

どうやら、コーチから、バドミントン部のみんなに話をしてくださったようだ。
娘が最近、みんなの態度が変わったと言っていたのは間違いではなかった。

色々な思いがある娘で、吃音の症状で、一言目が出にくい、難発があるために、女子がキャッキャと話をしていても、なかなか話に入っていけなかったりする。
キャッキャと話す時ばかりではないだろうが…

何か話をふられたら、答えることはできるが、そんなことも一つの原因だったり、娘以外の女子部員は、小学生からのベテランばかりで、仲良しなのである。
女子も2人、早い段階で辞めた。
やっぱり、色々あったんだろうなぁと思ったりした。

コーチも色々娘に話をしてくださり、そのお礼を言うと、『辞めさせたらダメよ』と、この言い方は、ただ、辞めさせない!という言い方ではなく、明らかに、娘のことを考えて言ってくれているのが伝わった。
何だか、心がジンとして感動してしまった。

今日は、義母がショートステイ、色々なことが回っていないようで回っている、というか、改めて、また回していかないといけないなぁと、人の言葉だったり、文章だったり、日々考え、学び、考え方も変わったり、影響を受けたりする。

この環境は、とてもありがたく、恵まれた環境だと思う。
私は娘の1番の理解者であり続けたい。
そして、子どものやる気の芽を摘んでしまわないようにと、今更ながらに思う。

今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^


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