失われた30年の正体 #1
1.日本の停滞とデジタル
(1)日本の停滞
「失われ30年」はあったのか?
この事自体、存在しないと言い切る主張もあり、また社会が崩壊したわけでもなく生活水準が目に見えて低下した訳でもなく何をもって失われたと言うのかと言う疑問も耳にする。
この理解が人によって異なるが、中でも年齢が大きく関わる事だろう。
子供時代、高度成長期に生活が豊かになっていく実感、社会人になってからのバブルとその崩壊を経験した世代と、生まれた時から停滞の中にいた世代とは見える景色は違って当然だと思う。
何がどう失われたのか振り返り共有する事、そして何が重要なファクターか数字で比較する事が重要だ。
実質賃金は、この30年上がりも下がりもせず一定の範囲を維持している。
株価は30年前のバブルの水準を回復したと言われる。
デフレと言われ続けてはいるが、かっての世界恐慌のような街中に失業者が溢れているような状況は一度も見た事がない。
一方で、かっての繁栄を知っている60代、70代から見れば失われた10年と言われたバブル崩壊からの回復を過ぎても、低迷は続き失われた10年は20年になり、さらに30年になったと言うのが実感ではないだろうか。
かって世界を制覇した電気メーカーの凋落、先端を走っていた半導体や携帯電話でも日本のメーカーのシェアは見る影もなく韓国、台湾や中国に席巻されている。
30年前は4位だった一人当たりGDPも30位前後となり1960年頃と同じ場所に戻ってしまった。
しかし40代、50代から見れば、60以上はまだ逃げ切り世代だ。
停滞のツケを、回され氷河期を経験しロスジェネと呼ばれた世代からは、逃げ切り世代からは見えない暗い景色が見えているだろう。
株価が30年前に届いたとしても、社会に繁栄に実感はなく、格差が広がっている。
正社員の比率は下がり、将来に対する希望が失われ、財政破綻による社会保障が受けられるかにも不安が募る。
財政の逼迫により、研究機関への資金が維持できなくなり研究レベルが下がってゆく。
実質賃金は維持されているかもしれない。
しかし問題なのは、その間、世界経済は歴史に残る発展の時代で有り変わらない日本の賃金を世界が追い越し取り残された事にある。
産業構造の変革は叫ばれ続けているが、日本からはスタートアップが育たずイノベーションは起きない。
こうした現実の中で生まれ育った若い世代にとっては、もう当たり前の景色であり、疑問も感じない。
ただ、希望が無く将来の不安が大きい事は感じており、その事が少子化にも繋がっている。
こういったジワジワと真綿で首を絞めるように将来が塞がれている感覚は、すべての世代に共通するのではないだろうか。
(2)デジタル化の遅れ
日本の停滞を探る際に、もう一つのキーワードである「デジタル化の遅れ」についても整理しておきたい。
ただし、30年の停滞の原因をむりやりデジタルに押し付ける事はしない。
あくまで30年の経済・社会の動きの中でどう関わっているか理解し位置付けるだけだ。
結果として何かの原因に繋がっている事もあるかもしれないし結果であるかもしれない。
さて、日本でデジタル化の遅れが指摘されるようになったのは、コロナ禍の中ではなかっただろうか。
保健所と病院などとの連絡手段が未だにFAXを使用したり、鳴り物入りで登場したアプリが役に立たなかったり、我々の眼には周囲の韓国や台湾の対応と比較しても、いかに遅れているかがはっきりと認識されたのではないか。
一方で、日本のデジタル化はそれほど遅れてないのではないかと考える人も多いのではないか。
シニアから見れば若い世代は当たり前のようにSNSを使いこなすデジタルネイティブで有り、オフィスではパソコンが無ければ仕事にならない。
キャッシュレス化が進み世の中の変化について行けないと感じている人から見れば日本のどこが遅れているのだろうと感じるかもしれない。
しかし、コロナ禍で感じた遅れは、事実で有りまた大きな変化のごく一部を取り上げたものであった。
世間の眼に映る印象以上に、その背景にはより大きく巨大な世界の変化があった。
保健所やコロナ対応アプリの話は、行政サービスの利便性や効率化の話に過ぎない。
国を挙げて対応しているデジタル庁やマイナンバーについても大きくはその枠に留まっている。
世界の巨大な変化とは、以前からIT革命として認識されていたものだ。
産業革命に匹敵するような概念であり、社会の生産様式や仕組みそのものを劇的に変えてしまう変革である事を理解しなければならない。
決して行政サービスの効率化のような狭い世界の話ではない。
パソコンの登場でアップルやマイクロソフトなどが、市場を企業から家庭に広げ、世界中を席巻し、インターネットの登場とともに、グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックなどのサービスが利用されるいわゆるGAFAの世の中になった。
いずれもアメリカを舞台として展開され、古い登場人物は退き、次々と目まぐるしく主役が交代していった。
この中で、古い製造業を中心として変わらなかった日本の産業は一挙に後景に退いた。
先端産業の舞台もハードウェアの世界から、ソフトウェア、サービスへと転換していった。
IT革命はバブル以前、日本が製造業の世界で世界市場で存在感を示していた時代からその芽を生じ、日本の発展の背景にあって着々と開花の準備を整えていた。
我々が使いこなしていると感じているワードもエクセルもグーグルも全てアメリカで作られ使えば使うほど日本の資産は失われて行く。
いわゆるデジタル赤字は、インバウンドで得た収益全てに匹敵するほど大きなものになっている。
またこれだけパソコンを使いこなしても、日本全体の生産性は上がらず、その事が実質賃金の低迷に反映している。